スティーヴ・ハミルトン「解錠師」ハヤカワ・ミステリ文庫 越前敏弥訳
まちがった相手に対して自分が有能だといったん証明してしまったら、二度と自由になれないということを、ぼくはわかっていなかった。
【どんな本?】
アメリカのハードボイルド作家スティーヴ・ハミルトンによる、現代のアメリカの少年を主人公とした犯罪小説であり、切ない恋愛・青春小説。みずみずしい少年の心の動きと、彼が辿った過酷な運命、そして緊迫感溢れる犯行の描写が日英米で好評を博し、多くの賞を獲得した。
2011年アメリカ探偵作家クラブ(MWA)エドガー賞最優秀長編賞,英国推理作家協会(CWA)イアン・フレミング・スティール・ダガー賞,バリー賞最優秀長編賞,全米図書館協会アレックス賞,宝島社<このミステリーがすごい!>2012年海外編1位、週刊文春ミステリーベスト10海外部門1位など、数々の賞を獲得している。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Lock Artist, by Steve Hamilton, 2009。日本では2011年12月ハヤカワ・ポケット・ミステリとして刊行、後2012年12月15日ハヤカワ・ミステリ文庫より文庫本が刊行。私が読んだのは2012年12月16日の二刷。飛ぶような売れ行きだなあ。
文庫本で縦一段組み、本文約555頁+訳者あとがき5頁。9ポイント40字×17行×555頁=約377,400字、400字詰め原稿用紙で約944枚。上下巻の二冊になってもおかしくない分量。
文章はかなりこなれている。犯罪小説というとチンピラの妙にヒネた台詞が読みにくさの原因になるのだが、この本はかなりマトモ。中身も特に難しくない。敢えていえば、シリンダー錠のしくみなどを調べておくと、仕事の場面の緊迫感が増すかも。あと、アメリカの各地を転々とするので、多少の地理がわかっていると、彼の旅が立体的に見えてくる。
【どんな話?】
ぼくマイクルは8歳の時に事件に巻き込まれ、両親と声を失った。1990年の夏のことだ。そして今は塀の中にいる。なぜこうなったのか、その話をしよう。
はじめての本物の仕事は、1999年9月のフィラデルフィアだった。「堅実で信頼できる」はずのチームだ。呼ばれて、仕事をして、報酬を受け取る。簡単な仕事だった。
ああ、その前に、なぜぼくが、こんな技術を身につけたのか、話した方がいいな。両親を失ったぼくは、伯父のリートに引き取られて、デトロイトの北西のミルフォードって町に行き…
【感想は?】
ミステリという看板は忘れていい。これは優れた現代アメリカの青春小説だ。
物語は主人公の一人称で語られる。その主人公、冒頭は檻の中だ。どんな犯罪を犯し、なぜ捕まったのか、なぜ犯罪の道へ入ったのか、それを自ら「語って」ゆく。
「語って」と言ったが、実は主人公、声を失っている。肉体的な問題ではなく、精神的なものらしい。これが彼の大きなハンデとなり、幾つかのピンチを招くと同時に、現代アメリカの風潮を見事に浮き上がらせる仕掛けになっているのがいい。
何せアメリカ人は、やたらとしゃべる。ソープオペラや映画俳優のエディ・マーフィーの印象もあるが、Youtube で日常風景を見ても、身振り手振りを交えて早口で喋っている人が多い。仕事でも自分の実績をいかにアピールするかが重要で、黙々と仕事をすれば評価される日本とは大きく違う。
そこに主人公のマイケルが現れる。何もいわない。黙って仕事をして、報酬を受け取って去ってゆく。彼と犯行仲間のギャップが可笑しい。「ふたりとも、一秒でいいから口を閉じろ!」には笑ってしまった。
マイケルには二つの特技がある。一つは絵を描くこと、もう一つは錠前外し=金庫破り。絵は問題ないが、錠前外しは一歩間違えるとヤバい…というか、冒頭からヤバい道に入った事は明らかになっている。この技術を身につけ、磨いてゆく過程の描写は、技術・開発系の仕事をしている人なら、何度も頷く場面が多いだろう。
