森深紅「ラヴィン・ザ・キューブ」角川春樹事務所
「私は、ここの人たちが共有する『言語』を早く見につける。だから一緒に仕事をするあなたにも私の『言語』を知って欲しかったの。いつか、私以外の人間がここに来る事も想定して彼らの為に、分かりやすいデータやマニュアルを整えておきたいのよ」
【どんな本?】
新鋭SF作家の森真紅(もり・みくれ)による、近未来を舞台としたロボット作りSF長編小説。ロボット・メーカーのファーイーストワークスの生産管理部門に勤める水沢依奈(みずさわいな)を主人公に、メーカーの設計・開発・製造そして生産管理などの職務と、そこに勤める者の社会や世界観を、生々しく描く「ものづくり」小説。
2008年第9回小松左京賞受賞作。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2009年2月8日第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約216頁。9ポイント45字×20行×216頁=約194,400字、400字詰め原稿用紙で約486枚。文庫本なら標準的な一冊分の分量。
デビュー作だが、意外なほど文章はこなれている。内要も、SF的なアイデアは、あまり凝っていないので、SFに慣れていない人でも充分に読みこなせるだろう。特に製造業に勤める人には身に染みる作品だが、流通や小売でも、新規ルートの開発や新規開店の経験があれば、それなりに感じる所は多いと思う。
【どんな話?】
ファーイーストワークス社では、最新型の建設用ロボット「グスタフ」の出荷記念式典が迫っている。量産プロジェクトのリーダーを務める生産管理の水沢依奈の元に、困ったニュースが飛び込んできた。アーム部に組み付け不良が出たというのだ。重要な部品だけに、放置はできない。出荷を延期するか、工場で部品を交換して間に合わせるか。
難しい判断と調整が必要な状況だが…
【感想は?】
作ること、造ること、そして創ること。
モノを「つくる」ったって、色んなパターンがある。一品だけのモノをハンドメイドで「作る」。一定の規格・設計で、等質の性能を発揮するモノを沢山「造る」。そして、全く新しいモノを「創る」。
冒頭、主人公の水沢依奈は、工場の新ラインの立ち上げを率いるプロジェクト・リーダーの立場にある。新型機「グスタフ」を量産する体制を整える仕事だ。同じ「つくる」でも、開発と製造は違う。開発は、新しいモノを創る仕事だ。だが、これを量産するとなると、話は全く違ってくる。
まずは部品の供給ルートを確保しなきゃいけない。組み立てるにしても、製品を完全に分かっている開発者が作業するわけじゃない。現場の作業員に、どんな作業をするのか教え、スムーズにラインが動くように工夫しなきゃいけない。そもそも、ラインの設計からする必要がある。
こういった細かい事柄の全体を監視して、スケジュールどおりに動くようにするのが、依奈の仕事だ。スケジュールどおりったって、何をするにしても、関係する全ての人にとって初めての事だらけだ。既に何度か新ライン立ち上げの経験があるから、大体の予想はつくにせよ、必ず以前のラインとは違う手順や部品が出てくる。
そういうわけだから、まずもって予定通りに進むことはない。冒頭の依奈も、出荷の土壇場でピンチに陥る。製造業に勤める者なら、この辺の描写で胃が痛くなるかもしれない。とにかくなんとかせにゃならん立場の依奈としては、責任の押し付け合いを始める関係者たちを宥めすかし、動いてもらわにゃどうしようもない。
などと現場を駆けずり回る一方で、それぞれの部門の長を務める方々への報告も必要になる。ヒラの立場で、数人の部長課長に囲まれ、クソ忙しいってのに会議に出席し、問題の内容と経過を報告し、それぞれの部門に必要な事柄を頼む。依奈に同情すると同時に、事態を巧みに切り抜ける依奈に舌を巻く所だ。
最近はどの工場も自動化が進み、それぞれの機械が何をやっているのか、現場の若い者は知らない。年配の職員は比較的に原始的な工程の頃から現場にいた。そのため、長い職務礫の中で、少しづつ自動化されてきたため、個々の機械がどんな原理で何をするのか、大まかな所は分かっている。と同時に、どんな間違いをしやすいかも。
この話では工場のラインだが、経験の長いプログラマなら、似たような経験をしているだろう。昔はアセンブラから始めてたから、ポインタも「アドレスの数字が入ってるのね」とピンとくる。オブジェクト指向ったって、構造体に関数の表を組み合わせたものだ。クラスは鋳型で、インスタンスは製品。メンバ関数はコールバック関数で…
などと昔は基礎からじっくり学ぶ時間があったが、最近の若い人は Rails だ CPAN だと、いきなり洗練された最新ツールを使う。単位時間当たりで作れる機能は増えたが、それがどういう原理で動いているのかを、じっくり学ぶ機会は奪われてしまった。何より新しい道具が次から次へと出てくるんで、それに対応するだけで一苦労だ。
などと、頭から身につまされるエピソードが満載だったりする。
同じ Webサイトを見ても、デザイナーはレイアウトやフォントに注目し、ネットワーク屋は応答性やセキュリティをチェックし、データベース屋は表のサイズと構造を思い浮かべ、プログラマはとりあえずソースを見る。あ、このブログのソースは見ないように。だって汚くて恥ずかしいじゃないか。
あ、いや、そういう話じゃなくて。とにかく自分で何かを作ったり造ったり創ったりしてる人は、同じモノを見ても、変に拘ったモノの見方をしたりする。あなたの周りにもいませんか、店でメシ食う度にレシピを詮索する奴。
組織や集団ってのは、動き始めて暫くすると、独自の言葉を発達させてゆく。お役所はお役所の言葉を、経理は経理の言葉を、工場は工場の言葉を。
依奈が勤めるファーイーストワークス社は、かなり大きい企業だ。企業に限らず、大きい組織では、部門ごとに異なった専門用語が発達してしまい、違う部署の者とは話が通じなかったりする。そういえば「伝説の鈴木さん」というコピペが…って、どうでもいいか。そんな状況を表しているのが、冒頭の引用。
当初は量産品の生産管理だった依奈に異動の話がかかるが、異動先はとんでもない所で…。これまた、何度か異動を経験している人には、「あるある」と思ってしまう場面がいっぱい。
お話そのものはシンプルだし、特に難しいSFガジェットも出てこない。ただ、それぞれの場面で語られる言葉は、ある程度の職歴を重ねた人にこそ伝わってくる匂いがある。わかりやすく読みやすいが、学生よりフルタイムで働いている人こそ楽しめる、ものづくりのお仕事小説だ。
【関連記事】
| 固定リンク
« ピーター・H・ディアマンディス,スティーヴン・コトラー「楽観主義者の未来予測 テクノロジーの爆発的進化が世界を豊かにする 上・下」早川書房 熊谷玲美訳 2 | トップページ | 宮崎正勝「[モノ]の世界史 刻み込まれた人類の歩み」原書房 »
「書評:SF:日本」カテゴリの記事
- 酉島伝法「るん(笑)」集英社(2022.07.17)
- 久永実木彦「七十四秒の旋律と孤独」東京創元社(2022.04.06)
- 菅浩江「博物館惑星Ⅲ 歓喜の歌」早川書房(2021.08.22)
- 小川哲「嘘と正典」早川書房(2021.08.06)
- 草上仁「7分間SF」ハヤカワ文庫JA(2021.07.16)
コメント