ハンヌ・ライアニエミ「複成王子」新☆ハヤカワSFシリーズ 酒井昭伸訳
<狩人>が襲ってきたとき、おれはちょうど、<シュレーディンガーのキャット・ボックス>に宿る、おびただしい亡霊猫を死なせていた。
【どんな本?】
フィンランド出身で数学の学士号と数理物理学の博士号を持つ新鋭SF作家による、長編SF小説であり、前作「量子怪盗」に続く怪盗ジャン・ル・フランプール三部作の第二部。
遠い未来、人類が様々に変容して太陽系に拡散し、また人格を記憶媒体への記録・複成・復元が可能となった世界を舞台に、戦闘サイボーグ少女ミエリと高度な知性を持つ宇宙船<ペルホネン>の支援を得て、お宝を求める怪盗ジャン・ル・フランプールが封鎖された地球へと潜入する。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原初は The Fractal Prince, by Hannu Rajaniemi, 2012。日本語版は2015年8月15日発行。新書版ソフトカバー縦二段組で本文約373頁に加え、訳者による用語解説6頁+訳者あとがき7頁。9ポイント24字×17行×2段×373頁=約304,368字、400字詰め原稿用紙で約761枚。長編小説としては厚めの文庫本一冊分ぐらいの分量。
ズバリ、とても読みにくい。文章は問題ないのだ。それより、内容が問題。これは大きく分けて二つ。
まず、次から次へと捻りに捻ったSFガジェットが細かい説明無しに続々と出てくる。かなりSFを読みなれていて、イれた発想に慣れていないと辛い。
次に、お話が複雑怪奇。舞台背景となっている太陽系の勢力構造がよく分からないので、登場人物・登場勢力間の関係が、ちょっとピンとこない。また、肝心の主人公怪盗ジャン・ル・フランプールの得意技が変装なので、新しく人物が登場する度に「コイツの正体は誰だろう?」と疑いながら読む羽目になる。
【どんな話?】
火星から地球に向かう宇宙船<ペルホネン>の中で、ジャン・ル・フランプールは<箱>を探る。20年前、ゾクかた頂いたブツだ。ゾクの長老ドラスドールによれば、何か危険なものが封じ込めてあるらしい。
精神共同体によって封鎖された地球。その都市シッルに、人びとは生き残っている。軌道上のコロニーが落下した殻の一部が、最後の人類都市シッルを守っていた。砂漠ではワイルドコードが荒れ狂う。人は廃墟からゴーゴリを掘り出し、精霊として使役し、または精神共同体に売って暮している。
【感想は?】
相変わらず濃い。もう、何が何やら。
今回のテーマは、千一夜物語だろう。舞台は地球で唯一の都市、シッル。そしてヒロインは二人の姉妹だ。姉のドゥンヤーザードど、妹のタワッドッド。いずれも市の有力者、カッサール・ゴメネスの娘。
千一夜物語に登場するのは、姉シャハラザードと妹ドニアザード。妹が姉にお話をせがみ、姉が妹と王様に語り聞かせる形で、話が進む。その話の中で、登場人物が別のお伽噺と始め、その話の中で…みたいな何重もの入れ子構造になっている。
千一夜物語は、語る物語によってシャハラザードが己の命を繋ぐお話だ。それだけに、物語がお話で重要な鍵を握る。それもこの作品は継承していて、タワッドッドやフランプールが語る物語が重要な役割を果たすと同時に、オリジナルの複雑な構造も発展した形で受け継いでたり。
お陰で、ただでさえ難しいライアニエミ作品が、更に複雑な迷宮になってしまった。
千一夜物語のシャハラザードは賢く控えめな乙女なんだが、ドゥンヤーザードは強烈だ。有力者の娘として強い権力志向を持ち、覇気のない妹を何かとコキおろし、あの手この手で妹を操ろうとする、ヤリ手の猛女。賢い所はシャハラザードと似ているが、性格は大違いなのに笑ってしまう。
対する妹のタワッドッドは、一家の変わり者で、貧しい人を相手の慈善事業に精を出している。この小説でも、フランプールと並んで重要な役割を果たす。
彼女たちが住む地球の都市シッルが、モロに千一夜物語の世界で。砂漠にはヒトに取り憑くワイルドコードがうようよしていて、風に乗ってシッルにも潜りこんでくる。正体はともかく、雰囲気は小さくイタズラな精霊(ジン)って感じ。
ジンにも色々あって、ヒトに使役される者もいる、これがなんと携帯用の壺に入っているから楽しい。千一夜物語の壺の精霊はたいていがロクなもんじゃないが、こっちの精霊は何度でもお願いを聞いてくれるから嬉しい。ただし、壺を持ってるのは自分だけじゃないのが、ちと厳しいところ。
子供向けの絵本じゃ割愛されてるが、実は千一夜物語にはけっこう色っぽい話もある。何せ発端からして王が娘を差し出せと下す命令だし。ってなわけで、普通に男女の話もあるし、女のジンが新妻を開発する話や、老人と青年が少年を奪い合う話もあったり。今のアラブは厳しいけど、昔はかなりおおらかだったんだろう。
そんなわけで、この話も少しは色っぽいパートがあったり。いや描写はアッサリしてるんだけど。
著者がフィンランドという小国出身のためか、出てくるガジェットや言葉も国際色豊か。やはり物語の鍵となる神鳴石はどう考えても日本語。龍の形態は日本や中国の龍を思わせるが、その性質はむしろ西洋のドラゴンに近く、実に忌々しいシロモノ。
かと思うとサウナの場面もあって。どうもオールト雲にはフィン人も移住しているらしい。フィン人にはやたら孤独を好む人もいて、敢えて誰もいない森の奥へ移住する人がいるらしいから、密度も温度も低いオールト雲は住みやすいのかも。にしても、クールダウンの方法は豪快だw
などとわかりやすいガジェットばかりでなく、マイクロ・ブラックホールをコキ使ったり宇宙ひもを操作したりと、もうやりたい放題。
先端の物理学と情報工学を駆使し、絢爛豪華で猥雑な千一夜物語の世界を再現し、派手な宇宙空間での戦闘や狡猾な騙しあい、そして大掛かりな太陽系内の勢力争いを描く、思いっきり濃いエッジなSF小説。生半可なSFじゃ満足できないジャンキー向けの作品だ。
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