ジェフリー・サックス「貧困の終焉 2025年までに世界を変える」ハヤカワ文庫NF 鈴木主税・野中邦子訳
これは、私たちが生きているあいだに世界の貧困をなくすことについて書かれた本である。何が起こるのかを予想するのではなく、何ができるかを説明しているだけだ。現在、世界で毎年、八百万人以上の人びとが、生きていけないほどの貧困の中で死んでいる。私たちの世代は2025年までにこのような極貧をなくすことができる。
――イントロダクション最も基本的なレベルで、極度の貧困をなくすための鍵は、最も貧しい人びとが開発の梯子のいちばん下の段に足をかけられるようにすることである。開発の梯子が高いところにあって手が届かなければ、貧しい人びとはずっとその下にいるしかない。
――13 貧困をなくすために必要な投資
【どんな本?】
国連ミレニアム・プロジェクトのディレクターを務める経済学者の著者が、超インフレに苦しんだボリビアや東欧崩壊前後のポーランドでのアドバイザー経験を元に、主にアフリカを中心として今なお多くの人が苦しんでいる極度の貧困の現状と原因を探ると共に、実際に実現可能な処方箋を示す。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The End of Poverty - How We Can Make Happen in Our Lifetime, by Jeffrey D. Sachs, 2005。日本語版は2006年4月に早川書房から単行本で刊行。私が読んだのはハヤカワ文庫NFで2014年4月15日発行。
文庫本縦一段組みで本文約560頁に加え訳者あとがき4頁+アジア経済研究所上席主任調査研究員の平野克己による解説「人類のもつ潜在力を信じるサックスの挑戦」6頁。9ポイント41字×18行×560頁=約413,280字、400字詰め原稿用紙で約1034枚。長編小説なら文庫本2冊分ぐらいの大容量。
経済学の本だが、文章は意外なほどこなれている。内容も特に難しくないが、最近の国際ニュースを知っていると親しみが増す。また、アフリカの例が多いので、世界地図か Google Map があると便利だろう。第二次世界大戦後にアメリカが欧州復興を支援したマーシャル・プラン(→Wikipedia)について、「名前を聞いた事がある」程度に知っていれば充分。
【構成は?】
原則的に前の章を受けて後の章が展開する構成なので、できれば素直に頭から読もう。
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【感想は?】
極論すると、国連ミレニアム・プロジェクト(→はてなキーワード)の広告本だ。
国連ミレニアム・プロジェクトには、8個のミレニアム開発目標(→Wikipedia)がある。その中でも、「目標1.極度の貧困と飢餓の撲滅」を中心に、それが起こる原因と、対処法を示す本である。
書名は「貧困の終焉」とある。貧しさにもいろいろあるが、この本が対象とするのは「極度の貧困」だ。ミレニアム開発目標の定義だと、「1日1ドル未満で生活する人」となる。それ以上の生活レベルなら、「極度の貧困」とは見なさない。
「1日1ドル未満」の定義を、もう少し掘り下げよう。われわれ日本人は、貨幣経済に慣れているので、1ドルと言われると現金収入の事だと思いがちだが、この本の定義は違う。この本では、自給自足で食っているトウモロコシ農家の例で説明している。この農家は、自分の畑で取れたトウモロコシを食べて暮している。市場に売りに出す余裕はない。
それでも、収穫したトウモロコシを、市場価格で計算して、一家の収入と見なす。仮に4トン収穫があり、市場価格が1トン150ドルなら、150ドル×4トン=600ドルの収入になる。家族が夫婦と4人の子どもなら、1人あたりは、600ドル÷6人=100ドルという計算だ。これを元に、国家はGNPをはじき出す。自給自足でも、GNPには貢献している計算になる。
そのための措置は、結論だけ聞くとムカつくシロモノである。大雑把に言うと三つだ。まず、途上国の借金を棒引きにしろ。次に、先進国はGNPの0.7%を、、少なくとも10年間継続して確実に途上国へのODAにあてろ。最後に、カネは二国間ではなく国連を通せ。
借金の踏み倒しを認めろって、そりゃ泥棒に追い銭じゃねえかと私は思った。でも、過去にそれで成功した例がある。ドイツだ。第一次世界大戦後、ドイツは莫大な賠償金を背負った。これの逆ギレが第二次世界大戦だ。その反省で生まれたのがマーシャル・プランであり、やがてEUへと発展してゆく。
マーシャル・プランの果実は、EUだけじゃない。1989年の東欧崩壊後、ポーランドの財政は借金で火の車だった。これに手を差し伸べたのがドイツだ。「債務の50%、およそ1550億ドル」の踏み倒しを、ドイツのコール首相は認めた(本書の書き方だと、著者が認めさせた、となっている)。つかドイツ、東ドイツに加え、ポーランドの借金まで背負い込んでたのか。
まあいい。お陰で、ポーランドはEUとNATOに加入と相成った。宿敵ロシアに対し、一歩前進できたわけだ。ウクライナはどうなるんだろう?
