ジョゼフ・ギース/フランシス・ギース「大聖堂・製鉄・水車 中世ヨーロッパのテクノロジー」講談社学術文庫 栗原泉訳
グーテンベルク以後何世紀にもわたって、印刷術の発明は数々の誉め言葉で称えられてきたが、そのなかでも最も核心をついたものを紹介しよう――「この発明は、その後に続くすべての技術進歩を速めた技術進歩だった」(T.K.デリー、T.I.ウィリアムズ共著)。
【どんな本?】
ヨーロッパの中世は暗黒時代とも言われ、ギボンは「ローマ帝国衰亡史」の中で「野蛮と宗教の勝利」と描いている。しかし、近年の研究により、歴史家の認識は変わってきた。
産業革命ほど劇的ではないにせよ、犂・ハーネス・造船・水車・製鉄・建築・紡績などの各分野で、少しづつテクノロジーは小さな改良を続けてきた。初期にはローマ帝国から受け継いだものや、中国やアラビアから学んだものが多かったが、やがてヨーロッパが独自でテクノロジーを発明・発見し、東方を追い越していったのだ。
それぞれのテクノロジーは、いつ・だれが発明したのか。それは、社会にどう広がり、どんな影響を与え、どう改良されていったのか。われわれの持つ「暗黒時代」の印象を覆しつつ、技術の進歩と社会の変容、そして思想の変転を描く、一般向けの歴史教養書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Cathedral, Forge, and Waterwheel - 2Technology and Invention in the Middle Ages, by Joseph Gies & Frances Gies, 1994。日本語版は2012年12月10日第1刷発行。文庫本縦一段組みで本文約361頁+訳者あとがき6頁。8.5ポイント41字×17行×361頁=約251,617字、400字詰め原稿用紙で約630枚。長編小説ならちょい長めの分量。
文章は比較的にこなれている。扱っているのはヨーロッパの歴史なので、西洋史に詳しい人ほど楽しめるが、重要な時代背景などは本文中に説明があるので、特に気にする必要はない。「ローマ帝国が衰えてナニやらゴチャゴチャしてルネサンスがあって産業革命があって現代」ぐらいで充分に味わえる。
【構成は?】
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原則として時系列順なので、素直に頭から読もう。
【感想は?】
技術ってのは、生物の進化に似ている。一足飛びに進むわけじゃなくて、一歩一歩進んでいく物なんだなあ。
ヨーロッパの中世の技術史を網羅した本だ。単に技術について述べるだけでなく、それが発明されたきっかけや思想的な背景、社会に与えた影響などもあわせて書いている。
ちなみに、この本では、中世を西暦500年ごろ~1500年ごろ、としている。
なんとなく教会が悪役になっているヨーロッパの中世だが、この本ではむしろ知識・技術の庇護者として描いているのが意外。 鴇田文三郎「チーズのきた道 世界のチーズと乳文化探訪」でも教会はチーズ作りの技術を保全したとあったし、日本でも仏教と技術の伝来は一緒だった。昔は宗教組織=学問の庇護者、だったのかも。
とまれ、この変転も皮肉が効いてて。最初、修道院は労働を重視した。聖ヒロエニムス(347頃~420)曰く…
「職種を同じくする修道士たちが親方のもとで一つ屋根の下に住んでいた。たとえば、亜麻布を織る人たちは何人かで集まっていたし、敷物職人は一つの家族とみなされていた。仕立て職人、馬車作り、縮絨職人、靴屋らはすべて、それぞれの親方のもとで働いていた」
6世紀の「ベネディクトゥスの戒律」に端を発するベネディクト会も、当初は修道士自ら働いていたが、やがて豊かになると、「手を使う仕事は小作人や召使いに託された」。
