キース・ジェフリー「MI6秘録 イギリス秘密情報部1909-1949 上・下」筑摩書房 高山祥子訳 3
「ガソリン集積所は以下のとおり。ビゼルト海運駅時計塔の向かいの波止場、養魚場へのエルンク道路とゼブラ・ベイのはずれのシディ。アハメド・ロードの森林の中、ビゼルド=マチュール=フェリーヴェル鉄道ジャンクションの二キロ(繰り返すが二キロ)南西の交差点」
――14 流れの変化 より、1942年にチュニジアから来たドイツ軍の情報
キース・ジェフリー「MI6秘録 イギリス秘密情報部1909-1949 上・下」筑摩書房 高山祥子訳 2 から続く。下巻は第二次世界大戦の開戦から1949年まで。
【撤退】
第二次世界大戦でも一気に西ヨーロッパを席巻された連合軍、ところがどっこいレジスタンスは生きていた。先の大戦で活躍した「白衣の婦人」同様、ベルギーから「ドイツの夜間戦闘機の組織」や「正確な広域の鉄道情報」が届いてる。やっぱり占領地じゃ地元の人の気持ちが大事なんだなあ。
幸いSISは連合国の情報機関といい関係を築いていたようで、妙な利益も得てる。
SISにとってドイツの成功による逆説的成果のひとつが、チェコスロヴァキア、ポーランド、フランスといった敗北した連合国の情報機関との関係が強化されたことだった。
って事で、彼らが築いたエージェント網を受け継いだりしてる。ポーランド軍の将兵が連合国の一員として戦ったように、情報関係の人も自らの国を解放するために出来ることをやったようだ。にも関わらず、チェコスロヴァキアとポーランドの運命は…
あ、それと、スランスの記述が少ないのは意外だったマキとかのレジスタンスとは綿密に連絡を取り合い、またSISが支援もしてたと思うんだが、これはフランス側の情報を勝手に公開するわけにはいかない、みたいな配慮があるのかも。
【極東】
地域的には、やはりヨーロッパの話が中心で、極東のネタはポツポツと出てくる程度。こっちじゃ白人は目立つって問題はあるにせよ、文化や習慣の違いなどもあって、大きな成果は挙げていない模様。でも暗号は完全に解かれちゃってるけど。日本の警察もなかなか優秀だったようで。
1940年に東京の大使館に勤めていたSISのある情報部員は、のちに、日本の警察は彼に「中国でのSISの仕事の詳しい概略」を教えてくれたと回想した。
ニタニタしながら語ったんだろうなあ。それ以上に、そもそも好かれてなかったのもあるようで、「アジアの敵占領下の地域の人々は一般に、ヨーロッパの場合よりも、連合国を助けようとしなかった」。そりゃ当然だろうなあ。ボスが日本からイギリスに変わるだけで、独立できるわけじゃないんだから。
【メモをどこに隠す?】
掴んだネタを、どこに隠すかも重要な問題。ロシアは「中空になった棒」を好むようだけど、SISが好むのは「歯磨き粉や髭剃り用クリームなどのクリーム状のもの」。メモをコンドームに包んで、瓶に埋め込むわけ。他には「空洞になっているヘアブラシ、ネール・ブラシと歯ブラシ、携帯用鏡の裏、万年筆、鉛筆、靴底、石鹸」など。
あ、そこの学生さん、カンニングで使ったりしないように。
【潜入時の心得】
フランスには活発に潜入したようで、先輩から後輩へのありがたいアドバイスもあったり。曰く…
- どの小さな町や村にも、ゲシュタポにチクる奴が2~3人はいる。
- 人里はなれた見知らぬ土地で上陸に相応しい場所を探す時は、2~3の農場に寄って食糧を求めよう。警察に職質されたら「食料を探していた」と言えばいい。警察が農場に行って確かめれば、アリバイになる。
// 当時のフランスの都市部は飢えてたんで、田舎に買出しに行く人も多かったみたい。 - よそ者が地方に住みついたら。「手紙が来ない人間は、怪しい奴だと疑われやすい。最悪の場合、自分で自分に手紙を書け」。
// 当時は電話網が今ほど普及してなかったんで、普通の人の主な通信手段は郵便だったんです
【スパイの運命】
様々な手段を講じたにも関わらず、潜入スパイは長生きできなかった模様。「1944年末、ブロードウェイは、ドイツ国内でのエージェントの平均寿命は三週間と見積もった」。全体主義体制って、防諜には強いんだろうなあ。北朝鮮も潜入するのは難しそうだし。
【戦後】
戦争が終わり、暫くはナチスの復活を危ぶんだSISだが、次第に目標はソ連=共産主義へと変わってゆく。宣伝活動についても考えていたようで、面白い記述がある。
委員会はまた、「アラブが管理していると見せかけて、じつはイギリスの意見を普及させる手段となる通信社や放送局」を運営するための独立した組織が必要かもしれないと考えた。
時期的には大きくズレるけど、アルジャジーラをこういう目で見ると、とても怪しかったり。というのも、設立時のアルジャジーラの職員は、多くがBBCから移籍した人だから。ソースはヒュー・マイルズの「アルジャジーラ 報道の戦争」。
BBCは他にもいい仕事をしていて、例えば清水紘子の「来て見てシリア」には、「シリア人は国営放送はドラマま見るけど、ニュースはBBCから得る」みたいな事が書いてある。このBBCってのが海賊放送で、富豪が地中海に浮かべた船から放送してるというから、実にアヤシイ。
