ダニエル・L・エヴェレット「ピダハン 『言語本能』を超える文化と世界観」みすず書房 屋代道子訳
これが積極的な材料になるというのは、ピダハンがその文化的価値で文法を縛っているからだ。繰り返しになるが、ピダハン語にリカージョンが欠けているのはたんなる偶然ではない。ピダハン語はリカージョンを求めない。文化の原則によって、リカージョンを認めないのだ。
――第十五章 再帰(リカージョン)――言語の入れ子人形(マトリョーシカ)
【どんな本?】
プロテスタント福音派の伝道師で言語人類学者のアメリカ人ダニエルは、キリスト教の伝道を目的に、ピダハン族が住むアマゾンの密林へと向かう。福音派の伝道は聖書の翻訳から始まる。だが、ピダハン語以外を話すピダハン族はいない。そのため、ダニエルは独学でピダハン語を身につけなければならない。
家族を連れピダハンの村に移り住んだダニエルを、ピダハン族は暖かく迎え入れてくれた。彼らと共に暮らしながらピダハン語を学び始めたダニエル。だが、やがて彼が見出したピダハン語の構造は、奇想天外なものであり、それはピダハンの文化と密接に結びつくものだった。
ダニエルの説は、言語学界の大御所ノーム・チョムスキーの生成文法規則を大きく揺るがせ、大論争を巻き起こす。と同時に、ピダハン語を通じてピダハンの文化を深く理解したダニエルの世界観も、大きく変えてゆく。
アマゾン奥地の冒険譚であり、半狩猟民ピダハン族の文化人類学報告であり、言語学的な考察であり、また人の生き方・価値観を考えさせられる、奇想天外で抱腹絶倒で少しシンミリする、傑作ドキュメンタリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は FOn't Sleep, There Are Snakes : Life and Language in the Amazonian Jungle, by Daniel Everette, 2008。日本語版は2012年3月22日発行。単行本で縦一段組み、本文約385頁+訳者あとがき5頁。9ポイント46字×19行×385頁=約336,490字、400字詰め原稿用紙で約842枚。長めの長編小説の分量。
お堅い本の多いみすず書房だが、この本は意外と日本語はこなれていて読みやすい。後半の言語学的な考察は一見近寄りがたいが、「英語と日本語って全然違うよな」ぐらいに判っている人なら、なんとかついていけると思う。加えて複数のプログラム言語を使える人なら、著者の主張に同意する部分も多いだろう。
【構成は?】
第一部は主にピダハンの生活レポート、後半は言語学的な考察が多い。
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【感想は?】
これは傑作。ただし一部の人には不愉快な本。
というのも。「第十七章 伝道師を無神論に導く」があるからだ。タイトル通りの内容なので、信心深いキリスト教徒は不愉快に感じるかも。また、極端な科学技術信奉者にも、ちょっと面白くない本だ。というのも、著者のダニエルが、半狩猟民ピダハンの生活に、ゾッコン惚れこんでいるから。
逆に狂喜乱舞して喜ぶのが、ファースト・コンタクト物のSFが好きな人。特に後半は小難しい理屈が出てくるが、頑張って読み解く甲斐がある。サミュエル・R・ディレイニーの「バベル-17」や、チャイナ・ミエヴィルの「言語都市」に並ぶセンス・オブ・ワンダーが味わえる。しかも、これがルポルタージュなんだから、世界は面白い。
例えば、著者が「鼻」を意味するピダハン語を学ぶ場面。
「これは何と言う?」自分の鼻を指しながらわたしは尋ねた。
(コーホイ)「イタウーイー」
「イタウーイー」自分ではそっくりなつもりで反復した。
「アイオー、イタウパイー」とコーホイ。
あれれ。おしまいにくっついたパイーは何なんだ?