これじゃイカン原点に立ち戻れと、11世紀にシトー修道会が立ち上がる。が、やがて、中で貴族階級の修道士と下層階級の助修士に分かれ、労働は助修士に任されることになる。こういったパターンは、アメリカのプロテスタントの宗派の歴史と似てるなあ、と思ったり。
馬具じゃ鐙が有名だけど、ハーネスも大きいとか。従来のものは首をつないでるんで、馬が張り切ると喉を締める。これを馬の胸に当てるようにしたので、「馬は少なくとも従来の三倍の牽引力を発揮できるようになった」。これに畑を掘り返す犂が加わり、「北西ヨーロッパの肥沃な森林地帯を切り開く大仕事が進んだ」。
比較的に川が多いヨーロッパ北西部は水車を普及させ、ここで発達した歯車などの機械工学が産業革命の土台を整えてゆく。こういうドミノ倒し的な影響の波及が、技術史の楽しい所。
紙幣より為替手形の方が先、ってのも意外。9世紀はじめの中国の飛銭(→Wikipedia)が原型だが、「812年に政府が引き受けるようになり、やがて本物の紙幣へと進化していった」。つまり、最初は商人が信用を引き受けていたわけ。
シルクロードの名でわかるように、絹は東西の重要な交易品で、「教会は大口の顧客だった」。はいいが、「ときおり不適切なアラビア語が生地に書き記されていた」。
ダラム大聖堂に祀られた聖カスバート(→Wikipedia)の遺体を包んだ帷子には「アッラーのほかに神なし」と、ブルターニュの聖ジョゼの帷子には「アブ・マヌ・ハイドル司令官に栄光と幸運あれ、アッラーが長命の恵みを授けたまわんことを」と書かれていた。
大らかなもんです。まあ、でも、「アッラーのほかに神なし」は、意味的にキリスト教でも間違ってない気がする。
当時に流行ったニセ科学と言えば錬金術と占星術。錬金術は蒸留などの技術を発展させ、やがて化学や蒸留酒に繋がってゆく。もう一つの占星術は、というと、これまた機械工学の粋である時計を生み出すから面白い。「機械時計は星や惑星の動きを追跡するための精密機械の必要性から生まれたのである」。しかも…
中世の時計の最も注目すべき点は、それがもっぱら金属だけでできた初めての機械だということだ。以前の機械はすべて主に木でできていた。精密な仕事を重んじる金属細工師の伝統はここに確立されて18世紀まで維持され、産業革命においては紡績機械の製造で重要な役割を担った。
こういった金属加工の技術は、やがてグーテンベルクの活版印刷にも活かされ、冒頭の引用にあるように、技術の爆発的な普及・進展へと繋がってゆく。そこには、ワイン絞り機で培ったプレス機の技術や、10世紀のカロリング朝の小文字体から発展したゴシック体、イタリアの画家が開発した染料と亜麻仁油を混ぜる技術などが基礎となっている。ああ、もちろん、亜麻布のボロを使った製紙技術や、その原動力になった水車利用の機械工学も。
ごく初期には巡回印刷業を営む人もいた。機械や装置を荷車に積み込み、あちこちに移動しながら仕事をするのだ。
というから、アチコチの修道院を訪ねて仕事をしてたんだろうか。ただ、版を作るのは大変らしく、「グーテンベルク聖書の一ページの植字には、おそらく一人の職人が丸一日かかったと思われる」とか。
それでも、活字そのものは「一つの活字書体は合わせ文字や記号や大文字小文字を含め、およそ150字が必要」ってのが、欧州の幸運な所。中国や日本より必要な文字が1~2桁少ないからなあ。
などと、印刷一つをとっても、製紙・金属加工・油製インクなどの基礎技術の他に、文字数や書体などの文化的背景、そして出せば売れる聖書という世界一のベストセラーの存在が、誕生の鍵を握っていたりする。
やはり造船ではバルト海と地中海が互いにアイデアを交換しつつ発展して行ったり、航海術じゃ中国生まれの羅針盤が基礎になってたりと、技術史は風土や気候に加え、多様性と伝播とアレンジと合流が、多くの意外性を含めながらダイナミックに絡まりあうから楽しい。
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