ローリー・スチュワート「戦禍のアフガニスタンを犬と歩く」白水社 高月園子訳
「ここまで無事に連れてきてくれてありがとう」
「いや、神に感謝しなさい、わしにではなく。ここからチストまでは大丈夫だ――住んでるのはいい人たちだから」
「チストの先の人たちは?」
「人? チストの先にいるのは」ロバだよ
――第2章より 失われた男「デモクラシーという言葉は使うな。非イスラム的だ」とムッラーが叫んだ。
「デモクラシーはアラビア語ではない。英語だ」ドクター・イブラヒムが反論する。
「ふむ、ならいいだろう」とムッラー。
――第4章より 冷たい人々
【どんな本?】
イラン・パキスタン・インド・ネパール四カ国の徒歩横断を志した著者は、入国拒否などで途中のアフガニスタンをスキップしながらも、2001年末にネパール東部にたどり着く。そこで多国籍軍の攻撃によるタリバン政権崩壊のニュースを聞いた著者は、スキップしたアフガニスタン徒歩横断に挑む。時は2002年1月、地元の者でさえ旅を控える雪深い季節である。
オックスフォード大学を出て英国陸軍・外務省・イラク暫定統治機構などで経験を積み、ペルシア語に堪能な著者が、未だ戦火収まらぬアフガニスタンの高地を西部ヘラートから東部のカブールまで、途中で道連れとなったマスティフの巨犬バーブルと共に歩きとおした、数週間の旅の記録。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Place inn Between, by Rory Stewart, 2004。日本語版は2010年4月30日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約368頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント46字×19行×368頁=約321,632字、400字詰め原稿用紙で約805枚。長編小説なら長めの分量。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。アフガニスタンの歴史、特にムガル帝国の創始者バーブル(→Wikipedia)に言及する所が多いが、何も知らない人にも分かるよう丁寧に解説している。
【構成は?】
基本的に時系列順に進むので、なるべく頭から読む方がいい。
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【感想は?】
イギリスのトラベラー、恐るべし。
著者の経歴を見れば、文句なしのエリートだ。湖水地方でスチュアート姓だから、貴族かもしれない。知識・教養も相当なものだ。現地の言葉ダリー語(ペルシア語の一種、→Wikipedia)に堪能で、現地の歴史も地元の人より詳しい。特にムガル帝国の創始者バーブルの話は何度も出てくる。
オックスフォードを出て陸軍スコットランド高地連隊を経て外務省、そしてイラク暫定統治機構の上級顧問である。にも関わらず、寝袋を担いでイランからネパールまで16ヶ月かけて歩いたってんだから、よくわからない。ワーカホリックで縦割り体質の日本の組織じゃ、まず考えられない行動だ。
しかも、戦火収まりきらぬアフガニスタンで、政府の力もロクに及ばない地域を、現地の人ですら凍死する冬に歩いて横断である。どこにも湧いてくるバックパッカーだって、こんな無茶はしない。
普通の人が平地を歩く速さは、だいたい時速4kmだ。日本の宿場町は、参勤交代の行列が一日で動ける距離を基準に出来ていて、だいたい20km~40km置きにある。が、著者は雪の高地を、時速5kmぐらいで一日40km~50km歩いている。かなりの健脚だ。ちなみに地図帳で見ると、ヘラート~カブール間はちょうど広島~伊豆下田ぐらいにあたる。
旅のテクニックも巧みだ。なんたってアフガニスタンの田舎を歩いて旅するわけで、途中にはホテルも民宿も滅多にない。ってんで、そこらの村の民家に世話になる。
いきなり「泊めてくれ」ってわけにもいかず、途中途中で紹介状を書いてもらうのだ。道中の村の有力者の名前が道標となる「第5章 名前でナビゲーション」は、アフガニスタンならではの旅のテクニックを学べるだろう…って、普通に日本で暮らしている限りまず役に立たない知識だけど。
旅の途中で出会う人々も様々だ。いい人もいればガメつい奴も、そしてヤバい奴も沢山いる。殺されかける事もあるが、「旅のふれあい云々」などと感情的にならず、淡々と事実を語る姿勢が、現代日本人の書く旅行記と大きく違う。
やはり公務員や権力者や聖職者は見栄っ張りが多い。見せびらかすため、雑音だらけのラジオを鳴らし続けるアブドル・ハクは微笑ましい。老人たちはゲストの前で自分が知っている各国情勢をひけらしたがる。
タリバンが一気に席巻した理由も、多国籍軍の攻撃であっさりと崩壊した理由も、少しだけ伝わってくる。それぞれの村の有力者がタリバンについたり、北部連合についたりした。だから村が寝返れば勢力分布が変わる。タリバンの中枢となる兵力はあるんだが、日和見で方針を変える者も多く、これがタリバンの実体を見えにくくしている。
戦禍はこの時も大きな傷を残していて、焼け落ちた村も多い。また辻や川岸は、「ここでタリバンと撃ちあった」「○○が死んだ」などで土地の人に記憶されている。なんとも殺伐とした会話だが、土地の人にはそれが日常なのだ。
殺伐とした空気は選挙にも影響を与えていて、「ゴール州から新しく選出されたロヤ・ジルガ代表のうち三人が地元の武装集団に殺害された」なんて話がアッサリと出てくる。治安が安定していない状況での選挙がどれだけ無意味か、よくわかるエピソードだ。
土地の権力関係もややこしい。タリバンに協力したため没落した封建領主もいれば、対抗して名を上げた者もいる。悲惨なのはハザラ人だ。有名なバーミヤンの仏像の近くに住む人々だ。モンゴル系の顔立ちでシーア派。一般にヒゲが薄いのでバカにされ、スンニ派優勢のアフガンではシーア派なので弾圧される。だが…
欧米人はハザラ族の殺害にはほとんど注目しなかった。彼らを動揺させたのはバーミヤンの石仏の破壊であり、カブール動物園のライオンの運命だった。
と手厳しい。やはり遺跡関係ではジャムの谷が切ない。ゴール朝の都ターコイズ・マウンテンの貴重な遺跡らしいのだが、ヤマ師が集まって遺物を荒っぽく掘り出し、骨董品市場に流している。「こういった歴史的な品々に対する需要があるのは、圧倒的に日本、イギリス、アメリカ」というから悲しい。
とまれ、著者が泊まる村ではタリバンの略奪により家畜が奪われ、夕食はパンと水ばかり。下痢に苦しみながら雪道を前へと進む著者と、マーキングに余念がないバーブル君の旅は続く。
登場時には無気力で無愛想だったバーブル君が、次第に著者に打ち解けてゆく様子は、犬好きにはたまらない部分だが、バーブル君の過酷な運命は耐え難いものがあるかも。
複雑怪奇なアフガニスタンの権力構造の内側、色濃く残る戦争の爪あと、タジク・ハザラ・パシュトゥーンなど民族ごとの違い、道々に出現する追いはぎまがいの不良、人懐っこいが悪たれなガキども、延々と続く不毛な礫砂漠、井戸でアヘン栽培を見抜く著者の観察眼など、読み所はいっぱい。
厳しいアフガニスタンの現実と、危険に満ちた旅を、抑えた筆致で静かに描く現代の旅行記の傑作だった。
にしても、この著者やT.E.ロレンスやガードルート・ベルなど、未知の土地を旅して地元の事情に通じる人を、トラベラーとして敬う文化が英国にはあるようで、少し羨ましい。七つの海を制覇した頃の名残なのか、もっと昔のヴァイキング時代の伝統なのか、今でも MI6 などの外交/諜報に活きているように思う。
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