そこでわたしは素人臭く訊いた。「鼻をあらわすのにどうしてふたつ言葉があるんだ?」
「言葉はひとつ、イタウパイーだ」と癪にさわる返事が返ってきた。
「イタウパイーだけ?」
「そい、イタウーイーだ」
エイリアンとのファースト・コンタクト物が好きな人なら、ゾクゾクするでしょ、こういう場面。解はこの記事の最後。
プロローグから、彼らとの生活のワイルドぶりが伝わってくる。朝起きたら、短パンを拾う。この際、タランチュラ・サソリ・ムカデが潜りこんでないか調べる。ゴキブリもデカく、「7、8センチ」ある。潔癖な人には到底耐えられない生活だ。
ある意味、ピダハンの文化は冷たい。出産で苦しむ若い母親を、誰も助けない。赤ん坊が刃物で遊んでいても、誰も注意しない。「子どもも一個の人間であり、成人した大人と同等に尊重される価値がある」。だから「赤ちゃんことば」もない。「おはよう」「こんにちは」など、あいさつに該当する言葉もない。
著者は「適者生存のダーウィニズム」と書いているが、ある意味、究極のリバタリアニズムでもある。個人の自由を徹底して尊重しているのだ。それでも、子どもは親から学ぶ。「いろいろやってみて、結局親の言うことを少しくらい聞いておくのが一番だと学んでいくようだ」。子育て悩む親は少ないだろうなあ。
しかも、誇り高い。ポルトガル語を覚えないのは、自分たち以外は卑しいと思っているからだ。著者が村に来た理由を、村人がどう考えているか尋ねた際の返事は「ここが美しい土地だからだ。水はきれいで、うまいものがある。ピダハンはいい人間だ」。自分たちの生活に満足しているのだ。
やはり興味深いのが、右と左に関する言葉がない点。彼らの村は基本的に川沿いにある。そこで、方向を指示する際は、上流か下流かで示すのである。これは他の土地に行った時も同じで、見知らぬ土地に行くと、まず川の位置を知ろうとする。彼らの地図は、川を原点にして出来ている。
世界観も独特だ。創世神話がない。「人々は経験していない出来事については語らない」。完璧な経験主義者なのだ。これが後に著者の世界観を大きく揺さぶってゆく。ある意味、科学的なのだが、ここにもう一つの制限がある。役に立たない事は考えない。ローマ的なのだ。
彼らは農耕もしている。ったって、マニオク(キャッサバ、→Wikipedia)だけど。地中にあるかぎり成長し続けるんで、「二年前から放棄されている畑でも、1m近いマニオクの塊茎が採れることもありうる」。賢い。
ピダハン語の奇妙さは沢山あって、「どの動詞も接尾語を最大16もとることがある」。そのくせ、「受動態という構造はない」。すげえ。ピダハン語でマニュアルを書いたら、さぞかし簡潔で判りやすいマニュアルになるだろう。
素人にマニュアルを書かせると、やたら受動態を使いたがる。たいてい、そういうマニュアルは、無駄に文章が長いだけで、「どうすれば何が起きるのか」が判らない。
こういったピダハン語の特異な特徴を、著者はピダハンが生きている環境と、そこで生きていくために彼らが育てたピダハン文化に求めてゆく。文化は言語と重大な関わりがある、そう主張するのである。
この辺、複数の言語を操るマルチリンガルな人はどう思うんだろう?
私は日本語しか話せないが(英語の成績は壊滅的だった)、プログラミングの経験から全面的に肯定する。c言語で考えている時と、SQLで考えているときは、全く思考過程が違う。一時期 Prolog を齧ったが、考え方が全く違うのに苦労した。ある程度 Prolog を使えるようになったら、今度はc言語を使えなくなった。頭が述語論理になってしまったのだ。それ程ではないにせよ、c言語で書く時は、実行速度やメモリ効率を同時に考えている。perl で書くときは、「いかに手っ取り早く片付けるか」を主に考える。言語によって、頭の使い方が違うのだ。
やがて著者は、言語学の御大チョムスキーが唱える、生成文法への反例を見つけだす。ピダハン語には再帰がない!これは言語学を揺るがす大論争を引き起こす。そして、ピダハン文化は著者の信仰すら脅かし…
我々とは全く異なる世界に、我々とは全く異なる世界観で生きているピダハンの人々。短命ではあるが、彼らはその生き様に満足している。彼らの生き方・考え方も面白いが、それ以上に、著者が彼らの世界観を解き明かして行く過程も、ファースト・コンタクト物としてめっぽう面白かった。SF者には文句なしにお勧めの一冊。
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【謎の解】
語尾の「-pai」は「自分のもの」を示すらしい。
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