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2014年12月24日 (水)

イアン・マクドナルド「旋舞の千年都市 上・下」創元海外SF叢書 下楠昌哉訳

「こいつは迷宮なんだよ。一生をまるまるかけて迷いこめるぐらいのね。セルマに警告されただろうが、わしもまた警告しておこう。人生を――人生のすべてを――蜜人の研究に捧げている人々がいるんだよ」

「…あれは、神聖なる時代だった。神が男たち、女たちに語りかけた時代。ヴィジョンを、驚異を、奇跡と聖人を目にすることができた時代。神はわれわれに語りかけた。喩え話で、預言で、寓話で、詩で。おれたちは、それを失ってしまった。意識が強くなりすぎてしまったんだよ。おれたちは個個の神それぞれに、接続しなおす必要があるんだ」

【どんな本?】

 「火星夜想曲」では未来の火星を幻視し、「サイバラバード・デイズ」では伝統的価値観と野放図なハイテクがせめぎ合うインドを描き出したイギリスのSF・ファンタジイ作家イアン・マクドナルドが、ヨーロッパとアジアが交差する古の都イスタンブールを舞台に、多様な文化と重層的な歴史を含みつつ大きく揺れるトルコの政治状況を背景に、酷暑と混沌の一週間を描き出す、幻想的な長編SF小説。

 キャンベル記念賞・英国SF協会賞・米国図書館協会RUSA賞受賞。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Dervish House, by Ian MacDonald, 2010。日本語版は2014年3月28日初版。単行本ソフトカバー縦2段組で上下巻、本文約317頁+275頁=593頁に加え、訳者あとがき7頁+酉島伝法の解説8頁。9.5ポイント22字×21行×2段×(317頁+275頁)=約547,932字、400字詰め原稿用紙で約1,370枚。文庫本なら2~3冊分の容量。

 日本語は比較的にこなれている。が、幾つかの理由で、読みにくい。凝ったSFガジェットを説明もなしに繰り出すので、スタイリッシュな反面、読者は面食らう。慣れないトルコが舞台なので、人名や地名が覚えにくいし、文化的な事もよくわからない。

 何より重要なのは、歴史と交通の要所である古都イスタンブール。ヨーロッパとアジアの交点であり、黒海と地中海の接点でもあるイスタンブールは、長い歴史の中で多くの政治・軍事・宗教勢力が拠点とし、せめぎ会い奪い合い、また通り過ぎていった。そういった歴史を重ねつつ多くの民族・文化が混在する都市なので、物語中のちょっとしたエピソードにも、歴史や政治的な背景事情が潜んでいる。

 というと悪口のようだが、逆にソレこそがイアン・マクドナルドの、そしてこの作品の魅力でもある。世界史の壮大なスケールを感じさせると共に、アジア・ヨーロッパのいずれから見ても異国の匂いが立ち込める作品だ。

【どんな話?】

 2027年。トルコは念願のEU参加を果たした。熱い五月の月曜日、イスタンブール。通学・通勤客を乗せた朝のトラムで、若い女が自爆テロを起こす。通勤中にトラムに乗り合わせたネジュデット・ハスギュレルは、運悪くテロに巻き込まれてしまう。サツの厄介になるのはマズい。なんとか現場を逃げ出したが、困った後遺症に悩まされる。

 9歳のハイテク・オタク少年ジャン・デュルカンは、自分のビットボットで自宅の周辺を監視している。今は猿の姿だ。テロの爆音を聞いた後、不審なロボットを見つけた。テロの現場周辺を熱心に映している。

 その客が落ち込んだ版画はガラクタだった。だが真鍮製のミニチュア・コーランは拾い物だ。アイシェ・エルコチェが現金二百ユーロで手を打つ。次の客ハイダル・エクギュンは、とんでもない爆弾を持ち込んだ。「百万ユーロ、お支払いしましょう」「わたくしは、蜜人を買いたいのです」

【感想は?】

 「サイバラバード・デイズ」に続く、異郷を舞台とした幻想的なSF長編。

 サイバラバード・デイズは、インドの伝統的な文化や社会構造に、地域紛争とハイテクと熾烈な自由競争を投げ込み、SFともファンタンジイともつかない、彼独特の味を感じさせる作品だった。

 独特の味という意味では、この作品も似ている。背景はEU参加を果たした近未来のトルコ。グローバル経済とナノテクが押し寄せるのに対し、ムスリムとしてのトルコ人のアイデンティティを守ろうとする勢力も活性化している古都イスタンブール。

