サミュエル・R・ディレイニー「ドリフトグラス」国書刊行会 浅倉久志・伊藤典夫・小野田和子・酒井昭伸・深町眞理子訳
「ヴァイム、なんのせいにしろ、壁のなかへ閉じ込められるってことにがまんできるかい?」
――スター・ピット「あなたたちは空の彼方で回転し、世界はあなたたちの下で回転する。そしてあなたたちはあの土地からこの土地へと歩きまらり、あたしたちは……」
――然り、そしてゴモラ……今世紀に縦と横の座標軸をとってもらおうか。そこから一つ象限を切りとって。よろしければ第三象限を。おれは50年に生まれた。いまは75年だ。
――時は準宝石の螺旋のように「……メッセージを――帝国の星(エンパイア・スター)へ」その発音には、外星人が使う星際語特有の、明快で厳密な響きがあった。「メッセージを伝えてくれ――エンパイア・スターに!」
――エンパイア・スター
【どんな本?】
1960年代にデビューし、華麗な文体で一世を風靡したアメリカのSF作家サミュエル・R・ディレイニーの中短編を、日本独自のセレクションで編集した作品集。1960年代後半から1970年代初頭の、初期作品が多い。文学的な冒険に満ちた独特の文章、やさぐれた雰囲気を漂わせる登場人物たち、そして海岸の描写が多いのも特徴だろう。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2014年12月25日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦二段組で本文約536頁に加え、高橋良平の「ディレイニー小伝」25頁+伊藤典夫の「『時は準宝石の螺旋のように』のこと」2頁+酒井昭伸の「『エンパイア・スター」推測だらけの訳者補記」3頁+収録作品データ3頁。8.5ポイント25字×22行×2段×536頁=約589,600字、400字詰め原稿用紙で約1,474枚。文庫本なら3冊でもおかしくない分量。
独特のスタイルで、やや読みにくい文章だ。これは訳の問題ではなく、原著者であるディレイニーのせい。冒頭のスター・ピットから、アイデアもストーリーも圧縮した個性的な作品に仕上がっている。ディレイニーならではの魔術をじっくり味わおう。
【収録作は?】
それぞれ 日本語の作品名 / 英語の作品名 / 初出 / 訳者。
- スター・ピット / The Star Pit / <ワールズ・オブ・トゥモロウ>1967年2月号 / 浅倉久志訳
- 銀河系に人類が進出した未来。しかし人類は銀河系の外へは出て行けなかった。銀河系から二万光年以上離れると、人類を含む知的生物もコンピュータも発狂してしまうのだ。幸い、偶然に突破口が見つかる。ゴールデンだ。ごく稀に生じる、ある極端なホルモン平衡失調を抱えた者は、狂気の淵を越えて生還できるのだ。
帰る所を失ったおれは、銀河系の外縁スター・ピットに流れ着き、修理格納庫を営んでいる。ラトリットは早熟な若者だ。ポロウスキーの店で働く修理工。彼は愚痴る。「なんのせいにしろ、壁のなかへ閉じ込められるってことにがまんできるかい?」 - いきなり鮮やかなイメージと濃縮した物語に圧倒される、ディレイニーらしいクセの強い作品。二つの太陽を持つ異星、複雑な生態系を閉じ込め観察できる生態観察館、特異な能力を持つ代償に人格が破綻したゴールデン、野望を持つ早熟な若者ラトリット、ドラッグまみれの少女アレグラ、着実に次のステップに進もうとする若者サンディ、そして疲れたオッサンの主人公ヴァイム。
銀河の辺境スター・ピットの油臭い空気が漂う中で、生きる意味・ヒトとしての成長・自由を求めての暴走など多くのテーマとSFガジェットをギッシリと詰め込みながら、鮮やかな手並みで破綻なく華麗な物語を織り上げる、ディレイニーの奇跡的な手腕を堪能できる作品。 - コロナ / Corona / <ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション>1967年10月号 / 酒井昭伸訳
- バディは24歳。刑務所を出た後はケネディ宇宙港で働いている。9歳の少女リーは、ニューヨークの病院に閉じ込められていた。人の心が読めてしまうため、リーは死にたがっていた。そしてもう一人、人気歌手のブライアン・ファウストが登場する。