これとは逆の失敗例が、湾岸戦争の先立つイラクのクウェート侵攻(→Wikipedia)だ。なぜサダム・フセインはクウェートに攻め込んだか?イラクはイラン・イラク戦争の費用を賄うため、クウェートに多額の借金をしていた。その返済を迫られ、逆ギレしたのである。他にもイラク・クウェート国境をまたぐ油田やOPECでの不協和があるんだけど。
次のGNP0.7%云々だが、納得できる部分はある。この本が主に扱っているのはアフリカ、それもサハラ以南だ。産業の中心は農業である。それも多くは灌漑ではなく、天水である。旱魃があればそれまでだ。何年か続けなければ意味ないのだ。しかも、気まぐれに額を増減されたら、計画が立てられない。
その象徴が、「建物はあるが医者もいなけりゃ薬もない」病院である。建物を作った所で資金が尽き、医者に払う給料も薬を買う金もないのだ。
国連を通せというのも、都合が良すぎる気がする。が、必要な(または適切な)援助は国や地域によって違う。現地の状況を良く知り、現地政府と話し合い、何に使うかを適切に分配・監視する必要がある。また、支援は計画的・総合的に行なう必要がある。肥料で収穫が増えても、運べる道路がなければ、現金収入には結びつかない。
これらを適切にアレンジできるのは国連だよね、と著者は主張している。
繰り返すが、本書が扱っているのは「極度の貧困」だ。それに焦点を絞っている。経済発展が目覚しい中国は既に脱していて、もう自力で発展できるし、インドも脱しつつある、というのが著者の判断だ。
ここで何度も繰り返されるのが、「貧困の罠」である。貧乏スパイラルとでもいうか。今日食うのに精一杯で、明日の為に残せる金がない、そういう状態である。
水道がないので、毎日数時間かけて水場から水を汲んでこなきゃいけない。電気がないから、子どもは夜に勉強できない。道路がないから、カネになる生鮮物を栽培しても新鮮なうちに市場に出せない。カネがないから、肥料を買えない。
スパイラルの典型が、作物の品種改良だ。品種改良したって、アフリカの貧乏人には買えない。だから、企業はアフリカに向く作物の品種改良なんかしない。貧乏であるが故に、品種改良という科学技術の恩恵を受けられないのである。
この状態を、著者は「貧困の罠」と呼ぶ。逆に言えば、市場を形成しうる状態になれば、企業はアフリカ向けの品種改良に取り組むだろうし、農家もその恩恵を受ける。これを著者は「開発の梯子のいちばん下の段に足をかけられる」と呼ぶ。そうすれば、後は自力で這い上がれるのだ、と。這い上がった例が、中国とインドだ。
正直、私としては幾つか異論もある。ちょっと外務省のODAの実績を見て欲しい。日本のODAは、アジア中心である。そして、貧困の罠を脱しつつあるのは、中国・インドなどアジアばかりだ。この調子だと、次はベトナムが発展するだろう。
アジアが発展する原因を、著者は「人口密度が高く海が近いから」としているし、それも納得できる。人口密度が高ければ、道路や水道などのインフラ投資の効果が大きいし、海が近ければ貿易しやすい。けど、日本の貢献も少しは認めてくれたっていいじゃないか。なんたって、途上国を引きあげた実績があるんだから。
が、「2025年までに極度の貧困を撲滅できる」という予想と、それを実現するための具体的な計画を示してくれたのには、心が沸き立つ。水や電力など生存に必須のものは一定量まで無料とする、ライフライン割引価格などの案は、なかなか魅力的だ。
経済の話は、人により意見が百出する。全てに同意できる人は少ないだろうが、全てに反対する人も少ないだろう。「国家の発展」やODAを考えるには、なかなか役に立つ本だと思う。
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