オスネ・セイエルスタッド「チェチェン 廃墟に生きる戦争孤児たち」白水社 青木玲訳
「ロシア軍が撤退しない限り、われわれの襲撃も続くだろう。チェチェン国外で軍事行動を起こすほうが有益であることもわかった。われわれの町が爆撃されても、誰も眉ひとつ動かさなくなっている。しかし国境の外に出れば、世界のメディアが争ってセンセーショナルなニュースを流す」
――第3章 最初の戦争「なんで私は物を覚えられないの?」
「忘れたいことがいっぱいありすぎるのかな」
――第7章 虐待児「学位なんか意味ない。お金で買えるんだから。ここじゃ何でも金次第。学位があったってコネがなきゃ終わり。就職にはなによりコネ。お金がモノを言うんだ。専門知識なんか二の次。だからこの国じゃ無知な奴ばっかり出世する。頭の中身はあんまり関係ないんだよ」
――第16章 戦争と平和「どの家族のこと?」
「四人の息子を失くした女の人がいるでしょう……」
「だからどこの?」
「どこのって、それ、どういう意味?」
「四人の息子を失くした女なんて、あの村では珍しくないんだよ」
――第18章 お茶だよ、婆さん
【どんな本?】
黒海の東、カスピ海の西、コーカサス山脈の北の麓にあるチェチェン(→Wikipedia)。1994年~1996年の第一次チェチェン戦争(→Wikipedia)、1999年~2009年の第二次チェチェン戦争(→Wikipedia)と戦禍は続き、今なお火種はくすぶり続けているばかりでなく、テロやマフィアの暗躍で近隣諸国にも影響を及ぼしている。
著者はノルウェーのジャーナリスト。密入国を含み数回にわたりチェチェンを訪ね、独立派の指導者,孤児院の運営者,そこに住む孤児たち,家族を失った未亡人,第二次世界大戦で従軍した老人から、チェチェン大統領ラムザン・カディロフや、その取り巻きたち、そしてチェチェン戦争に従軍した兵とその家族などに体当たりで取材して行く。
そこで浮かび上がるのは、チェチェン戦争が及ぼした影響と、チェチェンの文化・社会と権力構造、そこで生きる人々たちの暮らし、そしてプーチンによるチェチェン制御の手法だ。また、女性である強みを活かし、見えにくいムスリム女性の生活・立場・気持ちも描かれる。
チェチェン社会の底辺から頂点まで、ロシアの退役兵から民間人までと幅広い人びとの声を集め、複雑なチェチェン情勢を人々の声で描いてゆく、現代ジャーナリズムの傑作。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Angel of Grozny : Inside Chechnya, by Asne Seierstad, 2007。日本語版は2009年9月30日発行。単行本で縦一段組み本文約399頁に加え、廣瀬陽子の解説12頁と訳者あとがき5頁。9ポイント45字×20行×399頁=約359,100字、400字詰め原稿用紙で約898枚。文庫本の長編小説なら厚い一冊分ぐらいの分量。
【構成は?】
廣瀬陽子の解説が、背景となるチェチェン情勢をわかりやすく簡潔にまとめてあるので、最初に読むといいだろう。本文はほぼ時系列順だが、各章の内要は比較的に独立しているので、気になった章から読み始めてもいい。
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【感想は?】
戦争が悲惨なのは、今さら言うまでもない。
私のような軍ヲタは、ついつい苦戦する将兵に目が行く。だが、もっと辛い思いをする、だが往々にして見落とされる者がいる。それが孤児だ。
紛争地帯では、オトナですら喰うに困る。そんな所で、子供たちはどうやって生き延びるのか。その答えが、冒頭の「第1章 小さな狼」で描かれる。この章の主人公は、12歳の少年ティムール。戦争で家族を失い、姉リアーナとともに父の弟オマールに引き取られるが…
ティィムールとリアーナの境遇は悲惨な話で、救いもない。12歳の少年が、なぜ保護者の元を逃れ戦渦に荒れ果てた町で一人生きようとするのか。どうやって食いつないでいるのか。どんな理由であれ、社会が荒れると、そのツケは最も弱い者に回ってくるのが、世の中の仕組みなんだよなあ。
