アラステア・ボネット「オフ・ザ・マップ 世界から隔絶された場所」イースト・プレス 夏目大訳
本書を読む人にはこれから旅に出てもらう。行き先は世界の辺境かもしれないし、読者の家のすぐ近くかもしれない。だた、言えることは、どの場所も皆、どこか常識外れだということである。
――はじめに機井洞は偽物の村だ。夜になると、村の中に立ち並ぶ建物に明かりが灯り、朝になると消えるが、実はその建物も窓すらない見せかけだけのものである。住んでいる人間はおらず、外からの訪問もゆるされてはいない。明かりはタイマーによって自動的に灯されており、道路は定期的に清掃されている。
――第四章 廃墟と化した場所 北朝鮮のはりぼての村 機井洞
【どんな本?】
人は場所に愛着を持つ。故郷は懐かしいし、見慣れた風景が変わると寂しい。だが、世界はいつだって変わってゆく。新しくできる街もあれば、事故や事件で人が住めなくなる場所もある。
存在しなかった伝説の島サンディ島から始まり、全貌すら掴めない壮大な地下都市カッパドギア、為政者が己の見栄のために作ったカンバシ新区、世界の貴重品が集まるジュネーブ保税倉庫、現代テクノロジーが生み出した人工島など、死自然現象・歴史的な経緯・ビジネスそして技術が生んだ、奇妙な「場所」を紹介する、ちょっと変わった旅先案内本。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Unruly Places : Lost Spaces, Secret Cities, and other Inscrutable Geographies, by Alastair Bonnett, 2014。日本語版は2015年3月31日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約292頁に加え訳者あとがき5頁。9.5ポイント44字×18行×292頁=約231,264字、400字詰め原稿用紙で約579枚。標準的な長編小説一冊分ぐらいの分量。
文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくないし、前提知識も要らない。個々の「場所」には緯度と経度が書いてあるので、Google Map で現地を眺めながら読むと楽しめるだろう。
【構成は?】
それぞれの場所について、6~12頁程度で紹介する記事が並ぶ。個々の記事は独立しているので、興味のある所だけを拾い読みしてもいい。
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【感想は?】
島には色々と歴史があるし、世の中には色々な人が居るんだなあ。
著者は社会地理学の教授だそうだ。ナニやら偉そうだが、現代の日本でもその気になれば楽しめそうなネタもある。その代表が「第二章 地図にない場所」の「探検できる都市 ミネアポリスの地下迷宮」。
アメリカのミネソタ州、ミネアポリスとセントポールの都市圏。ここの地下に、迷宮があった。発見したのは地元の探検家グループ。地下迷宮の噂を聞いて、いくつものマンホールに入って調べ、トンネルを発見する。その先にあったのは…
ミネアポリスは比較的に新しいシロモノだが、有名なカッパドギアは規模が違う。「地元の専門家の中には、まだ未発見の都市が少なくとも30、多ければ200」というから桁違いだ。地下室ではなく、地下都市が数十も眠っているとは。しかし、なんだってこう、地下の探検ってのはワクワクするんだろう。
やはりワクワクするのは、北センチネル島。インド領の島なんだが、ほぼ外界と隔絶した人間が住んでいる。一時期は接触を試みたんだが、「島に侵入して来る者を見つけた場合、いきなり矢の雨を降らせてくる」。結局、ロクにコミュニケーションも取れないまま「我々が彼らに一方的に友情を押し付ける権利はない」として、隔離政策を取る事となった。
文化人類学者などは興味津々だろうけど、これはこれで英断なのかも。今は海岸から50m以上近づいてはならん、と法で正式に保護している。さすがインド、懐が深い。
かと思えば、どうにも切ない場所も多い。歴史学者が激怒しそうなのが、オールドメッカ。そう、イスラム教の聖地メッカだ。ここはサウド家が威信にかけて保護している…はずが。
古くから存在したメッカの街は、過去わずか20年ほどの間に95%が破壊されてしまった。古い街は破壊され、その代わりに、幅の広い道路や駐車場、ホテルや新たな商店街などが作られた。
おいおい、マジかよ。まあ、確かに切実な理由はあるのだ。なんたって「毎年300万人を超える巡礼者が訪れる」わけで、相応の宿泊施設は必要だろう。イスラム教徒は増えている上に、航空機や自動車で巡礼も手軽になった。サウド家も熱心に高速道路を作り、巡礼の便宜を図っている。
が、そんな世俗的な理由ばかりではないのが、ここの複雑な所。元々、「メッカという街で、イスラム教はいくつもの宗派に分かれて存在してきた」。そのため、様々な宗派の建物があった。が、今のサウジアラビアは、イスラム教でも厳格なワッハーブ派であり、「異端」が許せないのである。
ということで、オスマン帝国が保護してきたモスクや霊廟を目の敵にして壊しまくったわけだ。いいのか、それで。
逆に歴史を巧いこと残そうとしているのが、スプラウト牧場。現在はブロタス・キロンボという名前になっている。「キロンボとは、かつてブラジルの逃亡奴隷たちが国の辺境に切り開いた居留地を呼ぶのに使われた名前だ」。このキロンボ、「現代ブラジルの郊外地域や村の中には、キロンボをルーツとするものがおそらく2000は存在している」。
つまりは奴隷制の名残なわけで、ブラジルに取っちゃあまり名誉なことでもない。実際、一時期はロクな扱いを受けなかったようだ。だが今では有名なキロンボのパルマーレス最後のリーダーであるズンビは、「ブラジル国家の英雄と認められた」。USAのマーティン・ルーサー・キング牧師みたいな存在なのかな?
消えるのがめでたい場所もある。「200近くの飛び地が散らばる地域 チットマハールズ」だ。インドとバングラデシュの飛び地が入り組んだ所。飛び地の中に住む人は、病院に行くにもビザが要る。だがビザを取るには飛び地を出なきゃいけない。政府は道も橋も学校も作ってくれないし、警官も裁判官もいない。
大変だよなあ、と思っていたら、いいニュースが入ってきた。「インドとバングラデシュが領土交換 162カ所の飛び地(→Yahoo! ニュース)」。やっと両国が合意に達したらしい。
ラストはまるでSFな話が出てくる。「地図の概念を変える人工島 浮遊するモルディブ」だ。考えているのは「オランダの若き建築家、コーエン・オルトゥイス」。既に185棟の贅沢な水上ヴィラ「オーシャン・フラワー」を作っている。彼のビジョンは楽しい。
地面の上の構造物は一度作ってしまえば簡単には動かせない。だが、水の上に浮かぶ建築物は簡単に移動できる。将来の都市は、まるでシャッフルパズルのように建物の位置を自在に動かせる柔軟なものになるべき
って、「翠星のガルガンティア」か「華竜の宮」か。いずれにせよ、どうにもワクワクするビジョンだ。残念ながら今は貧乏人には縁の無い話だけど。
国というシステムの虚をついて巧いことやっている地域もあれば、逆に国が足かせになっている所もあるし、国の手が届かない事が悲劇となっている所もある。国・自然・テクノロジーなど原因は様々だし、結果も様々。文章はこなれていて手軽に読めるし、内容も難しくない。地理系のトリビアを仕入れるには格好の本だろう。
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