ユージン・ローガン「アラブ500年史 オスマン帝国支配から[アラブ革命]まで 上・下」白水社 白須英子訳 4
「私を殺したい者は殺すがよい。私があなた方に誇りと名誉と自由を浸透させている限り、そんなことはどうでもよい。ガマル・アブドゥル・ナセルが万一死ぬようなことがあれば、あなた方一人ひとりがガマル・アブドゥル・ナセルになるでありましょう」
――第10章 アラブ・ナショナリズムの台頭
ユージン・ローガン「アラブ500年史 オスマン帝国支配から[アラブ革命]まで 上・下」白水社 白須英子訳 3 から続く。
【ナセル登場】
下巻前半の主役は、なんと言ってもナセル(→Wikipedia)。
クーデターによりエジプトの実権を握って王を退位させ、第一次中東戦争の痛手に苦しむアラブに颯爽と登場し、大胆な社会改革でエジプトの社会に風穴をあけ、汎アラブの夢を描いた男。
1952年の土地改革で個人の所有地を200エーカーに制限し、大地主の土地を小作人に配分する。一見、大きな改革のようだが、意外な事に当事のエジプトは農業国じゃなかった。1953年のGNPだと、サービス業52%、農業35%、工業13%。サービス業って、具体的には何だろ? 観光?
実際に利益を得たにのは、エジプトの農業人口のごく一部に当たる総計14,600世帯で、エジプトの人口2150万人の一部にすぎない
1954年10月26日、演説中のナセルを数発の弾丸が襲う。ムスリム同胞団のメンバーが暗殺を謀ったのだ。銃声が絶えた後、ナセルはたじろぎもせず冒頭の言葉で演説を再開する。この演説と事件はエジプト国民のみならず、ラジオ中継を通じてアラブ世界全体に流れ、一躍ナセルはアラブの英雄となった。
実権を掴んだナセルは、それまで協調してきたムスリム同胞団を切り捨て、厳しく摘発しはじめる。この政策は後のサダト・ムバラクへと受け継がれてゆく。
スエズ運河の国有化は英仏イスラエルの反発を招き、第二次中東戦争(→Wikipedia)へと発展する。軍事的には負けたものの、米ソの介入で英仏イスラエルは撤退を余儀なくされ、外交的にはエジプトの勝利で終わる。敵の英仏イスラエルに加え、米ソまで手玉に取る鮮やかな手綱さばきが、ナセルの人気を更に高めてゆく。
恐らく今でも、アラブ世界では20世紀以降の最も偉大と見なされる人物だろう。この本でも、最も多くの頁を独占している。人名索引を見ても、5行を閉めるのはナセルだけだ。
そのナセルが目指したのは、世界的には米ソに対する第三極の確立であり、アラブ的には統一アラブであり、国内的には産業構造を現代化して財政を豊かにすることだ。これはエジプトやアラブの視点に限らず、世界の中のエジプトという視点でも順当な指針に思えるし、冷戦後の今でも充分に通用するんじゃないだろうか。
今中東で流行ってるイスラーム主義とも、第三極と統一アラブは同じ所を目指している。違うのは現代化だ。欧米の立場で考えても、「独立国の矜持を保ちつつ産業を振興し地域のリーダーを目指す」って方向は、モロにインドや中国と同じなわけで、充分に容認できる方向性だろう。
資本主義にドップリ浸かった日本人の目から見ると、イスラーム主義じゃ貧しくなる一方に思えるんだが、組織は充実してるし人気もあるんだよなあ。イスラーム主義に対抗して新ナセル主義を担ぎ出し、流行らせるのは無理なんだろうか。でも今のイスラーム主義の中心となっている若い人は、どれだけナセルを知っているんだろう?