- 先のスター・ピットに比べると、かなりわかりやすくシンプルな作品。元不良少年の若者バディと、特殊能力を持ち隔離された少女リー。味付けによってはライトノベルにも少女漫画にもなりそうな、原型的な作品。
- 然り、そしてゴモラ…… / Aye, and Gomorrah... / ハーラン・エリスン編 Dangerous visions 1967年 / 小野田和子訳
- おれたちスペーサーはパリに下り、ヒューストンに下り、バスでパサデナへ行き、モノラインでガルベストンへ…そしてイスタンブールに下りてきた。みんなと別れたおれは、チャーミングな女と出会った。「あなた最初は男だったの、女だったの?」
- 1967年ネビュラ賞短編部門受賞。ディレイニーらしく、性、それも倒錯した性を扱った作品。当時のアメリカのフリーセックスの風潮を反映してか、かなり開放的な社会を舞台に、倒錯についての議論が展開してゆく。
- ドリフトグラス / Driftglass / <イフ>1967年6月号 / 小野田和子訳
- おれ、キャル・スヴェンソンが彼女アリエルと出会ったのは海岸だ。ガラスの欠片が海で洗われ、角が丸くなったドリフトグラスを探していた時だ。あの事故の少し前、おれはファオと友だちになった。おれが高圧線を施設していた時、ファオの網にかかったんだ。
- 再びディレイニーお得意の海辺で展開する物語。人口爆発で海洋開発が盛んになった未来。肉体を改造し両棲人となったキャルやアリエルと、改造しない肉体で漁師として生きているファオ、そして次の時代へ向かうファオの姪たち。かつて危険な職務に挑み事故にあったキャルと、新たな困難な任務に挑もうとする若い両棲人トーク。そして陸と海。多くの人々を対照させながら、過ぎてしまった者・今を生きる者・未来へ向かう者を、詩情豊かに描いてゆく。
- われら異形の軍団は、地を這う戦にまたがって進む / We, in Some Strange Power's Employ, Move on a Rigorous Line / <ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション>1968年5月号 / 深町眞理子訳
- 《ヒーラ・モンスター》。巨大な水陸両用車。全世界動力委員会が提供する、大ケーブル網を全世界に施設して回っている。今回の仕事は珍しい。カナダ国境の転換工作だ。ついさっき、わたしは昇進してセクション・デヴィルになった。もう少ししたら転勤になるだろうが、それまでは今までどおりメイベルの仕事を手伝う事になるだろう。
- 社会から隔絶し集団生活を送るコミューン《高い安息所》と、そこに電力を届け文明に同化しようとする《ヒーラ・モンスター》の出会いを描く物語。1968年、ヒッピー文化華やかなりし頃。多くの若者たちがアメリカの社会から離れ、それぞれにコミューンを作っていた社会背景を強く反映した作品。
巨大な水陸両用車《ヒーラ・モンスター》と、軽快なプテラサイクル。デヴィル/デーモンと悪魔を連想させるブラッキーたちと、ハイ・ヘイヴンと天国を思わせるロジャーたちなど、命名の遊びも楽しい。 - 真鍮の檻 / Cage of Brass / <イフ>1968年6月号 / 伊藤典夫訳
- 岩と雪ばかりの平原にある牢獄、<真鍮>。その底の独房には、ホークとピッグがブチ込まれていた。そして今日、もう一人が入ってきた。ジェイスン・ケージ。地球のヴェニスで捕まった。そして、ケージは語りだす。なぜ捕まったのか。ヴェニスでなにをやらかしたのかを。
- 互いに姿は見えないが、話はできる三人の囚人。現在に振興する三人の会話と、ケージの昔話が交互に語られ…
- ホログラム / High Weir / <イフ>1968年10月号 / 浅倉久志訳
- 火星の基地からたった65マイルのところに、それはあった。パルテノン神殿ほどの遺跡。調査に来たリムキンたちは、彫像を見つけた。その目は直径9インチ奥行き1フィートの円筒で、つやつやした凹面に磨きあげられている。その目にライトを当てると…
- 火星で火星人の遺跡を見つける。という道具立ては、今となっては少々古臭い感がある。遺跡にしても、探査衛星で見つかるだろうし。とはいえ、大量の画像や動画をコンピュータで扱う現代だと、ホログラムのアイデアは魅力的だ。現実の技術ではJPEGが似たような能力を実現しているかな?
