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2015年2月 3日 (火)

「戦闘技術の歴史 4 ナポレオンの時代編 AD1792~AD1815」創元社

18世紀末から19世紀初頭にいたるこの時代は、西欧諸国の国家と社会、ひいては世界の構造までも大きく変えていくことになる、世界史上の一大転換点でした。その原動力となったのは、いうまでもなく、フランス革命に代表される市民革命と、イギリスで始まった工業化(産業革命)の進展でした。
  ――日本語版監修者序文

「30歳までに死ななかった驃騎兵はげす野郎だ」
  ――アントワーヌ・ラサール将軍

【どんな本?】

 迫力たっぷりのカラー画像と、わかりやすいイラスト、そしてカラフルな戦場地図を豊富に収録して、時代ごとの戦闘技術の変化をわかりやすく解説するシリーズの、「近世編」に続く第四巻にして、西洋編の最終巻。部隊編成・隊列・武器・軍装・戦術などの軍事面はもちろん、それを支える社会情勢や政治情勢なども解説する、軍事オタクが泣いて喜ぶ豪華で充実した内容を誇る。

 西洋編の最終巻となるこの巻では、天才的な軍人であるナポレオンの足跡を辿りながら、彼が成し遂げた軍事上の革命と、それが諸国へと及ぼした影響を取り上げて行く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Fighting Techniques of the Napoleonic Age,Amber Books, 2008。著者はロバート・B・ブルース,イアン・ディッキー,ケヴィン・キーリー,マイケル・F・パヴコヴィック,フレデリック・C・シュネイ。日本語版は浅野明監修、野下祥子訳で2013年4月20日第1版第1刷発行。

 単行本A5ハードカバー縦一段組みで本文約354頁。9ポイント45字×22字×354頁=約350,460字、400字詰め原稿用紙で約877枚。長編小説なら長めの分量だが、地図・イラスト・絵画を豊富に収録しているので、実際の文字数は6~8割程度だろう。

 専門書だが、文章は思ったよりこなれている。ナポレオンの戦歴をたどる内容なので、当事の西洋史に詳しいとより楽しめる。が、知らなくても、本文中で大まかな状況を説明しているため、特に知らなくても大きな問題はない。何より絵画やイラストを豊富に収録しているため、兵器や軍事に疎くてもだいたいの所は雰囲気が掴めるのが嬉しい。

