フィリップ・ワイリー「闘士」早川書房 矢野徹訳
「うん。ぼくはつまり、肉の代わりに鉄で作られた人間みたいなものなんだね」
【どんな本?】
当事のベストセラー作家フィリップ・ワイーリーの処女長編。アメリカン・コミックのヒーローの筆頭、スーパーマンの元ネタにもなった小説である。実験により優れた筋力と鋼鉄の肉体を持って生まれた男、ヒューゴー・ダナーが、人を超えた力を持つが故に苦悩する姿を描く。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Gladiator, by Philip Wylie, 1930。私が読んだのは早川書房の「世界SF全集 5」で、収録作はワイリーの「闘士」とリライトの「時を克えて」。この本は1969年5月31日初版発行。単行本ハードカバー縦二段組で本文約201頁に加え、伊藤典夫の解説「フィリップ・ワイリー その人と作品」10頁。8ポイント26字×21行×2段×201頁=約219,492字、400字詰め原稿用紙で約549枚。文庫本の長編小説なら標準的な長さ。ハヤカワ文庫SFから文庫本が出たが、今は入手困難な模様。
確かに今読むと表現が少し古臭いが、不思議なくらいスラスラ読める。さすが矢野徹。SFといっても皆さんお馴染みのネタなので、読みこなすもの特に難しくない。敢えて言えば、舞台が第一次世界大戦あたりのアメリカなので、時代感覚があった方がいいかも。
【どんな話?】
ヒューゴー・ダナーは、コロラドの小さな町に生まれ、育つ。ハンサムな顔立ちの大人しい優等生の彼には、人に言えない秘密があった。その力は大きな岩を軽々と持ち上げ、皮膚は鞭で打たれてもほとんど痛みを感じない。彼は超人なのだ。両親の諌めや幼い頃の経験から、力を見せ付けてもロクな事にならないと学んでいた。
青年となり、親元から巣立つ頃には、その力が彼の大きな悩みとなってゆく。「この力を、どう使えばいいんだろう?」
【感想は?】
おお、これぞまさしくスーパーマン。それも昔のじゃない、「マン・オブ・スティール」だ。
最近のアメコミ映画は、主人公がやたらと悩む。スーパーマンをリブートした「マン・オブ・スティール」も、クラーク・ケントは不貞て漁船に乗ってた。あれは思い付きじゃない。この作品へのオマージュなのだ。
幸か不幸か、「マン・オブ・スティール」の世界には、地球に害なそうとする悪役ゾッド将軍がいた。だが、この物語の主人公ヒューゴー・ダナーには、戦うべき相手がいない。圧倒的な力がありながら、戦うべき相手がいない時、スーパーヒーローはどうなるのか。それを描くのが、この小説だ。
アメコミの世界の中で、スーパーマンの役割は「優等生」だ。常に人間を守る立場に立ち、出来る限り有益な事をしようとする。この作品のヒューゴー・ダナーも、クラーク・ケントの造型に近い。というか、実際にはクラーク・ケントがヒューゴー・ダナーに近いんだけど。
幾つかの違いは、ある。ヒューゴー・ダナーは人間の子供で、母の胎内にいた時、化学薬品で超人に改造された。クリプトン星人じゃないし、実の父母の元で育つ。だが、両親の愛を浴びて育ったのは同じ。ダナーの超能力は筋力と鋼鉄の皮膚だけで、空を飛んだり透視したりはできない。あくまで、「ものすごく強いプロレスラー」みたいな位置づけだ。
それを除くと、ケントとダナーはとてもよく似ている。いずれもアメリカの田舎で育った一人っ子。幼い頃から自分の妙な力に気づいていて、両親の諌めでそれを隠している。ハンサムな顔立ちとムキムキな体。そして、真面目で優等生な性格。性格の違いを敢えて言うと、ヒューゴーは青年らしく普通に恋をして、まあ、アレだ。若い男だし。
両者とも、根は優しくて真面目なのだ。だから、深く考え込んでしまう。「この力を、世のため人のために役立てたい」と。真面目で優等生な青年が抱く、善意に溢れた望みと、その望みには意外と役に立たない超人性、それがこの物語の大きな柱の一つ。
