吉中司「ジェット・エンジンの仕組み 工学から見た原理と仕組み」講談社ブルーバックス
…ジェット・エンジンの推力は力である。固体の場合、力は「固体の質量とそれにかかる加速度の積」で表せる。しかし、連続流体の場合は、近似的に「エンジンの入り口で流れの持つ運動量(入り口での流体の質量と流速の積)と、出口での流れの持つ運動量(出口での流体の質量と流速の積)」となる。
――第2章 より速く、より遠く…エンジン部品のJCF寿命予測では、まず材料がスペックに許容される以内で強度のいちばん弱い材料だと仮定し、次にLCF寿命は同じ図面を基に同じように工作された1,000個のエンジン部品のうち、たった1個に0.8mm程度の亀裂が発生するまでのサイクル数、と定義されている点である。
――第4章 頼れるエンジン
【どんな本?】
2015年11月11日、国産航空機MRJの初飛行が注目を浴びた。特徴の一つはP&W社のエンジンPW1200Gで、ギヤードターボファンと呼ばれる。ではギヤードとは何か? ターボファンとは? どんな特徴があって、何が嬉しいんだろう?
そもそも、ジェットエンジンとは何だろう? どんな部品があって、それぞれどんな役割りをして、どんな特徴があるんだろう? なぜ日本では大型機のジェットエンジンを作っていないんだろう?
ジェットエンジンの歴史から理論的基礎、それぞれの部品の形と仕組みと材質、開発の際に立ちふさがる困難な点と解決策、要求される性能や運用時の問題点などを、ジェットエンジン開発の現場に勤めた著者が、生々しいリアリティで描く一般向けの技術解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2010年9月20日第1刷発行。新書版で横一段組、本文約283頁。9ポイント28字×28行×283頁=約221,872字、400字詰め原稿用紙で約555頁。文庫本の小説なら標準的な一冊分の分量。
文章は科学解説書としてはやや硬い。内容もかなり高度で、数式や専門用語が次々と出てくる。特に重要なのは熱力学で、エントロピーやエンタルピーが出てきてもたじろがない程度の素養が欲しい。かく言う私は完全な素人で、数式はほとんど飛ばして読んだが、それでも充分に楽しめた。
ただし、ジェットエンジンの種類は知っていたほうがいい。この本ではターボファン(→Wikipedia)が中心なので、とりあえずターボファンだけでも充分だろう。他にターボジェット(→Wikipedia)・ターボフロップ(→Wikipedia)・ターボシャフト(→Wikipedia)、そしてラムジェット(→Wikipedia)などがある。
【構成は?】
基礎から順に説いてゆく形なので、素直に頭から読もう。
|
|
【感想は?】
とりあえず、なぜジェットエンジンの開発が難しいかは、よくわかった。
原料となる合金を作る能力、それを複雑な三次元の形に精密に加工する能力、性質の違う様々な材料を組み合わせる能力、大量の部品を管理する能力、低温から超高温まで多様な環境で試験できる環境…
こういった広い範囲に渡る高度な技術が必要だからだ。ぶっちゃけ国家が持つ最新技術の粋を集めたのがジェットエンジンと言っていい。つまりは技術の総合力が試される製品なわけで、これを新規に設計・開発・生産するってのは、大変な事なんだと実感できる。
特に驚いたのが、タービン翼の構造。それも燃焼機の後ろにあるタービン翼だ。排気の温度は1000℃を超える。金属は高温になると柔らかくなり、形が変わりやすい。タービンは高速で回転するから、遠心力で端っこから外側へ引っぱる力が働く。となると、柔らかくなったタービン翼は伸ばされて形が変わったり、下手すっと途中でもげたりする。
それは困るんで、色々な工夫をしているんだが、これが私の想像をはるかに超えたとんでもねー発想ばかりだった。例えば翼の中を中空にして、表面に小さな穴を沢山あける。そして中から冷却用の空気を流すのだ。空気の膜がタービン翼の表面を覆い、高温の排気からタービン翼を守るわけ。
と書くのは簡単だが、んなモンどうやって作るのかってのがまた、大変な手間で。そもそもタービン翼の材質からして、高温に耐えるニッケル合金だし、形状も複雑な三次元の曲面だし、要求される精度も0.05mmとハンパない。ニッケル合金ったって、それだけで出来てるわけじゃない。熱から守るため、更に表面をセラミックでコーティングしてるのだ。
