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2015年6月 7日 (日)

乾緑郎「機巧のイヴ」新潮社

「人の髪の毛から皮膚、臓器に至るまで、全て儂は機巧として再現できると思っている。先ほどの時計とは比べ物にならぬほど複雑だが、それでも複雑というだけで無限ではない。人と、人とそっくり同じ形をした人でないものがあったとして、何が違うのか逆にお主に問いたい」
  ――機巧のイヴ

「頭でっかちなだけの他の弟子たちとは違い、お主の手には機巧の産み出す技と心が宿っている。これは稀有なことだ。知識は嘘をつくが、技は嘘をつかぬ。神は手の中に宿ると思え」
  ――終天のプシュケー

【どんな本?】

 「完全なる首長竜の日」で話題を呼んだ著者による、和風スチームパンク連作短編集。江戸時代に似た、だが現実の江戸時代とは異なる世界が舞台。驚異の手腕を持つ謎の人物、幕府精楝(せいれん)方手伝の釘宮久蔵と、彼が産み出す機巧人形(オートマタ)を中心に、町人・遊女から藩士・旗本はては隠密までもが入り乱れて巻き起こす騒動を描く。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2014年版」ではベストSF2013国内篇で14位に躍り出た。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2014年8月20日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約280頁。9ポイント43字×19行×280頁=約228,760字、400字詰め原稿用紙で約572枚。標準的な長編小説の長さ。

 実は少し読みにくい。これは作品の世界観をかもし出すための工夫によるもので、ワザと独特の言葉遣いをしている。タイトルの「機巧」などの造語、「精楝」など異国風の言葉、「蟋蟀(こおろぎ)」など見慣れぬ漢字をおりまぜ、「時代劇風だけど現実の江戸時代とは少しズレた世界」を表現するためだ。

【収録作は?】

 それぞれ タイトル / 初出 の順。

機巧のイヴ / 小説新潮2012年11月号
 牛山藩の江川仁左衛門は、幕府精楝方手伝の釘宮久蔵を訪ねた。用件は一つ。「機巧人形(オートマタ)を一体、お願いしたい」。噂によれば、釘宮久蔵は人と寸分違わぬ機巧人形を作れるという。すでに人知れずる機巧人形が城下で暮している、という話も。
 馴染みの遊女の羽鳥を身請けすると同時に、羽鳥そっくりの機巧人形を作って欲しい、と望む仁左衛門。そして身請けの話に乗り気でない羽鳥。両名を通じ、人の心の機微を描く人情噺になるのか、と思ったら。
 機巧人形などのガジェットで「現実の江戸時代とは違う」由を匂わせるのはいいが、闘蟋(→Wikipedia)の場面には思わず笑ってしまった。だっていい歳こいた侍が、コオロギ集めに奔走した挙句、その闘いに生活までかかっちゃうって設定に、著者の一筋縄じゃいかない業師具合が出ている。
箱の中のヘラクレス / 小説新潮2013年5月号
 湯屋で働く18歳の天徳鯨右衛門は、大きな体を生かして取的(とりてき、→コトバンク)として活躍している。得意技は褄取り(つまどり、→Wikipedia)、背中には長須鯨の刺青。次の取組みは、蓮根神社の勧進相撲だ。取的に過ぎない天徳だが、なぜか評判の絵師・戈尹斎は、彼を好んで錦絵に描くのだった。
 気は優しくて力持ちな若い相撲取りの天徳が主役を務める話。野見宿禰と当麻蹴速の話(→Wikipedia)を微妙にズラして織り交ぜ、読者を煙に撒くあたりはかなりのクセ者。かと思えば褄取りなんてマニアックな技を紛れ込ませている。相撲に詳しい人には、虚実を見極める楽しみもある作品。
神代のテセウス / 小説新潮2013年8月号
 幕府懸硯方の柿田阿路守に呼ばれた、公儀隠密の甚内。どうやら貝太鼓役の芳賀家から、不審な金が毎年、精楝方にでているらしい。その額千五百両、ただし詮議無用。これを密かに調べよ、どうも精楝方手伝の釘宮久蔵という者が怪しい、と。
 テセウス(→Wikipedia)はギリシャ神話の登場人物で、アリアドネの知恵を借りて迷宮のミノタウロスを討った冒険が有名。今までは狂言回しのように物語の影に隠れていた釘宮久蔵が、この連作短編のキーとして浮かびあがかってくるターニング・ポイントとなる作品。
制外のジェペット / 小説新潮2014年1月号
 舎人寮に女嬬の声が響く。「申しょーう、おひるーでおじゃあー」天子様が目をお覚ましになった合図だ。以前は毎朝同じ時刻に目覚めていたが、ここ一年ほどは不規則になっている。天子様はお加減がよくないらしい。同じ部屋で寝起きしている、同じ年頃の帳内の娘たちと共に、春日は手早く支度を整えた。
 ジェペットは、ピノキオを作った爺さん。今まで謎に包まれていた存在、天帝に一気に迫ってゆく物語。なにかと面倒くさい御所内のしきたりや手続きが、細々と描かれていて、胡散臭さを漂わせているのは著者の芸風だろうか。また時代にそぐわぬ技術が冒頭から登場するのも楽しい。
終天のプシュケー / 小説新潮2014年5月号(歯車の奥のプシュケー 改題)
 今までの伏線を一気に回収すると共に、スケールも大きくなる華麗なフィナーレ。
 プシュケー(→Wikipedia)は、ギリシャ神話に出てくる美し(すぎる)娘。冒頭は少し漫画 AKIRA を思い出したり。終盤は血しぶき飛び散るド派手なアクション。

 最初は不思議な漢字の使い方に戸惑ったが、少しすればソレがこの作品の世界観を示すのに不可欠なものだと飲み込めてくる。マニアックな史実と少しズラした史実、そして完全な虚構を巧みにシャッフルして創りあげた独特の世界が楽しい作品だった。

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