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2015年11月 1日 (日)

オーランド・ファイジズ「クリミア戦争 上・下」白水社 染谷徹訳 2

ニコライ一世は生涯を通じて軍人用の簡易ベッド以外のベッドで寝たことがなかった
  ――第2章 東方問題

1828年5月から29年2月までの期間に各地の陸軍病院で治療を受けた兵士の数は21万人に達した。実際に作戦に参加した兵力の実に二倍に相当した病人が出たことになる。しかし、ロシア皇帝の軍隊にとって、膨大な消耗率は決して異常な事態ではなかった。農奴出身の兵士の健康や福祉が顧みられることはなかったのである。
  ――第2章 東方問題

【どんな本?】

 1853年~1856年のクリミア戦争(→Wikipedia)は、どんな戦いだったのか。当時の大国である英国・フランス・オスマン帝国・ロシアなどの参戦国からオーストリアまで各国の歴史的背景から国際関係・思惑・内情をじっくりと書き込むとともに、戦闘の推移から船上の様子までを鮮やかに再現し、また戦後に与えた影響までを描く、一般向けの歴史書。

 オーランド・ファイジズ「クリミア戦争 上・下」白水社 染谷徹訳 1 から続く。

【各国の内情と思惑】

 前の記事では、ロシアとトルコの思惑を書いた。ロシアは東方教会(正教会)の庇護者として、バルカン半島の正教徒を保護し、コンスタンチノープル(イスタンブール)をムスリムから奪いかえす野望を抱えている。
 オスマン帝国は近代化に向け改革したくても、イスラム法学者と宗教指導者が邪魔して思うようにいかない。

 英国は、南下を目論むロシアにインドを食われると心配し、ロシア脅威論が台頭する頃、11月蜂起(→Wikipedia)で亡命してきたポーランド人も反ロシア世論を煽り、新聞が世論に乗っかって戦争機運が盛り上がってしまう。主戦論者は、クリミアに加えカフカスやバルト海にまで広がる全面戦争を求め始める始末。1940年代のどっかの国みたいだ。

 比較的に冷静だったのがフランス。そもそも宿敵の英国と組むのが気に入らないし、国民は戦争を嫌う。ナポレオン三世もソレを心得ていて、軽く戦って戦果を出し己の威光をあげ、和平に持ち込む算段をしてる。この本の全般を通し、ナポレオン三世は大きな野望を持ちながらもバランス感覚に優れた外交センスを発揮したように描いている。

 狡猾なのがオーストリア。ロシア軍のバルカン半島の南下で、調子に乗ったセルビアの民衆我が蜂起したら困る。そこで国境沿いに軍を動かしロシア軍の背後を突く形を取って牽制する。英国の思惑通りに大陸でドンパチやられたら自国が戦場になるんでたまらんので、中立国として仲介する立場を貫く。

 軍は動かすものの、結局最後まで直接の対立は避けてる(反乱の鎮圧はしてるけど)わけで、軍の使い方としては理想的だと思う。軍備は整えるけど戦わないってのが、最も適切な理想と現実の折り合いの付け方だよなあ。

【フランス軍】

 全般的にフランスを持ち上げる傾向にある本書、軍の内情の記述もフランス軍を誉める記述が多い。理由の一つにアルジェリア戦争(→Wikipedia)をあげてる。「フランス軍兵士35万のうち実に1/3がアルジェリア戦争の経験者だった」。兵の多くは農民で、創意工夫の才に長けている。

 こういった農民兵の臨機応変の才は、アントニー・ビーヴァーも「スペイン内戦」で書いてたなあ。

 対して、英国軍への批判はアチコチにある。曰く、兵への鞭打ちの習慣が残っている。士官は金で官位を買っており、上級士官の多くは軍事技術に疎く戦闘経験がない。兵の多くは失業者と最貧困層で質が悪い。

 両者の違いがハッキリするのがクリミア上陸の場面。フランス軍はその日の「日暮れまでに砲兵隊を含む全フランス軍が上陸を完了した」のに対し、「英国軍の歩兵部隊と騎兵部隊が上陸を完了するまでに5日かかった」。上陸しても、陸揚げした荷物を港から運び出すのに「すべての手続きに三通の書類が必要だった」。

 フランス兵は自分で蛙や亀や魚や、鼠まで調理するのに対し、英国兵は「戦争に行けばすべての食事は軍から支給されるものと思い込んでいる」。これは「何を食べるか」っていう、食事への柔軟性も大きいんじゃないかなあ。フランス人はカタツムリだって食べるし。