ところが、これが別の問題を引き起こす。モノは熱くなると大きくなる。熱膨張って現象だ。だが膨張する割合は材質によって違う。中のニッケル合金は大きく膨れるが、セラミックはあまり膨れない。セラミックは引っ張りに弱いんで、ほっとくと表面のセラミックにヒビが入り、剥がれてしまう。これを防ぐには…
ばかりでなく、合金そのものも、とんでもねー手間をかけて作ってたり。やっぱり引っぱる力に強い合金を作ろうって発想なんだが、「そもそも、なんで引っ張りに弱いか」って所から考え始めてる。金属ってのは結晶の集まりなんだが、その結晶同士の境目が弱点になのだ。「じゃ単結晶にしようぜ」ってんで考えたのが、SC(Single Crystal、単結晶)動翼。
これに加えて、三次元の複雑な曲面で出来てるから、それぞれの場所に加わる力を計算する演算応力も必要。おまけに共振なんて現象もあるから、固有振動数が揃わないように大きさを変えなきゃいけない。固有振動数ったって色々あって、つまりは基本の周波数に対する倍音の関係にある周波数は全部ヤバい。
とかの問題を、全ての部品に対して計算しなきゃいけないわけで、コンピュータがなきゃやってられないよなあ。
私のようなボンクラのプログラマは、作って動かさないとプログラムの実行速度がわからない。ところがエンジン屋さんは凄くて。ジェットエンジンの創始者であるフランク・ホイットル(→Wikipedia)もハンス-ヨアヒム・パブスト・フォン・オハイン(→Wikipedia)も、作る前にだいたいの出力を計算し、飛行機がどれぐらいの速さで飛ぶかまで数字を出してる。
この計算できる事の凄さを改めて感じるのが、第4章の「頼れるエンジン」。ここではエンジンが故障する原因を次々とあげ、それぞれの対策を語ってゆく。
ここでの読み所は、定期的な保守の期間やエンジンの寿命を計算する方法を説明する所の生々しさ。事故るわけにはいかない航空機の厳しい要求と共に、出来るかぎりの経費節減が要求される現場で、長年汗をかいてきた著者だから書ける迫力が詰まってる。
百均のオモチャならともかく、航空機は価格も半端ない。しかも落ちるわけにはいかないから、適切な時点でエンジンも交換しなきゃいけない。交換が遅すぎたら大事故だし、早すぎたら費用が嵩む。ってんで、それぞれの部品ごとに様々な状況で数千時間も試験して変形や亀裂を調べる。
ここで感激したのが、変形や亀裂の度合いが分かれば、だいたいの寿命も分かるって事。ちゃんと計算式があるのだ。ただし、ここで分かるのは、予め起こる事が分かっている不具合だけ。まあ、既に多くの航空機が飛んでるから、大抵の不具合は分かってるんだけど。
航空機の事故は、自動車など他の乗り物の事故に比べると、やたら詳しく調べられる。今まではそれが妙に不自然だと思っていたんだけど、これを読んで少し分かった気がする。つまり、仮に未知の原因が見つかったとすると、それは「今のエンジン」にとっては大きな災厄だけど、将来のエンジン開発にとってはかけがえのない宝になるわけ。
しかも、先に書いたように、ジェットエンジンは国家の科学・工学能力の粋を集めた結晶だ。これをワンランク引きあげられたら、国家にとって大きな財産となる。
この本では、MRJのPW1200Gエンジンについて、直接は語っていない。だが、読み通せば、なぜギヤードなのか、それの何が嬉しいのか、なぜそれが今までなかったのか、そしてなぜMRJがPW1200Gを採用したのか、説明できるようになる。ちゃんと機体の市場と性格に合わせた意味と目的があり、まさしくMRJに相応しいエンジンだとわかるだろう。
単に性能だけでなく、運用までを考えて設計・開発する現代のジェットエンジン。その原理から個々の部品、そして製品寿命まで、市場で鍛えられた著者だから書ける、かなり歯ごたえはあるが、それだけに生々しさが漂ってくる一般向けの工学解説書。航空機に興味があって、カタログ・スペックだけじゃ物足りない人には格好のお薦め。
【関連記事】
| 固定リンク
「書評:科学/技術」カテゴリの記事
- ジョフリー・ウェスト「スケール 生命、都市、経済をめぐる普遍的法則 上・下」早川書房 山形浩生・森本正史訳(2024.11.25)
- 藤井一至「土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて」光文社新書(2024.10.23)
- ダニエル・E・リーバーマン「運動の神話 上・下」早川書房 中里京子訳(2024.10.20)
- アリク・カーシェンバウム「まじめにエイリアンの姿を想像してみた」柏書房 穴水由紀子訳(2024.09.19)
- ライアン・ノース「科学でかなえる世界征服」早川書房 吉田三知代訳(2024.09.08)
コメント