トマス・ホーヴィング「にせもの美術史 鑑定家はいかにして贋作を見破ったか」朝日新聞社 雨宮泰訳
千の芸術を知る者は、千の偽物を知っている。
――ホラティウス「わたしたちは出来の悪い贋作についてしか話ができません。見破られたものだけです。言いかえれば、すぐれた贋作はいまも壁にかけられているのです」
――メトロポリタン美術館(当時)主任キュレーター、セオドア・ルソー
【どんな本?】
美術品の贋作は、いつごろから出回ったのか。誰が、どのように作っているのか。カモをひっかけるコツは何か。現在、どれぐらい贋作が出回っているのか。鑑定家に必要な能力は何か。贋作を見破るコツは何か。最新の科学鑑定を、贋作かはどうやって出し抜くのか。
ニューヨークのメトロポリタン美術館で館長を務めた著者による、主に西欧の中世美術を中心とした、贋作に関するエッセイ集。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は FALSE IMPRESSIONS : The Hunt for Big-Time Art Fakes, by Thomas Hoving, 1996。日本語版は1999年4月5日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約373頁。9ポイント45字×19行×373頁=約318,915字、400字詰め原稿用紙で約798枚。長編小説ならちょい長め。なお、原書中の3章ほどは「他の著作と重複する」などの理由で割愛している。なお、今は朝日文庫から文庫版が出ている。
日本語の文章は比較的にこなれている。素人でも充分に楽しめる内容だが、多少は美術と西洋史の知識があると、更に楽しめるだろう。私は美術に関してサッパリなんだが、それでも楽しめた。贋作を作って売るエピソードは、いわば詐欺の話なので、登場人物が入り組んで少々ややこしい。じっくり腰を落ち着けて読もう。
サンプルの写真を19枚ほど収録している。美術の本なので、途中で有名な絵画や彫刻や様式の名前が頻繁に出てくる。じっくり読もうとすると、その度に Google などで検索したくなるので、パソコンやスマートフォンが使える状況だと便利。
【構成は?】
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基本的に各章は独立しているので、気になった所だけ拾い読みしてもいい。
【感想は?】
いやホント、Google は便利だ。
「はじめに」で「19世紀のスウェーデン人画家アーンダス・ソーンは」「サフティグと呼ばれる農民の娘たちの光り輝くようなヌードが有名」とかあるんで、思わず検索しちゃったじゃないか、下心満々で。日本語の表記は「アンデシュ・ソーン」が一般的みたいだ(→Wikipedia)。
具体的な話は「2 かるはずみな古代」から始まる。ここでいきなり「もっとも古い贋作者は、フェニキア人だったようである」とあるから歴史が古い。
Wikipedia のフェニキア人によれば「紀元前12世紀から何世紀もの間、フェニキア人は地中海世界の海上の主役だった」とある。また「優れた商人であり、その繁栄は海上交易に支えられていた」。つまりはエジプトやギリシャのブランドを偽造し、パチモンを作って高く売りつけてたわけだ。
ローマもパチモンじゃ年季が入ってる。紀元前一世紀の贋作者パシテレスは著作がベストセラーになってる。曰く「型をとって正確に偽造品をつくりだすべきだ」として、見よう見まねでギリシャの複製を作る者を「だらしない」と「罵倒した」。ローマは現代のエピソードでも、何度も登場する舞台で、歴史がある都市は贋作も多いらしい。
痛快なのが、ルカ・ジョルダーノ(→Wikipedia)。1965年にアルブレヒト・デューラー(→Wikipedia)の「不具者を治すキリスト」を模造するが、ちょいと細工をしておく。「わざとその絵に自分のサインを入れ、上から絵の具をひと塗りしたのである」。おまけに研究家に調べさせ本物のお墨付きを貰い売り出す。
これだけならケチなペテンだが、その後がヒドい。ルカは買い手に偽物だと教えるのだ。訴訟になったが、「ルカのサインがあるのだから無罪」。判事のお墨付きまで貰ったルカ、「続々と大量の偽造品をつくりはじめた」。スペイン王のカルロス二世(→Wikipedia)まで騙してタネを明かしたところ、「王からたぐいまれな才能と賞賛された」。肝の据わったやっちゃ。
贋作作りは似せる技術も重要だけど、それ以上に詐欺の腕がモンを言う世界だなあ、と思うのが「15 ボストン玉座の失敗」。1887年、富豪ルドヴィージ宅の基礎工事中、次々と貴重な美術品が発掘される。ここは古代ローマの政治家カリウス・サルステゥスの庭園跡だったのだ。
中でも幅1.5mほどの大理石の浮き彫りは紀元前460ごろ作られた厳格様式の名作で、アフロディテ玉座と呼ばれる。これは大騒ぎとなり世界中の美術館が獲得競争に乗り出すが、イタリア政府が国外持ち出しを許す気配はない。
ってな時に、近所でもう一つの玉座が見つかる。仕掛けたのはヴォルフガング・ヘルビッヒとフランチェスコ・マリネッティ、ひっかかったのはボストン美術館。一部で有名なボストン玉座だ。これが偽造である根拠は幾つかあるんだが、例えば竪琴の糸巻きが現代楽器のものみたいだったり。
言われてみりゃ、なんで専門家が気付かないのか不思議なくらいだが、興奮してる時の人間なんて、そんなモンなんだろうなあ。この本には何回か詐欺の手口が出てくるんだけど、その大半はペテン師がカモを急がせてる。今週中でないと手に入りません、などと理由をつけて。贋作に限らず0なんであれ、、契約をセカされたら、危ないと思った方がいい。
贋作でも豪快なのが、ブリジッド・ララ。一時期、メキシコの600年~900年ごろのヴェラクルス古典文化様式の土偶が話題になった。見つかったのは三千点ほど。1974年、メキシコで警察は密輸犯を逮捕する。国宝級の美術品を売買した疑いだ。その際、密輸犯は無茶苦茶な弁明を始める。自分で作ったんだ、と。
その証拠に、実際に作って見せると豪語した犯人、粘土と道具を手に入れ刑務所の中で一昼夜。逮捕時に持っていた物より出来のいいシロモノを作って見せる。
なんと、三千点を越える「ヴェラクルス古典文化様式」は、全て密輸犯ブリジッド・ララがデッチあげたものだった。一つの文明をまるごと偽造したのである。
その後、彼はメキシコの文化庁に雇われ修復とレプリカの創作に携わりつつ、流通している自分の贋作を特定する役割を果たしている。
美術の話だと思うと敷居が高そうだが、この本はむしろコン・ゲームの面白さが溢れている。特にペテン師が気を配るのが、来歴をデッチ上げる部分で、微妙に事実を混ぜてたりする。「ヒトって、よくできた物語には騙されちゃうんだなあ」などと感心した本だった。
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