- 時は準宝石の螺旋のように / Time Considered as a Helix of Semi-Precious Stones / <ニュー・ワールズ>1968年12月号 / 伊藤典夫訳
- ガキの頃はハロルド・クランシー・エヴァレットって名だった。マイルズおっさんの酪農場からヘリコプターをかっぱらって飛び出し、さっそく捕まって刑務所だ。何回かオツトメして、おれは少し利口になった。二年ぶりのニューヨーク、そこで女から今月のコトバを聞いた。碧玉、ジャスパー。
- 1969年ネビュラ賞中短編部門、1970年ヒューゴー賞短編部門受賞のダブル・クラウンに輝いた作品。コロコロ変わるが頭文字は常にHCEの主人公・「今月のコトバ」・シンガーなど、冒頭から数々の魅力的なアイデアを散りばめつつも、詳細はわからない。だが物語が進むに連れ、それぞれの仕掛けが次第にハッキリしてくる。そう、まさしくホログラムのように。
- オメガヘルム / Omegahelm / クリストファー・キャロル編 Beyond This Horizon 1973年 / 浅倉久志訳
- 入江で海を眺めるヴォンドラマク。彼女に別れの挨拶を告げにきたギルダ。五年の間、二人は協力してやってきた。そして今、ギルダは辞表を出し、ヴォンドラマクは受け入れた。
- 私には何が起きてるのか全く分からなかった。途中のヴォンドラマクの娘の挿話には強烈な印象を受けたけど。
- ブロブ / Among then Blobs / <ミシシッピ・レビュウ>47・8号 1988年/ 小野田和子訳
- ニューヨークの地下鉄を乗り継ぐジョー。今は夕方のラッシュアワーだ。ルシプリン-6製ロケットに乗ったバット-Dは、恒星間空間を突っ走り、<ブロブ>との接触に向かっていた。
- マニアックな趣向のSFポルノ。ニューヨークの地下鉄のトイレは、ハッテン場らしい。そこをハシゴするジョー君の、数々のファースト・コンタクトを描いている…のかなあ?
- タペストリー / Tapestry / <ニュー・アメリカン・レビュウ>9号 1970年 / 小野田和子訳
- 肌理の粗い亜麻布のタペストリー、全部で七面。だがそのパネルは端が裂けている。そこに描かれているのは一角獣。失われた布地には何が描かれていたのか。
- 一角獣を捕らえるには、処女を囮にすればよいという。いかにもファンタジックで綺麗な話だが、その場面をリアリティたっぷりに描いた皮肉な作品…じゃ、ないかな?