【構成は?】

日本語版監修者序文
第一章 歩兵の役割
縦長隊形/戦術の再考/革命戦争時の歩兵/共和国軍の創設/新しい軍隊の編成/革命における戦術/軽歩兵/火砲の革新/リヴォリの戦い 1797年1月14~15日/フランス歩兵(1797年)/ナポレオンの展開/ナポレオン時代の歩兵/混合隊形/軍団/兵卒(猟歩兵 シャスール・ア・ピエ)/訓練野営/プロイセン歩兵/アウエルシュタットの戦い 1806年10月14日/最初の接触/増援隊/ロシア擲弾兵/戦術における進歩/ナポレオンのシステムへの対応/同盟軍の改革/マイダの戦い 1806年7月4日/小戦の開始/フランス歩兵(1812年)/横隊と縦隊/さまざまな反応/兵卒(第95施条銃連隊)/ナポレオンの百日天下戦争/ワーテルローの戦い 1815年6月18日/戦闘開始/騎兵の攻撃/結論/兵卒(第92歩兵連隊、ゴードン・ハイランダーズ)
第二章 騎兵の戦闘
騎兵の馬/隊形と規律/アイラウの戦い 1807年2月7日~8日/フランス騎兵(第7胸甲騎兵連隊)/雪中の彷徨/ミュラの攻撃/きらめくサーベル/擲弾騎兵/騎兵の種類/騎兵による迫撃/ソモシエラの戦い 1808年11月30日/ポーランド騎兵への命令/攻撃開始/任務以上のこと/峠の殺戮/近代の騎士/胸甲騎兵の装備/竜騎兵/オーストリア竜騎兵/ポロジノの戦い 1812年9月7日/フランス軍槍騎兵(軽騎兵)/ミュラの前進/騎兵(第1驃騎兵連隊)/大多面堡/多面堡の占領/それまでにない慎重さ/騎兵の戦術/槍の復活/カトル・ブラの戦い 1815年6月16日/ウェリントンの対応/イギリス軽竜騎兵/ケレルマンの攻撃/イギリス近衛騎兵連隊騎卒/方陣に対する攻撃/血まみれの引き分け/結論
第三章 指揮と統率
スイス選抜歩兵将校(第3スイス連隊)/将校団/国王軍と国民衛兵/フリューの戦い 1794年6月26日/コーブルク公の到着/軍隊編成の進化/行軍は個別、戦闘は団結/アウステルリッツの戦い 1805年12月2日/マックの誤算/ヴァイローターの作戦/同盟軍の攻撃/指揮と幕僚制度/同盟軍の改革/ヴァグラムの戦い 1809年7月5~7日/オーストリアの準備/フランスの防御/王室騎馬兵将校(イギリス)/カール大公、猛攻撃に立ち向かう/二日目/同盟軍の戦争/ライプツィヒの戦い(諸国民戦争) 1813年10月16~18日/ライプツィヒ/ナポレオンの反撃/19世紀に向かって
第四章 火砲と攻囲戦
野戦砲の発達/リヒテンシュタイン・システム/グリヴォーヴァル/射程距離と砲弾/革新的なシステム/許容誤差の厳格化/騎砲兵/11年式火砲システム/砲撃戦の時代/同盟軍の砲兵隊/フランス軍の指揮と統率/フリートラントの戦い 1807年6月14日/セナルモンの進撃/独立兵科としての砲兵隊/リュッツェンの戦い 1813年5月2日/攻囲戦/工兵部隊/バダホス攻囲戦 1812年3~4月/堅固な防御施設/ハンブルク攻囲戦 1813年12月~1814年5月/ダヴーの指揮/攻囲下/名誉ある退去
第五章 海戦
攻撃力/艦隊戦術/海外での争い/ナイルの戦い(アブキール湾の戦い) 1798年8月1日/ブリュエイスの戦闘準備/ネルソンの戦闘開始/ナポレオンの脱出/トラファルガーの海戦 1805年10月21日/回避と追跡/分岐点/両艦隊の交戦/ネルソン、倒れる/分析/そのほかの戦い/レユニオンの戦い 1810年/アメリカという要素/五大湖での軍事行動 エリー湖 1813年9月10日/シャンプレーン湖
各地の戦略地図
リヴォリの戦い 1797年/アウエルシュタットの戦い 1806年/マイダの戦い 1806年/ワーテルローの戦い 1815年/アイラウの戦い 1807年/ソモシエラの戦い 1808年/ボロジノの戦い 1812年/カトル・ブラの戦い 1815年/フリューの戦い 1794年/アウステルリッツの戦い 1805年/ヴァグラムの戦い 1809年/ライプツィヒの戦い 1813年/フリートラントの戦い 1807年/リュッツェンの戦い 1813年/バダホス攻囲戦 1812年/ハンブルク攻囲戦 1813年/ナイルの戦い(アブキール湾の戦い) 1798年/トラファルガーの海戦 18015年/レユニオンの戦い 1810年/エリー湖の戦い 1813年
参考文献/索引

 各章はほとんど独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。章内は、概説→戦闘の背景説明→具体的な戦闘の展開 の繰り返しで成り立っている。

【感想は?】

 なんと言っても、このシリーズの特徴はビジュアルにある。豊富に収録した絵画やイラストが、読者の理解を助けると共に、圧倒的な迫力を生み出している。

 それぞれの時代の絵画を多く収録したこのシリーズ、この時代になると画家の技術が大きく進歩したため、個々の絵画の迫力がさらに増してきた。加えて、恐らくは現代のイラストレーターが描いたであろう歩兵などの軍装も、垢じみたリアルさが漂う。特に25頁の靴を失ったフランス歩兵の図は、長い軍務の疲れを見事に表している。

 この時代の大きな変化は、やはり火器の普及が大きい。歩兵は長いマスケット銃(→Wikipedia)に銃剣を装着する。火力が重要なので、戦闘時は二列または三列の横隊で敵に面して戦う。まあ、当時は銃といっても先込めの単発で、弾丸もさましく鉛球。射程距離も知れたもので…

イギリス軍はフランス軍が137m以内に入るのを待ち、それから猛烈な一斉射撃を行なった。フランス軍の精鋭歩兵は攻撃を強行したが、73mでさらなる一斉射撃を受ける。

 とあるので、射程距離はせいぜい100mぐらい。一発撃ったら次の弾を装填するのに数分かかりそうだから、銃剣での突撃にも相応の効果はあったんだろうなあ。にしても、弓が完全に消えてるのは興味深い。弓は習熟に時間がかかるから、大人数の兵を短期間で育てにゃならん時代背景に合わないため、かな?