【ナセルの嵐】
「シリア人の50%が自分を国家の指導者であると考え、25%が自分は預言者だと思い、10%は自分が神だと思い込んでいる」
――第11章 アラブ・ナショナリズムの衰退 より、元シリア大統領シュクリ・クーワトリー
そのナセル、極端な人気ゆえの自信過剰か、アラブの民の性急な要求のせいか、はたまたソ連の覇権主義にかぶれたのか、シリアとイエメンそしてイスラエルの勇み足でコケてしまう。 ナセルのカリスマがひき起こす嵐は、シリア・ヨルダン・イラクにも上陸し、大きな変化をもたらしてゆく。
シリアとアラブ連合共和国を結成するが、エジプト指導部の性急で高圧的な姿勢が総スカンを食らい、早々に解消の憂き目を見る。イエメンへの軍事介入は「エジプトにとってのベトナム」となり、虚しく将兵を消耗してゆく。そして第三次中東戦争(→Wikipedia)の完敗である。著者は敗因の一つを、エジプト軍のイエメンでの消耗としている。
この敗北はアラブの民衆の不満に火をつけ、各地に紛争を引き起こして行く。1968年にイラクはバアス党が主権を握り、リビアはムアンマル・カダフィが国王を倒す。1969年にはジャアファル・ヌメイリがスーダンで権力を奪い、1970年にはハーフィズ・アサドがシリアを掌握する。おお、だいぶ私が知っている中東に近くなってきた。
そしてパレスチナでは、自らの手で独立を掴もうとPLO(パレスチナ人民解放機構、→Wikipedia)が活躍を始める。
その頃、アルジェリアではFLN(民族解放戦線、→Wikipedia)がフランスを相手取って独立戦争を仕掛け、泥沼のすえに独立を勝ち取る。「独立戦争の最初の三年間に、FLNはその作戦行動中に,、フランス軍の六倍を超えるアルジェリア人を殺した」とあるから凄まじい。
【ファタハ、PLO、PFLP】
傍から見ると区別がつかないこの三者について、整理して書いてあるのが嬉しい。
ヤセル・アラファトとサラフ・ハラーフが1959年10月に結成したのが、ファタハ。対してアラブ諸国が勝手に作ったのがPLO。ところが幾つかのテロでアラファトは大人気を博し、PLOの議長に選ばれる。つまりはファタハがPLOを飲み込んだ形。
PFLP(→Wikipedia)はジョージ・ハバシュが率いた組織だが、事実上はPLOの下部組織らしい。この本では、当時に頻発した航空機ハイジャック事件の大半をPFLPの手柄としている。しかし暴れすぎたPLOはヨルダン国王の怒りを買い、1970年の黒い九月(→Wikipedia)で大打撃を受ける。
壊走したPLOはレバノンへと逃れるが、これはレバノン情勢を不安定にしてシリアの介入を招き、レバノンを事実上シリアの属国にしてしまう。
と書くとなんかスッキリした流れのようだが、レバノン情勢がこれまた実にややこしい。それでも読んでるうちは、何かわかったような気になるから本の威力は凄い。
【第四次中東戦争】
同時期、巨星ナセルは心臓発作で逝去。後を継いだアンワール・サダト(→Wikipedia)はシリアと組み、イスラエルへ攻め込む。第四次中東戦争(→Wikipedia)である。
奇襲は鮮やかに決まった。充分に練られた戦術でスエズ運河を渡り、ソ連から導入した対空ミサイルはイスラエル空軍を撃ち落とす。救援に駆けつけたイスラエルの機甲部隊も、歩兵が対戦車ミサイルで次々と叩き潰して行く。だが戦いが長びくにつれ、ジリジリとイスラエルが優勢となり、北ではゴラン高原を取り戻し、南ではスエズ運河へと迫ってきた。
ここでアラブが仕掛けた罠が世界を震撼させる。「これこそ長い間待っていた瞬間だった」と語るサウジの石油相アフマド・ヤマニ。石油価格の17%値上げを発表したのだ。翌日、アラブは更に追い討ちをかけてゆく。イスラエルが撤退するまで毎月5%ずつ石油の清算を減らす、と。
これにより米ソは介入を余儀なくされ、停戦が成立する。軍事的にはどうあれ、政治的にはアラブの大勝利だ。エジプトはスエズ運河とシナイ半島を取り戻し、シリアもゴラン高原の一部を取り戻した。だが最大の受益者は、産油国だろう。原油価格の上昇で大きな利益を得ると共に、その強大な影響力を世界に誇示したのだから。
いわゆるオイルショック(→Wikipedia)です。これにより、日本ではなぜかトイレットペーパーが買い占められました(→Wikipedia)。いい加減、日本人は懲りただろうと思っていたら、東日本の震災で再びパニックが発生、米とパンが首都圏の店頭から消えました。保存食としてはパンよりジャガイモの方がいいと思うんですが、そっちは充分に店頭に出てました。
【おわりに】
すんません、たぶん次の記事で終わります。
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- アブラハム・ラビノビッチ「ヨム キプール戦争全史」並木書房 滝川義人訳
- 司馬遷「史記 一 本紀 上」明治書院 新釈漢文大系38 吉田賢抗著
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