ユージン・ローガン「アラブ500年史 オスマン帝国支配から[アラブ革命]まで 上・下」白水社 白須英子訳 2
オスマン帝国の北アフリカ征服は、伝統的な戦闘よりも海賊行為によって達成されたものが多い。当然のことながら、一方から見た海賊は他方の側では提督である。
――第1章 カイロからイスタンブールへ
ユージン・ローガン「アラブ500年史 オスマン帝国支配から[アラブ革命]まで 上・下」白水社 白須英子訳 1 から続く。
【拡張するオスマン帝国】
1516年8月24日のマルジュ・ダービクの戦いから、この本は始まる。エジプトのカイロを本拠地とするマルムーク朝を、イスタンブールを拠点とするオスマン帝国が破った戦いだ。以後、アラブ世界はオスマン帝国に飲み込まれてゆく。
その併合のされ方は、地域によって違った。エジプトのマルムーク朝に変わり、北アフリカの地中海沿岸では、バルバロッサ(赤ひげ)ことハイレッディン(→Wikipedia)が主役を務める。
1492年のグレナダ陥落でスペインを追い出されたムスリムにとって、スペインは憎き敵だ。トルコ沖エーゲ海のミティリーニ島に生まれたハイレッディン、地中海を舞台にスペイン船を襲いまくり、「ムスリムの奴隷を解放し、数十隻の敵の船舶を捕獲した」。彼にとっては、恨み積もったキリスト教徒の成敗である。これは聖戦なのだ。
ここに宿敵が現れる。アンドレア・ドーレア(→Wikipedia)、当事の欧州じゃ有名な海軍司令官である。実はドーレアも海賊だった。自分の艦隊を率い、欧州の主君と契約して海軍として働く。今ならブラックウォーターみたいなPMC=民間軍事会社みたいな位置だが、平たく言えば傭兵である。当時は財政的に大きな常備軍は維持できなかったんだろう。
ここで描かれる好敵手二人の戦いは、講談にしたらさぞかし盛り上がりそうなネタだ。特に1541年のアルジェ攻囲戦では、押し寄せる36,000の兵と400隻の大船団に対し、その1/4の兵力で守り通したハイレッディンの姿は、弘安の役で元を追い散らした御家人たちを思わせる。
かような活躍がオスマン帝国に買われて…と言いたいが、実際には遠すぎるため、北アフリカには大幅な自治を認めてゆく。
【地方の勃興】
様々な形で地域の自治を許したオスマン帝国。これが裏目に出て、次第に各地の勢力が伸張して行く様子を描くのが、「第2章 オスマン帝国支配へのアラブ人の挑戦」。
時は1770年代。北パレスチナで勢力を伸ばしたザーヒル・ウマルと、エジプトのマルムーク出身の最高支配者アリ・ベイの反乱で話が始まる。これも野望の物語としてなかなかの迫力なんだが、次のワッハーブ派の勃興を描く部分は、モロに現代のペルシャ湾岸情勢とつながっていて興奮してしまう。
ワッハーブ派の始祖ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブは1703年にアラビア半島中央部のオアシス、ウヤイナに生まれる。青年期は広く旅をして宗教を学び、原初のイスラームへの回帰を求めるようになる。コーランの啓示後300年ぐらいまでのイスラームの姿を適切とし、それ以後の変化は有害と見なすのだ。
徹底して偶像崇拝を排する教義は、ある意味、平等かもしれない。区別は神と人だけ。その間に代理人は認めない。全ての信徒に、神と直接向かい合う事を求める。なんかキリスト教のカトリックに対するプロテスタントに似ているような。
する事も過激だ。聖人を祀った聖廟を壊し、聖人に由来する聖木を切り倒す。人は神に直接に向かい合うべきで、聖人を介してはならない。そういう理屈だ。聖人・聖廟・聖木を崇める人からすると、とんでもねえ過激派である。
特にワッハーブ派が目の敵にしたのが、当事のオスマン帝国で流行っていた、神秘主義的な傾向を持つスーフィズム。あれはイスラームのフリをした多神教だ、と。
そのアブドゥルワッハーブの後援者となるのが、ムハンマド・イブン・アル・サウード。今のサウジアラビアを支配する、サウード家のご先祖だ。
当初、ワッハーブ派が暴れていたのはアラビア半島の砂漠である。オスマン帝国にとってはムカつく相手だが、何せ遠すぎる。成敗しようにも、補給が持たない。おまけにワッハーブ派は機動力を活かして動き回るから、捕まえるのも難しい。この構図は、まるきしローマ帝国の周辺で暴れる蛮族や、中国の王朝を脅かす匈奴だ。
