オリヴァー・サックス「音楽嗜好症 脳神経科医と音楽に憑かれた人々」ハヤカワ文庫NF 大田直子訳
音楽は人間性の両面に訴えかける。本質的に知的であると同時に、本質的に感情的なのだ。私たちは音楽を聴くとき、たいてい両方を意識している。作品の形式的構造を理解しながら、その深みに感動することもある。
――第24章 誘惑と無関心
【どんな本?】
コマーシャル・ソングが頭にこびりついて離れないことがある。特定の音楽で癲癇を起す人がいる。絶対音感を持っている人もいれば、音程を色で感じる人もいる。音痴にもいろいろあって、メロディーは正しいのにリズムは狂ってしまう人がいる。奔流のように頭の中に音楽が湧き出す人もいる。
なめらかに喋れない吃音の人もいるが、その多くは歌いだすとなめらかに歌う。ひっきりなしに動きまわるトゥレット症候群でありながら、見事に楽器の演奏をこなす人がいる。スティーヴィー・ワンダーやレイ・チャールズ,ジェフ・ヒーリーのように、盲目の優れたミュージシャンは多い。自分からは動けないパーキンソン病の患者が、音楽でスムーズに歩き始める事もある。
「火星の人類学者」「妻を帽子と間違えた男」などの医学エッセイでお馴染みの脳神経科医オリバー・サックスが送る、音楽と人間の不思議な関係を綴ったエッセイ集。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は MUSICOPHILIA - Tales of Music and the Brain, by Oliver Scks, 2007, 2008。日本語版は2010年7月に早川書房より単行本で刊行。私が読んだのはハヤカワ文庫NFの文庫本で、2014年8月25日発行。文庫本で縦一段組み、本文約496頁に加え訳者あとがき4頁+成毛眞の解説6頁。9ポイント41字×18行×496頁=約366,048字、400字詰め原稿用紙で約916枚。そこらの長編小説なら2冊分の大容量。
文章は比較的にこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。時々、「前頭葉」など脳の部位を示す専門用語が出てくるが、たいてい前後に説明があるので、知らなくても問題はない。ただ、スラスラ読めるかというと、音楽が好きな人はなかなか頁をめくれないかも。
【構成は?】
原則として個々のエッセイは独立しているので、気になった章だけを拾い読みしてもいい。
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【感想は?】
ヒトと音楽の関わりを、脳神経科医の視点で分析した本だ。だから、音楽が好きな人向けの本である。
著者はクラシックが好きらしく、出てくる曲もクラシックが多い。そのため、クラシックが好きな人はいっそう楽しめるだろう。ただし、読み進めるのは苦労するかも。
というのも。読んでいると、出てきた曲や好きな演奏が頭の中で鳴りだして、本に集中できないのだ。世の中には音楽を聴きながら本を読める人もいるが、逆に音楽があると本を読めなくなる人もいる。私もその一人だ。本を読むときは音楽を消す。そうしないと、音楽に心を奪われて文字を追いかけられないのだ。これは私だけかと思ったら…
音楽にとても敏感で仕事中にBGMをかけられない人が大勢いる。そういう人は、完全に音楽に耳を傾けるか、それとも消すか、どちらかしかない。音楽のもつ力が強すぎて、ほかの精神活動に集中できないのだ。
そうか、私だけじゃなかったんだ。これで一安心。そんなわけで、クラシックが大好きな人、楽しめる反面、読み進めるのに苦労するだろう。特に長大な交響楽が好きな人は、時間がいくらあっても足りないかも。
ヒトがなぜ音楽を楽しめるのか、改めて考えると、やたら不思議だ。そもそも音楽自体、不思議なシロモノである。音程・リズム・テンポには、ある程度の規則がある。にも関わらず、世界には無限とも思える音楽がある。言葉で音楽の規則を説明できなくても、上手に歌いこなす人は沢山いる。理屈じゃ理解できなくても、体がルールを理解しているのだ。
著者は医者だけに、様々な患者と出会う。何らかの事情で、脳の機能の一部を失った人が多い。「第8章 ばらばらの世界――失音楽症と不調和」では、これらの症例を通し、ヒトが音楽をどう解釈しているかを明らかにしてゆく。一言で音痴といっても、実は様々な音痴があるのだ。
音痴にもいろいろある。音を外している事を自覚しているなら、それは真の音痴ではない。単に下手なだけだ。「しかし本物の音痴が全人口のおそらく5%は存在」するとか。
