マージョリー・シェファー「胡椒 暴虐の世界史」白水社 栗原泉訳
人類史のほとんどの時代を通して、胡椒は手に入りにくいものだった。このスパイスが世界史を動かす大きな原動力になったゆえんである。黒胡椒の原産地は、ヨーロッパの港から何千マイルも離れたインドである。交易商人たちは、なにがなんでも胡椒の原産地にたどり着こうとした。この執念が世界貿易の幕を開けたのだ。
――第一章 コショウ属
【どんな本?】
ステーキに、目玉焼きに、野菜炒めに、ラーメンに。胡椒は肉でも野菜でも何にでもあう、便利なスパイスだ。だが、一つ困ったことがある。胡椒は赤道に近い所でしかとれない。原産地はインドだ。ヨーロッパでは、インドからアラブ商人を通して手に入れるしかなかった。
この状況を、ポルトガルが変える。喜望峰を回ってインド洋に出る航路を開拓し、アラブ商人を出し抜いたのだ。やがてオランダとイギリスがポルトガルに続き、ヨーロッパの進出が南アジアの運命を大きく変えてゆく。
主にインド・マレーシア・インドネシアなどインド洋の東に面した地域を舞台として、ポルトガル・オランダ・エジプトが演じた胡椒の争奪戦と、それに巻き込まれた南アジアの歴史を描く、一般向けの歴史書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Pepper : A History of the World's Most influential Spice, Marjorie Shaffer, 2013。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約250頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×19行×250頁=約213,750字、400字詰め原稿用紙で約535頁。文庫本なら標準的な一冊分の分量。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。当然ながら歴史に詳しいほど楽しめるが、それぞれのエピソードでは必要最低限の背景事情を説明しているので、中学卒業程度に世界史を知っていれば充分に楽しめる。また、マレー半島西岸とインドネシアが舞台なので、世界地図か Google Map を参照して読むと、更に面白い。
【構成は?】
だいたい時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。
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【感想は?】
なんといっても、舞台がいい。インド洋の東側、南アジア。西洋史と東洋史が交わる地域だ。
胡椒の原産地はインドらしい。歴史は意外と古く、地元インドじゃ当然、「3000年の歴史を持つ古代インドのアーユルヴェーダ医学」にも載っている。ばかりでなく、「紀元前五~四世紀のギリシア人も、胡椒の効用を知っていた」。中国も負けちゃいない。「インドから中国に初めて、主に医療目的で持ち込まれたのは二世紀のことだ」。
ギリシア人はアラブ商人を介して胡椒を手に入れたようだ。以降、ヨーロッパへ向かう胡椒はアラブ商人が独占する。
やがてポルトガルが喜望峰周りの航路を開拓してアラブ商人を出し抜き、直接インド・マレーシア・インドネシアで胡椒を仕入れるルートを見つけだす。
この本は、そうやって南アジアへ進出したポルトガル・オランダ・イギリスそしてアメリカが、南アジアで何をしたかを描いてゆく。その内容は、まさしく「暴虐の世界史」の副題に相応しい。が、その前に。ヨーロッパ人が来る前、16世紀の南アジアの様子が興味深い。例えば(現マレーシアの)マラッカ。
15世紀、マラッカは世界有数の港として絶頂期を迎えた。ここはアフリカ、グジャラート、タミル、ベンガル、中国、ジャワ、ペルシア、マレーシアの各地から人びとが集まり、取引をし、ともに住む国際都市であった。
インドネシアのスマトラ島の北端アチェ州のバンダ・アチェも似たようなものだ。多数の支配者が争い合う中、アチェはスルタンの元に強国を築き、ビルマ・アラビア・中国などの商人が活発に出入りしている。
16世紀当時のマラッカ海峡沿いの地域は、小権力が争い合う戦国時代でもあったが、同時に国際貿易が活発な自由貿易地域でもあったわけ。アチェの老スルタンのアラーウッディーン・リアーヤット・シャーも「老獪な暴君」とあるが、なかなかの情報通で。