ヒューゴーのオツムはそこそこ良く、名門大学ウェブスター大学へと進む。これは生まれと直接の関係はなく、勉強した成果だ。当時としてはエリート候補生だろう。
頭か性格、どちらかが悪ければ、特に悩まなかっただろう。頭が悪ければ、力を見せびらかしてスポーツ選手にでもなればいい。または軍に入って大暴れしてもいい。実際、小説では、そういう場面も出てくる。が、ダナーはそれじゃ満足しない。戦場で暴れたって、所詮は兵器の一つでしかない。人類の歴史を変えるほどの影響は、及ぼせない。
性格が悪ければ、ギャングになって…
ダナーには、どっちもできない。この優れた力を、人類を進歩させるために役立てたい、そう願ってしまう。しかし…
「おまえは、ひとりの人間が何百万もの意思に反対できるというような自惚れを持っているのか?」
スーパーマンとのもう一つの共通点は、彼の超人的な能力を、他の人がどう見るか、という事。クラーク・ケントも能力を隠した。石油採掘プラットフォームの事故で人を助けた後、姿を消してしまう。騒ぎになっても、彼には何もいい事がない。妬まれるだけなのだ。映画の中で、ケントは手錠をかけられてしまう。あの場面も、この作品へのオマージュだろう。
強靭な肉体と、それに見合う崇高な精神。だが、頭脳は明晰とはいえ、極端に優れているわけではない。努力して成績を上げた、秀才タイプ。望みは大きく、人類を進歩させること。
では、力を見せびらかして独裁者になり、強力な指導力を発揮したら? 彼に近寄るのは、おべっか使いのクズばかりだろう。まっとうな人々は、団結するかもしれない…ヒューゴー・ダナーを倒すために。では、その力を他の者にも分け与えたら? 世の中には悪人もいる。それが理解できるぐらいの頭脳を、不幸にも彼は持ってしまった。
そう、もう一つ共通点があった。父親との関係だ。クラーク・ケントの養父は、命がけで息子の能力を隠す。これが冒頭でケントが漁船に乗っている理由である。ダナーの父は、その力を人類に役立てろ、と期待する。いかに肉体が優れていようと、これはあまりにも大きすぎる望みだ。
ダナーもケントも、父の言葉に縛られ悩むのだ。
一見、人類の運命すら左右できそうな大きな力。それを、誠実な人柄と聡明な頭脳を持つ者が持ったら、どうなるか。結末こそ少々アレなものの、それまでの物語はヒーロー物のダークな部分を凝集した感がある。ベストセラー作家の語りの巧さと、矢野徹の職人芸が味わえる、意外な収穫だった。
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コメント
コメントありがとうございます。「超人」は知りませんでした。WWIIの東部戦線とWWⅠの塹壕戦、いずれも地獄ですね。冷戦下のソ連だと、どんな性格になるんでしょう?ロシア人か、それ以外の民族かで、大きく変わってくる気がします。そう考えると、ダナーが「人類への奉仕」を考えるようになったのは、世界のリーダーとしての自覚を、当事のアメリカ人が持ち始めていた事を示すのかもしれません。
投稿: ちくわぶ | 2015年4月 6日 (月) 22時47分
いつも楽しく読ませて頂いております。
こちらを知ってから、図書館の利用頻度がうなぎ上りです。
既にご存知かもしれませんが、『ドラキュラ紀元』三部作を書いた
キム・ニューマンが、同様の短編「超人」を書いています。
(SFマガジン 1996年3月号掲載、単行本化なし)
こちらは「スーパーマンがドイツに生まれ育ってWWIIを経験したら」という話で
ニューマンらしいネタと出典へのオマージュに溢れた佳作です。
「スーパーマンがロシアに生まれ育って、ソ連から世直しを志す」というコミック
『スーパーマン:レッドサン』(小学館集英社プロダクションから訳出)共々、
安直にも思えるネタながら捻ったプロットで読ませてくれる作品でオススメです。
各々雑誌掲載のみ・少し高めの翻訳コミックと、気軽に手にしづらいのが難ですが、
もし読んでいただけたらどんなエントリになるんだろうなあ、と勝手にワクワクしています。
投稿: よし | 2015年4月 6日 (月) 14時38分