また別の本(たぶんティム・ワイナーの「CIA秘録」)によると、合衆国大統領で東欧崩壊に最も大きな功績があったのは、あのカーターだとか。それまでCIAは直接工作に力を入れていたんだが、方針を変えて東欧諸国の市民グループにラジオや無線機やFAXを配った。市民はこれでBBCを聞き、西欧の実態を知って立ち上がった、って構図。
今でも中国やロシアはインターネットを制限してるし、北朝鮮のラジオは特定の周波数しか受信できないようになってるって噂もある。「アラブの春」は Facebook から始まったし、人々に情報を手に入れる手段を渡すってのは、意外と安上がりで効率的なのかも。
いっそタリバンの神学校には、弾頭に「ToLOVEる」の単行本を詰め込んだヘルファイアを撃ちこめば←日本がテロの標的になります
【007】
SISのエージェントは殺しのライセンスは持っていないようだけど、一部は事実に基づいてるようで。例えば長官の「M」、実際は「C」で、これは初代のカミング以来ずっとサインは緑のインクで「C」と書いているとか。また、二次大戦までは独立していた工作部隊のSOE、これは戦後にSISに吸収されてる。
ケッタイなガジェットを開発しているのも事実で、銃の消音機も開発してる。警察犬をまく方法は、ちょっと笑ってしまう。中でも詳しく書いてあるのが、機密書類を手早く消す方法。特製の金庫で、手早く書類を燃やす技術を開発してたり。
【リクルート】
組織は大きくなるけど、人を集めるのは一苦労。それまでは知人を頼って集めてたけど、広く世間から集めたい。でもハローワークで求人するわけにもいかず。この辺の苦労は笑っちゃう。ある学生をスカウトしたのはいいが、その勤務条件が…
「給与額不明、任地不明の在外勤務を提示」され、「ただ、おもしろい仕事のはずだとだけ言われた」
これで優秀な人間が集まるわけもなく。隠れ蓑として出入国審査官を用意するが、「だたの出入国審査官のために、なぜあんな手のこんだ選定経緯が必要だったんだ?」と突き上げられ、「頭のいい質問者を騙すのは難しい」とボヤいてる。賢い人が欲しいのに、賢い人はSISの煙幕に騙されない。どないせえちゅうねん。
【ロシアより愛をこめて】
「ロシア人に情報交換を期待するのは無理だ。われわれは、何も返ってこないという心の準備をしなければならない」
――16 ヨーロッパでの勝利 より、陸軍セクションの長、ハットン=ホール
戦後はソ連および共産圏に標的が変わり、重要な地域も変わる。けど国はスッカラカンで、予算も減らされてしまう。笑っちゃうのが、オーストリアでの苦戦。曰く…
どんな戦略がとられようと、エージェントをめぐってはアメリカとの競争があり、彼らは「おおかかえ料として多額の支払いをしていた」。
イギリスもアメリカの物量作戦に泣いたようです。でもFBIやCIAとは後も仲良くやってたようなんで、全体としては良かったんじゃないかな。
【外交官】
逆に難しいのが、イギリスの在外大使との関係。現地のSIS指揮官と大使のウマが合えば問題ないんだが、ソリが合わないと大変。大使の仕事は、その国との友好的な関係を築く事なわけで、SISの仕事とはどうしても衝突する。友好的なアメリカあたりは問題ないんだけど、中立国や東側じゃSISが冷遇されてたりする。大変だなあ。
【願望】
協力関係があって初めて、情報部は顧客が必要とすることを理解し、それに応えられる。だが関係が近くなりすぎ、理解が完璧になりすぎると、情報部は単に顧客があらかじめ必要とするものだけを探して提供するという危険が生まれる。
――10 沈まずにいる「予想される考えや前もってあった推論と一致する情報は過大評価され、予想と一致しない情報は価値を減じられ、“失われ”、抑圧されさえした」
――17 アジアと戦争の終結
911を、そして311も防げなかった理由の一つがコレだろう。権力者の機嫌が良くなる情報をもたらせば、それをもたらした者は権力者のお気に入りになる。逆に権力者が気に食わないニュースを持ってくる者は嫌われる。
これは別に権力者に限った事じゃない。Twitterのタイムラインや本棚は、人により様子が全く違う。誰だって自分の意見に近い人をフォローし、反対意見の人が書いた本は読まない。だから、同じ現実を見ていても、人により見える世界は全く違うし、時とともに違いが更に大きくなっていく。
若いころは学校で無理やりに教科書を読まされるけど、大人になったら自分で好きな情報源を選ぶようになり、思想を変える機会を失ってゆく。じゃどうすりゃいいのかと言われても、私には答えられない。
【全般】
学者が書いた本なので、文章はもの静かで冷静。実はとても衝撃的な事が書いてある所もあるんだけど、売れっ子小説家みたく「ココ大事ね」みたいなサインはないんで、読者が注意深く読んで拾わなきゃいけない。そういう面倒くさい部分はあるにせよ、スパイ物としての面白さは充分にある本だった。
ただ、イギリス国内でのSISの支配権を巡る縄張り争いは、イギリスの政治史に疎いと退屈かも。というか、私は退屈しました、はい。
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