神田千里「島原の乱 キリシタン信仰と武装蜂起」中公新書1817
従来の研究ではキリシタンの隆盛と一揆蜂起の最大の原因は、島原・天草地方が当時見舞われていた深刻な飢餓と、それを願慮せずに、島原・唐津両藩で領民に重税を課したことであるとみられてきた。
――第一章 立ち帰るキリシタンこれまでの宗教史研究は宗派・教団を、言い換えれば宗教の専門家と俗人の中でも際立って宗教心の強い部分とを中心的対象としてきたために、島原の乱にみられるような俗人、いわば宗教の素人の信仰・信心を考える糸口がなかなかみつけにくい。
――あとがき
【どんな本?】
寛永十四年(1637)、島原藩・唐津藩の領民が蜂起、周囲の村民を巻き込んで一揆を起こす。日本史では島原の乱(→Wikipedia)として有名で、旗頭となった天草四郎は山田風太郎の魔界転生をはじめ多くの創作に登場するスターとなった。
蜂起の原因は、飢餓とそれを無視した重税とする説をよく聞く。だが、本当にそうだろうか。日本中世史を専門とする著者が、多くの一次資料にあたって蜂起の経緯を再現しつつ、その背景として戦国の空気の名残が残る当事の政治・軍事・社会背景をわかりやすく解説しながら、宗教が当事の民衆に与えた影響を探る、一般向けの歴史解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2005年10月25日発行。新書版で縦一段組み本文約242頁。9.5ポイント41字×16行×242頁=約158,752字、400字詰め原稿用紙で約397枚。小説ならやや短めの長編の分量。
文章はこなれている。随所で当事の手紙などを引用しているが、現代語に訳してあるので心配は要らない。背景事情も詳しく解説しているので、詳しい歴史の知識も特に必要ない。中学卒業程度の日本史の素養があれば、充分に楽しめる。
【構成は?】
原則として時系列順に進むので、素直に頭から読もう。
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【感想は?】
著者が主張したいこと以前の段階で、とても面白く刺激的な本だった。
冒頭の引用にあるように、島原の乱の原因は、飢饉を無視した重税にある、と私は思っていた。著者もそれは否定していないが、それほど単純ではない、と主張するのが、この本である。
その主張のために多くの一次資料を掘り起こし、乱に至るまでの経緯から一揆が広がってゆく様子、そして原城での篭城戦から戦後処理に至るまで、少ない頁ながらも興味深いトピックを次々と挙げて一揆を再現してゆく。単にそれだけなら、普通の一般向けの歴史解説書でしかない。
確かに事件を再現する描写は迫力あるが、この本の醍醐味は、その背景にある当事の政治・軍事・社会情勢の詳しく分かりやすい解説と、意外な実体にある。読み始めてすぐの p15 で、私はいきなりのけぞった。蜂起が島原城にまで押し寄せた時の、城下の者たちの反応である。
町奉行の差配によりいち早く町の別当(町役人)、乙名(→コトバンク)たちを糾合し、一揆に対する防備を固めていた(『別当杢左衛門覚書』)。さらに町の別当・乙名たちは、松倉家中の武士たちに、味方するので武器を貸してほしいと申し入れた。
町の者が武器を貸してほしい、と申し入れている。「守って欲しい」では、ない。自ら戦うための得物が欲しい、と言っているのだ。これは町人だけじゃない。p53 には、布教に行くキリシタンを庄屋が鉄砲で撃ち殺す記録が出てくる。「なんで庄屋が鉄砲を持ってるんだ、刀狩りしたんじゃないのか?つかなぜ撃ち方を知っている?」と思ったのだが。
どうも当時は百姓といえど相応の自衛はしていたらしい。どころか、戦国大名にとっては無視できない武装勢力だったようで、しかも「戦国の村はどの勢力と同盟するか、自らの判断で決定した」のだ。
戦国大名の軍勢は、仮に百人の兵士がいても騎馬の武士はせいぜい十人に満たない、というのが実態であり、あとは雑兵と呼ばれる人々であった。この雑兵たちは、身分的には「百姓」と呼ばれる平民、つまり動員された村の住民…
という事で、戦国時代の村は個々で武装していたし、戦でも村民は主要な兵力を形成していたらしい。侍に踏みつけられる弱く哀れな百姓なんてのはとんだ勘違いで、今のアフガニスタンみたく村々でそれなりに武装し自治する、したたかな存在だと思い知らされた。
蜂起の次第も、村単位で蜂起軍・城方のいずれに味方するかを決めている。キリシタン側についた村もあれば、城方についた村もあるのだ。そのため、蜂起軍が靡かない村を襲い、襲われた村人が城下に避難するケースもある。
刀狩りの疑問も、間接的だが次第に明らかになる。キリシタン弾圧の顛末から類推できるのだ。まずは天正15(1587)年の豊臣秀吉の伴天連禁止令から始まるのだが、これへの対応は大名ごとに違っている。キリシタン大名小西行長の天草領では「キリシタン信仰に帰依しない者が処刑されていた」。完全に禁止令の逆をやっている。
関が原で石田方についた小西は処刑され、慶長六(1601)年に寺沢広高が領主となる。当初はキリシタンに冷淡だった寺沢だが、信仰は既に領民間に染みこんでおり、容認政策へと切り替えるが、司祭たちは勢いづいてしまう。対して熊本領の加藤清正は強硬に弾圧したようだ。
つまり、当事の領国の支配は大名に大きな自治権があり、西国までは幕府の目が届かなかった様子が窺える。考えてみれば当事の領主は個々に軍を抱えているわけで、まさしく「国」なのだ。秀吉や徳川幕府の命令も、各大名は表向きは従いながらバレそうにない所はテキトーに処理していたらしい。
そして、ここに島原の乱の大きな謎が提示される。幕府が全国的に禁教令を出したのは慶長十八年十二月(1614年1月)なのに対し、蜂起は寛永十四年(1637)。20年以上のズレがある。これに対しては領主による政策の違いもあるのだが、もう一つの謎もある。蜂起に参加した領民の多くが、一度は棄教した「立ち帰り」なのだ。
原城の攻防の様子も、現代シリアの山賊どもの様子と通じる場面があったりする。城を脱出してきた落人を尋問すると、「投降したがっている者は多いが(熱心なキリシタン集団の)監視が厳しくなかなか実現し得ない」。記録だと篭城した者は三万七千~四万七千名、うち一万名ぐらいが脱出している。
一部の熱心な者が他の者を巻き込む、世間にはよくある構図だ。これは宗教に限らず、政治運動でも商業活動でも趣味でもよくある話。
その宗教で面白いのが、フランシスコ・ザビエルの言葉。イエズス会日本書翰集に曰く。
日本では男女共に「各人が自分の意思に従って」宗派を選ぶのであり、「誰に対してもある宗派から他の宗派に改宗するように強要することはしません」
この感覚が今まで続いているのか、何回か途切れて復活したのかはわからないけど、現代でもこの感覚は似たようなモンで。その分、葬式をどの形式にするかで親族内で悶着が起きたり。
著者の主眼は島原の乱における宗教の影響を見直すことであり、それを起点に当事の日本人の宗教心のあり方を探ることなのだが、その前提となる当事の幕府と領主・武士と百姓の関係などの社会情勢を丹念かつわかりやすく説明していて、本題以前の所で「なんだってー!」と思い込みを覆される記述が多く、読んでいて驚きと楽しみが多い本だった。
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