【英国軍】

 兵の質、組織の硬直性に加え、将兵の差もフランス軍は少なく、英国は大きい。特に最初の越冬の場面は悲惨。いずれも簡単に片付くと思ってたんで、冬服は用意してない。フランス軍は士官と同じマントを兵にも支給し、重ね着も許していたが、英国は「兵士が常に『紳士らしい』外装と身だしなみを保つことを要求していた」。

 雨漏りするテントの中で震える兵の苦労を、指揮官はどう見ていたかというと…

クリミアの厳しい冬を経験して帰国した何人かの英国軍士官と話したことがある。彼らは、現地の兵士たちがいかに悲惨な生活を強いられているかは帰国後に新聞で読むまで知らなかったと言って笑った

 目の前にいる部下の待遇すら知らずに士官が務まるってのも呆れるが、それを笑うって神経は…まあ、身分制って、そういうモンなんだろう。

 食事の工夫なども英仏で大きな差があるんだが、これは英国が遅れてると言うより、フランスが進んでいたんじゃなかろか。

 というのも、フランス陸軍はナポレオンが叩きなおした軍だし。砲科出身のナポレオンは科学や数学を重んじると同時に、兵站の重要性も身に染みて知っていた。戦いに勝って成りあがった人だから、軍の組織も身分制を壊し能力主義に作り変えただろう。革命を経たフランスと、貴族制が残る英国っていう社会そのものの違いも大きいんだろうけど。

【トルコ軍】

 従軍した兵の数に対し、本書じゃ冷遇されているのがトルコ軍。国家予算の70%を軍事支出が占める軍事国ではあるものの、体制は古くて…

中央集権的な軍隊機構も、指揮命令システムも、士官学校もなく、軍事訓練は貧弱で、依然として辺境出身の傭兵や部族民の部隊、そして非正規軍に依存していた。

 ってんで改革したくても、既得利権にしがみつく四万人の常備兵イェニチェリ(→Wikipedia)が邪魔するんだな、これが。

 トルコ軍士官の記述はほとんどなくて、兵の話ばかり。占領地で掠奪や虐殺に走る場面も多いが、全般的に悲惨な境遇を描く場面が多い。

トルコ軍の兵士は英国軍から奴隷同様に見下され、塹壕堀りとして、また、パラグラヴァ港からセヴァストポリ周辺の高地まで重い荷物を運び上げる人夫として使役された。宗教上の理由から英国軍の糧食の大半を食べることができなかったトルコ軍の兵士たちは常に飢餓状態にあり…

 宗教上の理由って、ハラール(→Wikipedia)だろうなあ。現代のイスラム系の国家でも、エジプト・シリア・トルコと、軍が大きな力を握る国は、軍が世俗化を先導してるけど、その原因の一つは、こういった戦場と宗教の相性の悪さがあるのかも。

 士官と兵の格差も大きく、全般的に酷い扱いを受けるトルコ軍だけど…

オスマン帝国軍は待ち伏せ作戦や小競り合いなどの「小規模戦」に優れており、攻囲戦では類いまれな能力を発揮したが、マスケット銃のような滑空銃を使って密集隊形で戦う訓練は行なっていなかった。

 こういった、小部隊での戦いに長けた性質は、「知恵の七柱」でも強調されてた。

【ロシア軍】

ある士官によれば、「マスケット銃の扱い方を知る兵士さえほとんどいない」という状態だった。「戦闘で勝利を収めるためにロシア軍が行なっていた唯一の訓練は行進の技術であり、正確な歩幅の取り方だった」

 と、体質の古さはトルコ並みなのがロシア軍。なんたって、ロシアには農奴制が残ってる。しかも戦費の多くを農民への増税で賄ってるってんだから酷い話だ。天候不順に加え、働き手と家畜を軍に取られ追いつめられた農民は地主を襲い、「深刻な騒乱事件が300軒以上発生した」。それでも第一次世界大戦まで帝制が持つんだから、わからんもんです。

 越冬の準備をしてないのはロシアもおなじなんだが、その対策は「外套の代わりに支給されていたのは大量のウォッカだった」って、おい。こういう、兵を粗末に扱う体質が第二次世界大戦で莫大な犠牲者を生んだばかりでなく、今でも残っているのが「チェチェン 廃墟に生きる戦争孤児たち」に描かれてる。

【次回予告】

 たぶん次の記事で終わります。

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