 育成に時間がかかるのは騎兵も同じなのだが、こちらは優遇されてた様子。これもフランスの政治情勢の影響で。かつてのフランス軍じゃ指揮官は貴族だけだったけど、さすがに騎兵部隊から貴族を追放するのは無茶だった。そして…

彼(ナポレオン)は「生まれにかかわらず、才能ある者すべてに出世の道が開かれている」という方針にしたがって、優秀な兵を昇進させただけでなく、亡命した貴族たちの帰還を歓迎し、騎兵部隊の指揮系統の重要な地位につけた。

 ナポレオンが騎兵を重視した理由の一つは、日本語版監修者序文で説明している。従来の戦争は敵を退ければ充分だったけど、ナポレオンの戦争は革命戦争だった。だから、敵を退かせるだけでなく、敵戦力を殲滅しなきゃいけない。今までは敵が退却を始めれば終わりだけど、ナポレオンは追撃して殺しつくす。

 そのためには、機動力のある騎兵が要る。加えて騎兵には、突撃して敵の前線に穴をあけたり、偵察にもコキ使われる。当事の銃の性能は前述のように情けないシロモノなんで、騎馬突撃にも相応の意味があり、おかげで槍が復活してたり。

 ナポレオンの大きな特徴は、砲兵出身であること。てんで、今までの巻では「攻城戦」や「攻囲戦」だったのが、この巻では「火砲と攻囲戦」となる。特に大きな変化は、楽に輸送できるようにした野砲。その射程距離は…

12ポンド砲の最大有効射程距離は球形弾で915m、散弾で595m。6あるいは8ポンド砲では、それぞれ820mと550m。4ポンド砲では730mと410m。6インチ榴弾砲では、1190mと500mだった。

 ちなみに球形弾はモロに鉄の球。散弾は小さい玉をまとめたもの。今の重機関銃ぐらいの威力かな?でも重さは桁違いで…

グリボーヴァルは、野戦砲を輓馬班が縦列で引くように設計していた。4ポンド砲と8ポンド砲は4頭、12ポンド砲は6頭で曳いた。

 ここで笑っちゃうのが、ロシア。この時代から、あの国の性質は変わってない。

ロシア軍はほかの交戦国より部隊あたりの火砲を多く保持しており――たとえば、ロシア部隊はフランス軍団とほぼ同数の砲兵支援があった――間違いなく質を量で補っていた。

 と、攻撃する側は色々と進歩してるけど、築城技術はあまり変わっていない模様。

 海戦では、有名なトラファルガー海戦をヤマに、帆船時代の終焉へと向かって行く。敵船に乗り移っての白兵戦は、これを最後に姿を消す。とはいえ、歴史は受け継がれてるなあ、と思うのが砲艦。戦列艦は舷側に沿って砲を並べるけど、小さい砲艦は船首に一個だけ。横向きに置いたら、、反動でコケちゃうし。

 櫂でこいで動くんで、風はあまし関係ない。小回りが利く点を生かし、敵船の船首や船尾に突っ込んでいく。大型艦は横には撃てるけど、前と後ろには撃てないから。で、思う存分撃ちまくる。が、小型だけに…

艦載砲やカロネード砲からの一発で船と乗組員が完全に失われてしまうほど脆弱だった。

 てんで、たぶんこれが後の水雷挺(→Wikipedia)やミサイル挺(→Wikipedia)のご先祖なんだろうなあ。

 などと書いているが、やっぱりこの本の最大の魅力は、豊富な絵画とイラスト。私のようなニワカには、兵の隊列の変化など、イラスト一発でわかるのが実にありがたい。次の東洋編も期待してます、はい。

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