 主な登場人物は6人。テロに巻き込まれた青年ネジュデット・ハスギュレル。ハイテク・オタクの覗き屋小僧ジャン・デュルカン。老いて引退したギリシャ系の経済学者ゲオルギオス・フェレンティヌ。オゼル物産ガスの野望溢れるトレーダーのアドナン・サリオーリュ。アドナンの妻で細密画に魅せられ画廊を営むアイシェ・エルコチュ。田舎出の娘で就活中のレイラ・ギュルタシュリ。

 この6人が、奇妙な自爆テロを発端に、古都イスタンブールの中でひっかきまわされる群像劇である。

 が、なんといっても、この作品の主人公は、都市の女王イスタンブールだろう。

 歴史がある点ではわが日本の京都も負けちゃいないが、ダイナミズムが違う。京都は一貫して日本の中心地だったのに対し、イスタンブールには幾つもの文化が流れ込み、通り過ぎ、居座り…そしてそのすべてを、飲み込んできた。ボスポラス海峡を挟んでヨーロッパとアジアにまたがる都市であり、黒海とエーゲ海/地中海に面する要所だ。

 それだけに、ここには様々な時代と文化の置き土産が残っており、厚い地層をなしている。それはこの物語の登場人物も同じで、様々な文化背景を持つ人々が出てくる。

 最も判りやすいのが、田舎から出てきたレイラ・ギュルタシュリだろう。田舎で埋もれるのが嫌で都会に出てきた若い娘。だがイスタンブールでも、トルコ流の家族主義に絡みとられ、今は一族の大おばゼリハの厄介になっている身分。都会のドライな生活に憧れつつも、一族の絆はなかなか切れない。彼女は伝統的なトルコから、近未来のトルコへの橋を渡ってゆく人物だ。

 レイラが反感を持ちつつも、恐らくは彼女が目指す所にいるのが、トレーダーのアドナン・サリオーリュ。生き馬の目を抜く天然ガスの取引の世界で、ナノテク・ドラッグの力を借りて得た直感力を駆使し、一瞬の市場のギャップを感知して利ざやを稼ぐ男。近未来のトルコの先端を走る人物である。

 生まれながらにトルコの先端にいるのが、9歳の覗き屋小僧ジャン・デュルカン。心臓の障害のため激しい運動はできないが、自ら改造したビットボットを駆使して自宅のあるアダム・デデ広場周辺を冒険して回っている。今の日本なら、妖怪ウォッチに親しむデジタル・ネイティブ世代の少年か。

 そんな自由主義とハイテクに流されてゆくトルコに対し、伝統的なイスラムを復活させようと目論む若者が、ネジュデット・ハスギュレル…ではなく、彼の兄で教団を組織するイスメット・ハスギュレル。イスラム原理主義に傾倒する現代の若者を、少し連想させる存在だ。

 伝統を愛する点はイスメットと同じだが、より知的で自然で穏健なのがアイシェ・エルコチュ。画廊を営むだけあって、古くからの国際都市イスタンブールの歴史と文化に深く通じている。彼女の目を通して見るイスタンブールの町並みは、歴史のモザイクそのものだ。しかも、重層的な。秘密の教団や都市に隠されたパズルなど、スケールの大きい伝奇ミステリの味がする。

 そして、現代トルコの問題を象徴するのが、ギリシャ系の老経済学者ゲオルギオス・フェレンティヌ。今は広場の喫茶店でのんびり老人仲間と茶をすする毎日だが、かつては…。 今でも睨みあうトルコとギリシャ、世俗的な軍と反動的な政府、クルドやアルメニアなどの民族問題、そしてEU加盟の条件となる人権の懸念など、現代トルコが抱える問題が彼を通して見えてくる。

 物語を駆動するのは、ネジュデットが巻き込まれる自爆テロと、アイシェが追う蜜人だ。テロはなかなか姿が見えないが、蜜人を追う過程は伝奇物としても面白い。なにせ東西南北の交点イスタンブールである。ブツと、それを巡る関係者、そしてまつわるケッタイな伝説が、大きなスケールで展開されてゆく。

 EU参加を目指し現代化を目指す動きと、エルドアン大統領を頂点とする伝統回帰が衝突している現代のトルコだが、この小説を読むと、「結局、なんとかなるんじゃね?」と思えてくる。いままでだって、イスタンブールは激しい衝突の舞台になったけれど、すべてを飲み込み君臨してきたのだから。

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