勢いづくワッハーブ派は、1802年にオスマン帝国内へと攻め込む。イラク南部のカルバラー(→Wikipedia)である。これがまた因縁深い所で、シーア派の聖地なのだ。
第4代正統カリフのアリー(→Wikipedia)の子孫を、ムハンマドの後継者とするのがシーア派だ。アリーの子フサインは時のカリフのヤズィード1世に叛旗を翻すが、カルバラーの戦い(→Wikipedia)で破れ、命を絶たれる。この戦いで敗れた側が、シーア派として分離して行く。つまりカルバラーはシーア派発祥の地であり、悲劇の原点でもある。
そこにワッハーブ派が攻め込み、フサインの霊廟を荒らし、虐殺と略奪の限りを尽くした。シーア派からすれば、ワッハーブ派は虐殺の恨み尽きぬ仇敵である。ワッハーブ派から見たら、シーア派はムスリムを騙るペテン師であり、滅ぼすべき相手だ。
改めてアラビア半島周辺の地図を見よう。サウジアラビアは、いうまでもなくワッハーブ派の本拠地である。その北、イラク南部にはシーア派が多く住む。サウジからペルシャ湾の対岸、イランもシーア派が主流だ。サウジの南、イエメンもシーア派が4~5割を占める。まるでワッハーブ派をシーア派が包囲してるようだ。
実際には、アラビア半島のシーア派がワッハーブ派に追い出され、周囲に散ったんじゃないかな。
そしてサウード家が保護するメッカとメディナは、シーア派にとっても聖地だ。
しかも、サウジアラビアを支配するサウード家は、今も厚くワッハーブ派を保護している。これじゃ、周辺でドンパチが絶えないのも当然だろう。イラン・イラク南部・イエメンのシーア派と、サウジアラビアのワッハーブ派が、隣同士で睨みあってるんだから。
そのワッハーブ派を支援しているのが、バチカンに叛旗を翻したプロテスタントの国アメリカ合衆国というのも、皮肉が効いてる。いずれも従来の権威に異議を唱え、神との直接対峙を唱える者たちなのだ。
【海は船でいっぱい】
翳り行くオスマン帝国の栄光に対し、勃興するアラブの地元勢力、そこに忍び寄る西欧の影を描くのが、「第3章 ムハンマド・アリーのエジプト帝国」。
ここは黒船を思わせるドタバタ劇で始まる。1798年6月。英国の艦船がアレクサンドリアを訪れ、警告と支援を申し出る。「すぐにフランス軍が来る、一種にやっつけようぜ」。アレクサンドリアの総督「だが断る」。われわれは偉大なるオスマン帝国である。新参のキリスト教徒ごときが何をできるというのだ。
彼らの運命は7月最初の日に大きく変わる。ナポレオンの大船団がアレクサンドリアに押し寄せ、一気に征服してしまう。だが、軍事的に征服はできても、彼らの心を掴むことはできなかった。ここで気球やライデン瓶(→Wikipedia)のコケ脅しでエジプト人を敬服させようとするフランス軍のたくらみが笑える。
それでも西欧の軍の強さはわかったようで、留学生を派遣したりしてる。エジプトの支配者となったムハンマド・アリーは、ナポレオン軍の退役軍人セベス大佐を任命し、地元の農民を徴集して三万人以上の軍を仕立てる。それまでのイェニチェリ制から、フランス式の国民皆兵制を取り入れるのである。これまた明治維新みたいだ。
当初、兵役を嫌がる農民を厳しい罰則で無理やり兵に仕立てていたが、ギリシアとの戦争で大活躍を見せる。だがギリシアの支援に駆けつけた英仏両国に蹴散らされ、1932年のギリシア王国樹立へと続く。
増長するムハンマド・アリーは、後にシリア支配へと乗り出すが、地元の総スカンを食らってしまう。このあたりの経緯は、短命に終わったアラブ連合共和国(→Wikipedia)を髣髴とさせる。この章で活躍するムハンマド・アリーが築く王朝は、やがて第一次中東戦争でイスラエルと激戦を繰り広げるのだ。
などとエジプトではムハンマド・アリーが気勢をあげるが、オスマン帝国の本拠地イスタンブールは斜陽の時を迎えてゆく。外からは英仏の圧力に効しきれなくなり、内からはエジプトを初めとして地方を抑えられなくなる。増える軍事負担に臣民も根を上げ始め…
【おわりに】
などと興奮して書いているとキリがない。ここまで書いてまだ全14章中の3章だ。次の記事からは少し巻いていきます。
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