自分にその才能があると感じた時。その才能を生かしている時の、ワクワクする気持ち。新しい課題が与えられた時の、おそれと期待が混じった気分。自分の限界が明らかになる不安と、憧れていた次のステップへと進むときめき。導師と仰げる人に出会ったときの想い。
そして、日頃は目立たず部屋の隅にいる者が、たった一つの特技を披露して、チームに重要な役割を担う時の誇らしさ。自分中に才能を見出してしまったら、それを磨かずにはおれない人の業。ソフトウェア開発を職業としている人なら、この気分、わかるんじゃないかなあ。
この才能を見出された時のマイケルの立場が、これまた巧い仕掛けで。自由と平等、法と秩序の国という仮面を被っちゃいるが、アメリカといえど所詮は人間が作った国。どうしようもない格差は歴然と存在し、目に見えない形でのカースト制が敷かれている。多感な少年時代で、否応なくマイケルは現実の社会を見せ付けられる。
彼にソレを見せ付けるマーシュの造形が、とってもよく出来ている。それまで彼が出会う大人といえば、伯父さんのリートぐらい。このリート、基本的には気のいい伯父さんだけど、人とは距離をとっちゃうタイプで、アメリカ人としてはかなり大人しい人。だからこそ、マイケルと巧くやってこれたんだろうけど。
対してマーシュは、典型的なアメリカ的なビジネスマンというか、町の名士気取りというか。実に嫌な奴なんだが、彼の憎ったらしさこそ、マイケルの若さを見事に引き立ててゆく。読者は遠慮なくマーシュを憎もう。その方が楽しめるから。豪邸に住み、マイケルを支配し、それでも不満タラタラのマーシュ。対してマイケルは…
これで人生に必要なものはすべてそろった。ぼくはまたバイクにまたがって、まっすぐアメリアの家へ向かった。
若者は自分の力を信じている。旅に出るとき、自信のある者ほど、荷物が軽い。この時のマイケルの想いを、「そうだったなあ」などと思い出す歳に私はなってしまった。
さて、先の引用に出てきたアメリア。彼女こそ、この作品のもう一人の主人公にして、マイケルの運命を決める人物。マイケルが彼女のために描いた絵を、次の日には恥ずかしく思い返すあたりは、いかにも若々しくて微笑ましい。
「つらいんじゃない? 誰かをそんなに強く求めるのって」
そう、傍から見ると、マイケルの人生は過酷そのものだ。声が出せないというハンデはあるが、真面目で職人肌で、ブサイクでもない。誠実で友達思いで、人を裏切らないし、他人の痛みもわかる。まっとうに生きれば、普通の人生を送れるだろうに、分かれ道で彼はいつも悲しい選択をしてしまう。
などの物語は、幾つかの時系列をシャッフルしながら、次第に現在へと収束していく形で語られる。肝心の錠前破りの場面も、没頭するマイケルの心理を見事に写し取っていると思う。映像にしたら、抽象的なCGが活躍する場面だろうなあ。まあ、あまり現実的に描かれても悪用されそうで困るんだけど。
次第に収束してゆく時系列の束は、物語が進むほど緊迫感を増し、分厚い本もなかなか閉じられなくなってしまう。多くの賞を獲得しただけのことはある、面白くて気持ちいい、そして少し切ない小説。専門技能を必要とする仕事に就いている人なら、間違いなく楽しめる。
【関連記事】
| 固定リンク
「書評:フィクション」カテゴリの記事
- ドナルド・E・ウェストレイク「さらば、シェヘラザード」国書刊行会 矢口誠訳(2020.10.29)
- 上田岳弘「ニムロッド」講談社(2020.08.16)
- イタロ・カルヴィーノ「最後に鴉がやってくる」国書刊行会 関口英子訳(2019.12.06)
- ウィリアム・ギャディス「JR」国書刊行会 木原善彦訳(2019.10.14)
- 高木彬光「成吉思汗の秘密」ハルキ文庫(2019.06.19)
コメント