「新版 世界各国史 3 中国史」山川出版社 尾形勇・岸本美緒編
「中国」というまとまりは、数千年にわたる人びとの政治的・経済的・社会的な営みのなかで変動しながら形成されてきたものである。そして「中国」という観念は、人びとが自らの過去をたえず解釈しながら構成・再構成してきたものであるという意味では、思想的な産物でもある。
【どんな本?】
中国史の教科書。文明の曙から胡錦濤政権までの中国の歴史を、正史などの文献に加え考古学上の成果も併せ、王朝の変遷,社会階層,統治・収税制度,軍事・外交情勢,技術・産業・経済政策,文化・思想など、様々な角度から冷静な筆致で描いてゆく。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
1998年6月20日1版1刷発行。私が読んだのは2011年11月30日発行の1版7刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約478頁。9ポイント47字×17行×478頁=約381,922字、400字詰め原稿用紙で約955枚。文庫本の長編小説なら上下巻ぐらいの分量。
文章はこなれている。内容も意外なくらいにわかりやすい。なんといっても教科書だ。そのため、前提知識はほとんど要らない。内容を理解するのに必要な事柄は、全てこの本に書いてある。中学卒業程度に社会科の知識があれば、充分に読みこなせる。
【構成は?】
全体が素直に時系列順の編成になっている、また各章はほぼ独立しているので、気になった章だけを拾い読みしてもいい。
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【感想は?】
良くも悪くも教科書だ。しかも、駆け足の。
なんといっても中国の歴史である。時間軸的にも長い上に、地理的にも広く、内部の勢力争いや周囲の国際情勢も複雑だ。それを一冊で済まそうとするのだから、否応なしに駆け足になるのは仕方がない。
例えば、お馴染みの三国志。黄巾の乱が始まってから4頁程度で曹操が死ぬ。呂布なんか影も形もない。そのかわり、巷の三国志では割愛されがちな劉備の死以降、晋の建国までの経緯も書いてある。ばかりでなく、後の科挙の雛形となった、魏の制度である九品官人法などの制度も解説している。
私は中国史に疎く…というか歴史全般に疎い。情けない話だが、論語と三国志と西遊記と水滸伝を時代順に並べる事すら怪しい。だから、とりあえず有名な事柄だけでも手っ取り早く流れを掴んでおきたい、と思って読んだ。そういう目的には、充分に適った本だ。
反面、登場する人物像はカキワリになるし、面白いエピソードはあまり出てこない。全般的に歴史の捉え方は制度・財政や産業を中心に据えた考え方であり、人物中心の物語風ではない。そういった部分が、良くも悪くも教科書な所。
例えば、やはり三国志の例だと、黄巾の乱の経緯。これが、まず第一次農地と第二次農地の違いから話が始まる。第一次農地は、もともとから農地に手適した場所で、国家がどうなろうとなかなか荒れない。第二次農地は国家が主導して開拓した所で、「国家が保護と管理を怠れば、全域が荒蕪地に戻ってしまう」。
次に反乱を第一次農地と第二次農地に分ける。第一次農地の場合、地域の豪農・豪族が栄える反面、小農が行き詰った結果だ。だから反乱軍は地域の豪族を狙うだけで、国家転覆を狙い全土に広がることにはならない。
だが第二次農地の反乱は違う。これは国家が管理を怠ったために農民が食えなくなるわけで、悪いのは国家であり皇帝だ。ならば正統な皇帝を立てよう、というわけで、王朝そのものの危機になる。
という事で、三国志ファンには悪役としてお馴染みの董卓も、この本では影が薄い。三国志の人物で最も記述が多いのは曹操だが、その曹操もロマンスや性格の話はほとんど出てこない。彼の記述の中心は、土地を失った農民を集め屯田制で兵と軍糧を調達したことなどに割いている。
つまり、人物像に踏み込んだ物語としての面白さはない反面、社会システムなどの面から物語の舞台裏を覗く楽しみはある本と言える。ただ、やはり中国史を一冊で済まそうなどという無謀な試みなだけに、踏み込んだ記述がないのは仕方がない。
ギボンの「ローマ帝国衰亡史」もそうなんだが、これぐらい大きなスケールで歴史を見ていくと、それぞれの王朝の栄枯盛衰に似たようなパターンが見えてくるのも、こういう本の楽しみの一つだろう。ローマの場合は周辺の蛮族の侵入だったが、中国史の場合はそれに加え体制そのものの疲弊で中から崩れるパターンが多い。
色々あって群雄割拠になり、統一政権ができる。新政権は農地改革を進めて貧農の救済を謀る。最初のうちはこれが歓迎され、国家が栄えてゆく。だが次第に豪農が小農を吸収して貧富の差が広がり、官僚の間にも腐敗が広がってゆき、食い詰めた民の不満が高まって…というパターン。
「中国」って国の定義も、歴史を手繰るとなかなか難しい事がわかってくる。極端なところでは殷王朝で、「殷王が直接統治していたのは、一般のイメージとは異なり、半径20kmをこえない程度」とある。周囲の豪族たちの長みたいな位置づけらしい。連邦国家みたいな感じかな。まあ、当時の主な移動手段は徒歩だろうし、その程度が限界だったんだろう。
秦が黄河上流と、中国西北部に中心があったのに対し、南宋になると長江以南の海岸部が中心になって、支配地域が全く違う。秦があったあたりは西夏になり、東北部から北京あたりは金になっている。金は女真族の国だからなんとなく中国と言えるのは南宋だろうと思いたくなるが、なら清はどうなのよって事になるし。
ちなみに今の中華人民共和国の領土に最も近いのは、やはり清帝国だったりする。この末期、マカートニー率いるイギリス使節団に乾隆帝が与えたイギリス国王宛の二通の上諭に、中華思想の真髄が現れている。
イギリス国王の「恭順の誠」に満足の意を示すとともに、「地大物博」の天朝は自給自足で本来貿易を必要としないが、相手国のために恩恵として貿易をしてやるのだ
と、見事な上から目線だ。ここまで自国に誇りを持つこと自体は構わないと思うんだが、裏づけとなる軍事力がなかったんだよなあ。なまじ帝国として東アジアに君臨していたために危機感を抱けなかったんだろう。逆に島国として常に大陸の圧力を感じていたのが、日本には幸いしたのかも。
後半で孫文が出てくるあたりから、日中関係の複雑さを実感してしまう。中国の現代史では欠かせない孫文は、日本に留学していた。孫文に限らず、当時のリーダー層で日本に留学していた人は多い。つまり知日家が揃っていたんだが、外交的には決して親日じゃない。このあたりは、もう少し掘り下げた本を読む必要がある。
現代の記述では、イデオロギーの変遷に納得してしまう。今までの共産主義が民衆に通用しなくなってきた、そこで代わりに持ち出したのが愛国主義だ、と。こんな風に政策の転換でイデオロギーを持ち出さにゃならんのも大変だよなあ、とは思うが、愛国なら大概の政策は理屈をつけられるわけで、便利なシロモノではある。
なんといっても、一巻で完結しているのがこの本の嬉しいところ。しかも古臭い人物中心の史観ではなく、制度や財政や産業が中心なのも私の好みに合う。とりあえず手軽に中国の歴史の全体像を掴むには格好の本だろう。とまれ、手軽と言ってもハードカバーで500頁を超えちゃうあたりは、さすが中国。
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