- プリズマティカ / Priamatica / <ファンタジー・アンド・サイエンス・フィクション>1977年10月号 / 浅倉久志訳
- 貧しいがすばしっこく機転が利く赤毛のエイモスが酒場に来た時、大きな黒いトランクを持った灰色の男が人を募っていた。わたしと友だちに力を貸してくれ、沢山の宝石と黄金で骨折りに報いるから、と。承諾したエイモスは、灰色男の船へと乗り込み…
- 赤毛の船乗りエイモスと、胡散臭い灰色男が繰り広げる、知恵と冒険のおとぎばなし。技巧的なディレイニーには珍しく、これは子供でも楽しめるわかりやすいストーリーだ。赤毛のエイモス・灰色の男・黒いとランク、そして虹の国の王子と、色が物語を読みとく一つの鍵となっている。
- 廃墟 / Ruins / <アルゴル>1968年1月号 / 浅倉久志訳
- 奥歯は折れ、サンダルは片方を失くし、身にまとうのはぼろだけのこそ泥クリキットは、夏の夕立を避けて入り口に駆け込んだ。ここはミエトラの東の神、キルケの見捨てられた神殿の一つらしい。奥から明かりが漏れている。向うを覗き込んだクリキットは、息をのんだ。
- これもまた、おとぎ話仕立て。こそ泥が雨宿りで駆け込んだ、崩れた神殿の奥には、豊かな財宝と美女が潜んでいたが…
- 漁師の網にかかった犬 / Dog in a Fisherman's Net / <クォーク>3号 1971年 / 小野田和子訳
- パノスはコンクリートに魚網を広げて繕っている。弟のスパイロは木箱を甲板から桟橋に運んでいた。運び終わったスパイロが船を岬の裏に回していた時、犬がパノスの網にからまって暴れ始め…
- SFではない。ギリシャの小さな島で生きる、若く貧しい漁師の兄弟を描く切ない話。
- 夜とジョー・ディコスタンツォの愛することども / Night and the Loves of Joe Discostanzo / アン・マキャフリイ編 Alchemy and Acadeny 1970年 / 小野田和子訳
- モルガンサを消してしまったジョーイ。残ったのは多くのサソリ。その一匹に足を刺されたジョーイは、一輪車を駆って東翼棟の七階へ向かう。その部屋にいるのはマキシミリアン。「あんたはおれの空想の産物だ。どうしてそれを認めようとしないんだ?」「それは、きみが私の空想の産物だからだ」
- 迷宮のような館の中。奇妙にねじれた時間。そして互いが自分の空想の産物だと思っているジョーイとマキシミリアン。物語も迷宮のようで、何が起きているのかよくわからなかった。
- あとがき――疑いと夢について / Afterword : Of Doubts and Dreams / 単行本「プリズマティカ」 / 浅倉久志訳
- ディレイニーが、自らの創作手法について語ったエッセイ。彼の独特の作品を生み出す秘訣がわかるかと思ったが、そこはやっぱりディレイニー。わかるような、わからないような、やっぱりよくわからない話なのだった。
- エンパイア・スター / Empire Star / 1966年 / 酒井昭伸訳
- プライアシルを産出する以外は何もない辺境の衛星リースの、地下農場で働く少年コメット・ジョーは、仔猫悪魔のディ=クを拾った日に、もうひとつ拾い物をした。宝石。これが、ジョーを宇宙の旅へと誘った。エンパイア・スターへと。
- この本では最も長い作品。辺境の貧しい星に生まれた少年が、偶然に拾った“宝石”にメッセージを託され、銀河の命運をになう冒険の旅に出る物語…って、まるきしスターウォーズ「新たなる希望」じゃないか。一見、ストレートなスペースオペラかと思って読み始め、あんまりにもスラスラと進む物語に「ディレイニーには珍しくご都合主義すぎるよなあ」などと疑っていたら、そうきましたか。見事に一本取られた。
- ディレイニー小伝 高橋良平
「時は準宝石の螺旋のように」のこと 伊藤典夫
「エンパイア・スター」推測だらけの訳者補記 酒井昭伸
収録作品データ
【関連記事】
| 固定リンク
« スティーヴン・ストロガッツ「SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか?」ハヤカワ文庫NF 藤本由紀監修 長尾力訳 | トップページ | ソニア・シャー「人類50万年の闘い マラリア全史」太田出版 夏野徹也訳 »
「書評:SF:海外」カテゴリの記事
- エイドリアン・チャイコフスキー「時の子供たち 上・下」竹書房文庫 内田昌之訳(2022.04.25)
- ピーター・ワッツ「6600万年の革命」創元SF文庫 嶋田洋一訳(2022.04.13)
- アフマド・サアダーウィー「バグダードのフランケンシュタイン」集英社 柳谷あゆみ訳(2022.02.16)
- 陳楸帆「荒潮」新☆ハヤカワSFシリーズ 中原尚哉他訳(2021.10.21)
- ザック・ジョーダン「最終人類 上・下」ハヤカワ文庫SF 中原尚哉訳(2021.09.27)
コメント