1600年、オランダ船に乗り込んでアチェに到達したイギリス人航海士ジョン・デイヴィスに対し、スルタンは1588年のアルマダの海戦(→Wikipedia)について、また強国スペインに勝ったイギリスについて、色々と尋ねている。貿易で稼ぐ海洋国家にとって、国際情勢は大事な財産だ。暴君ではあるにせよ、同時に聡明でもあったらしい。
1521年にリスボンに帰港したポルトガルの船は2500%の利益をあげるなど、当初は利益率の大きかったスパイス貿易だが、やがて仕入れ値が高騰する。新しい買い手が市場に参入したんだから当たり前だ。ただ、新しい買い手はそれまでのアラブ商人や中国商人と、だいぶ性格が違っていた。武力による独占を目論むのだ。
1511年にポルトガルが艦砲でマラッカを占領して強固な砦を作ったのを皮切りに、各所に商館の名目で砦を作ってゆく。1682年にはジャワ島西部バンテンの跡目争いにツケ込み、オランダがバンテンを独占する。長く独立を保っていたアチェも、1873年に陥落する。以降、地域のムスリムは根気強くオランダに抵抗を続けてゆく。
インドネシアでも独立の気運が高いアチェ州(→Wikipedia)には、こういう歴史的な経緯があったんだなあ、と頷くことしきり。単に石油や天然ガスを巡る利権だけではなく、長く独立を保った上に、オランダに対する独立運動を率いた誇りもあるんだろう。なお、抵抗運動に対するオランダの返答は、お察しのとおり虐殺だ。
ここで、ちょっとした疑問が残る。それまでアラブ・インド・中国の商人が共存していたマラッカ地域で、なぜ西ヨーロッパだけが独占を狙ったのか? 他の商人たちと共存はできなかったんだろうか。
解の一つは距離だろう。アラビア海・ベンガル湾・南シナ海を超えればいいアジア市場は比較的に近いので、輸送費用が安く済む。もう一つは人口で、多く市場が大きいアジア商人は充分な利益があった。対してヨーロッパは喜望峰周りで輸送費用が嵩む上に、市場もそれほど大きくなかった。独占して価格を操作しなければ、大きな利益が見込めなかった。
よく言われるように、砲や銃など火器の優位も大きい。砦を石で造るなど、軍事技術の差は大きかった。つまり、出来るからやった、そんなみもふたもない結論に行き着く。
とはいえ、オスマン帝国や明帝国・清帝国が本気を出していたら、だいぶ違っていたはずだ。実際、1683年にはオスマン帝国がウィーンにまで侵攻している(第二次ウィーン包囲→Wikipedia)。火力の差はあるにせよ、地の利は地元にある。特に兵站では圧倒的に有利だ。なのに、なぜ両帝国は軍を動かさなかったのか。
この本では解を明示していないが、多少のほのめかしがある。わかりやすいのが、オランダ・イギリス両国の東インド会社だ。いずれも国策会社の性格が強い。だから、国家の軍事力を動かす影響力があった。
それに対してアラビア・インド・中国は、国家権力から独立した商人だ。用心棒としてそれぞれの商人が地元の海賊を雇うぐらいがせいぜいで、軍を動かすほど国家への影響力がなかったんじゃないだろうか?
などと強奪してゆく英蘭の東インド会社だが、次第に衰退してゆく。これの原因は共通していて、つまりは低賃金による腐敗の蔓延だ。オランダ東インド会社は横流しや密輸で稼ぐ。イギリスは面白くて、従業員の私貿易を許している。文句があるなら自分で起業しろ、ってわけ。
今でもマラッカ海峡には海賊が出るらしい。これは当時も同じで、ヨーロッパの船も結構やられてる。酷いのがアメリカで、1831年にスマトラ沖で商船フレンドシップ号が海賊に襲われた際は、翌年に海軍ポトマック号を派遣して港の町を襲って灰にし、砦に立て篭もった人々を虐殺している。これはアメリカ市民の喝采を浴びた。
ところが。この後もアメリカらしい。『ニューヨーク・イブニング・ポスト』が戦闘の様子をスッパ抜き、ポトマック号の水兵たちによる虐殺と掠奪を明るみに出す。これが議論を呼び、英雄扱いされていたポトマック号司令官ジョン・ダウンズは閑職に回されてしまう。
やった事も酷いが、それをマスコミがちゃんと告発するあたりも、いかにもアメリカらしい。
全般としては、ポルトガル・オランダ・イギリスの熾烈な競争と強引な植民地政策を暴く論調が強い本だが、同時に国際的な貿易拠点として活況を呈していた南アジアの様子が意外だった。中国とインドの経済成長がマラッカ海峡にもたらす変化は…なんて、地図を見ながら考えたくなる本だ。
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