著者は第一次チェチェン戦争で、チェチェンに潜入する。ここで描かれるロシア軍の間抜けっぷりは酷い。ロクに歩兵の支援もつけずに戦車が市街地に入り、屋上から手榴弾に狙われ炎上する。進撃目標も示されず、地図もない。兵は市街戦について何も知らない。アフガニスタンの苦戦から、何も学んでいなかったようだ。
第一次停戦後、資金繰りに苦しむチェチェンにイスラム過激派が侵入してくる。元はスーフィズムだったチェチェンだが、ソ連時代のイスラム弾圧で宗教的な真空地帯だった所に、過激なワハビズム(ワッハーブ派)が入り込み、急激に勢いを伸ばしてゆく。こういった事情は、アハメド・ラシッドが「聖戦」で描く中央アジアとそっくりだ。
第一次停戦後、群雄割拠状態となったチェチェン。ロシア大統領プーチンは独立派の一人アフマド・カディロフを取り込み、傀儡として支配権を握らせる。2004年にアフマドが暗殺されると、その息子ラムザン・カディロフが事実上の支配者となる。
ラムザンによる支配の様子は、1989年以前の東欧とソックリだ。味付けがチェチェン風なだけで、秘密警察・密告制度・広がる腐敗・情報統制・拷問・個人崇拝、そして支配階級の贅沢な暮らしと、常に予定と居所を変えて暗殺を避ける暮らし。ラムザンは屋外では常に走っている。スポーツ好きの現れに見えるが、狙撃を避けるためでもあるんだろう。
そのラムザンは、プーチンの終身大統領就任を願う。当たり前だ。ラムザンの支配力は、プーチンの全面的な支援に拠るものだからだ。なぜロシアでプーチンが大きな支持を得ているのかが、ラムザンの例でわかる。ロシアの各州の知事はプーチンの指名によるものだ。プーチンに逆らえば、州知事はその地位を失うのだから。
そのラムザンが執務するのは、特別警護地帯。「特別警護地帯にいるのは、ロシア連邦軍ばかりのようだ」。ここに勤める青年たちは、カディロフの熱心な崇拝者ばかりだ。少なくとも、表向きは。
チェチェンの歴史を語る「第10章 寒い部屋で眠り、寒い部屋で起きる」も、なかなか衝撃的だ。第二次世界大戦の頃、スターリンはチェチェン人を中央アジアに強制移住させた。あの戦争のさなかに、アメリカから支援で得たトラックを使って、そんな事をしていたのだ。
ここに登場するヴァルハン爺さんは、大戦で志願して従軍し、ベルリンまで戦いぬく。「戦場では、チェチェン人の戦いぶりは、どんなに熱心な共産党員にも引けをとらなかった」。だが、終戦を迎えても、帰る故郷はない。「列車でカザフスタンへ送られたよ」。
敗戦国ならともかく、戦勝国なら、従軍した将兵を英雄として持ち上げるもんじゃないだろうか。そうすれば国民の愛国心を煽り、軍も権力者に忠誠を捧げ、権力者の地盤が安泰になる筈だ。国家ってのは、ここまで兵を粗末にしても、成立しえるものなんだろうか。
「第21章 拳」では、モスクワでの若者によるチェチェン人襲撃事件を扱う。若者たちは現代日本でいうネトウヨだが、実態はただのチンピラみたいだ。著者は犯人の一人アレクセイの家を訪ね、家庭の様子を描く。読むかぎり、単に甘やかされて育ったクソガキって気がする。ここでは、ロシアの刑務所の様子がわかるのも面白い。囚人の序列とか。
同じくこの章に登場するチェチェンの人気女性歌手のリーザ・ウマローヴァ、今なら Youtube で歌が聴ける(→その1、→その2)。リズミカルだけど、旋律は短調でもの悲しげ。ラテンっぽい雰囲気もあって、二昔前の演歌みたいな印象がある。日本人でも年配の人にはウケるんじゃないだろうか。
一時期は騒がれたが、今はシリアに話題を奪われ忘れられてしまったチェチェン。だが、ここで起こったこと、起きていることは、やがてシリアでも起きるだろう。辛苦くさい悲劇の話としても衝撃的だが、現在のプーチンによるロシア支配体制や、ロシア軍の内情もよく描いている。
単なるチェチェン情勢の報告におさまらず、ロシアとその衛星国の関係を生々しく暴露した作品として、この本には大きな価値がある。チェチェンばかりでなく、ロシアの世界戦略を知りたい人にもお薦め。
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