一般に音痴と言えば音程を外す人を言う。昔は「NHKのど自慢」で、伴奏を無視して気持ちよさげに歌う人がいた。音程は正確だし、声にも見事な表情がある。ただ、伴奏とテンポが合わない。こういう人は、伴奏がむしろ邪魔で、ソロで歌っている限りは優れた歌い手だったりする。これのダンス版の人が、ここには出てくる。
タップダンス好きなL夫人、昔はタップダンスが好きで、今はエアロビクスが好き。でも、「音楽の伴奏があると、混乱してダンスがうまくできなくなる」。彼女はリズムは楽しめるのだ。でもメロディーが駄目らしく、オーケストラは騒音に聞こえるとか。もしかして今はヒップホップに請ってるんじゃないだろうか。
音程はわかるが、音色がわからない人もいる。他にも、メロディー音痴・ハーモニー音痴などが出てくる。特に奇妙なのはメロディー音痴で、音楽の「意味」がわからない。音の連なりはわかるのだが、それによって感情が動かないらしい。
など、音痴には様々な音痴があるらしい。とすると、「音楽を聴く」というのは、実に様々な機能が統合的に働いて初めて可能になる、とても複雑な能力であるようだ。
自分語りになるが、私は楽譜の読み書きができない。各音符の意味は知っている。けど、それを音に変換できないのだ。音楽を譜面に書くのは、更に難しい。リズムだけなら、苦労すればなんとかできるかもしれない。でも、音程は無理。音の高さが変わっているのはわかるが、どれぐらい変わったか、が分からない。これは単なる訓練不足なのか、欠陥なのか、どっちなんだろう? どっちにせよ、歌ったりギターを弾いたりで音楽は楽しめてるから、特に悩んでもいないけど。
脳の認知能力が音楽に大きな役割を果たしている事がわかるのが、「第13章 聴覚の世界――音楽と視覚障害」。「ゲール族の文化では、かなりの数のハーブ奏者とバグパイプ奏者が盲目、あるいはその原因になることが多かった天然痘をあらわす『ダル』と呼ばれていました」「ヨーロッパには、盲目の教会オルガン奏者の伝統があった」。
視覚を失うと、視覚処理に使う脳の部分を、音の処理に使うようになり、音楽に優れた才能を示すらしい。そういえば日本にも琵琶法師や瞽女がいたなあ。
なんて難しく考えなくても、音楽好きなら誰だって知っている。あなた、大好きな曲にドップリ浸るとき、目を閉じませんか? 私はビートルズのアビー・ロードを聴く時にそうします。「目を閉じたほうが音楽がよく聞こえる」、そうでしょ? 目を閉じると、個々の楽器まで、目の前に浮かんでくるよね。
視覚情報を遮断すると、視覚に使ってた脳の部分が音楽に振り返られるらしいです、はい。 ってことで、 私が好きな Jeff Healey の See the Light をどうぞ(→Youtube)。ブルース系のギタリストで、ちょっと変わった弾き方をします。この人のギター、妙な粘っこさがあって、慣れるとクセになるんだよなあ。
最後の「第4部 感情、アイデンティティ、そして音楽」は、なかなか感動的。音楽が治療やリハビリテーションに役立っている例が、続々と出てくる。
統合失調症を患いながら、優れた演奏家であるトランペッターのトム・ハレルやバイオリニストのナサニエル・エアーズ。感情を失いながらも、テノールでアイルランド民謡を歌いだすと豊かな感情があふれ出る(ように見える)ハリー。クラシック・ファンからポピュラー音楽に鞍替えした認知症の弁護士、逆に68歳でクラシックの作曲を始めた高齢男性。
そして、グロリア・レンホフ(→Youtube)。「30以上の言語でオペラのアリアを歌うことができる」。1988年、彼女のテレビ番組が放送された時、彼女の両親は視聴者からの電話に驚いた。「なぜグロリアがウィリアムズ症候群(→Wikipedia)だと話さなかったのですか?」
両親は彼女がウィリアムズ症候群だと知らなかったのだ。それもそのはず、とても珍しい病気で、一万人に一人ぐらい。複数の遺伝子が関係しているらしい。知能は低いが人懐っこく言語能力に優れ、音楽が大好き。自閉症の逆みたいな症状だ。今は疾患者や家族のグループが各地にあって、日本にもあるみたいだ。
「ABCのうた」や「すいへいりーべ」「ふじさんろくにおーむなく」とか、文字や数字の列を憶える時に、節をつけると憶え易い。そういえば「数覚とは何か?」では、日本の掛け算九九を持ち上げていた。どうもヒトは、リズムと抑揚が絡むとモノ憶えがよくなるらしい。
音楽を楽しむ、ただそれだけの事なのに、ヒトはとても多くの脳の機能をコキ使っている。音楽の奥深さと楽しさ、そしてヒトの不思議さと逞しさをしみじみと感じる、楽しい本だった…読んでると音楽に頭を占領されるのが困りものだけどw
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