村上春樹「約束された場所で underground2」文春文庫
オウムの信者に共通しているのは、こういう一種の頑なさなんです。僕も含めてそうなんだけど、どうでもいいじゃないかというようなことに頑なにこだわって一途に邁進する。でも集中力をもって臨みますから、そこからは充実感が得られるんです。教団のほうもそういうのをうまく利用します。
――「裁判で麻原の言動を見ていると、吐き気がしてきます」
【どんな本?】
1995年3月に起きた地下鉄サリン事件(→Wikipedia)。無差別虐殺を目論んだ事件は、多くの被害者を被害者を出すと共に、新興宗教組織オウム真理教の凶暴さが明るみに出た。
オウム真理教の信者たちは、どんな人なのか。なぜオウムに惹かれ、何を求めて入信したのか。求めたものは得られたのか。組織内で、どんな事をしていたのか。教団の内部は、どんな様子だったのか。麻原にどんな印象を持ったのか。地下鉄サリン事件をどう受け止めだのか。そして今はどんな生活をして、オウムに対しどう思っているのか。
ベストセラー作家の村上春樹が、地下鉄サリン事件の被害者へのインタビュー「アンダーグラウンド」に続き、その加害者側にいた人々へのインタビューを行い、その声を伝えると共に、事件が起きた背景を探る。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
初出は雑誌「文藝春秋」1998年4月号~11月号まで連載。1998年11月、文芸春秋社より単行本を刊行。の文庫版。2001年7月10日、文春文庫より第1刷発行。私が読んだのは2012年11月10日の第11刷。文庫本縦一段組みで約324頁。9ポイント39字×18行×324頁=約227,448字、400字詰め原稿用紙で約569枚。標準的な長編小説の分量。
大半を占めるインタビューの文章は、ベストセラー作家らしくこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。が、「河合隼雄氏との対話」や「あとがき」は、哲学的な話や独特の例え話が出て来て、「何が言いたいのか」を把握するのに苦労するかも。あ、もちろん、偏見はあります。私は「村上春樹は抜群に読みやすい文章を書く人だ」と思っているので、そういうモノサシで計った上での評価です。
【構成は?】
まえがき
インタビュー
1965年生まれ 男性 「ひょっとしてこれは本当にオウムがやったのかもしれない」
1960年生まれ 男性 「ノストラダムスの大予言にあわせて人生のスケジュールを組んでいます」
1956年生まれ 男性 「僕にとって尊師は、疑問を最終的に解いてくれるはずの人でした」
1969年生まれ 男性 「これはもう人体実験に近かったですね」
1973年生まれ 女性 「実を言いますと、私の前世は男性だったんです」
1965年生まれ 男性 「ここに残っていたら絶対に死ぬなと、そのとき思いました」
1965年生まれ 女性 「麻原さんに性的な関係を迫られたことがあります」
1967年生まれ 男性 「裁判で麻原の言動を見ていると、吐き気がしてきます」
河合隼雄氏との対話
『アンダーグラウンド』をめぐって
「悪」を抱えて生きる
あとがき
【感想は?】
途中で気づいた。「話し手の言葉を、真に受けてはいけない」と。
そう思ったのは、「僕にとって尊師は」の人だ。彼は小中学校の教師をしていた。教団に入った後も、教団内の子供を教えていた。彼の目から見たオウムの子供たちは…
なんであんなにタフになるのかなあ。わかんあいですね。とにかく外の子供たちと違って、すごいエネルギッシュで、まるで昔の腕白小僧という感じなんです。なにせこっちの言うことをきかない。手に負えなくて大変だったですよ。
何もわかってない。米本和広の「カルトの子」で描かれる子供たちの姿と、まったく違う。「カルトの子」では、「素直な感情表現ができない」とある。子どもたちは、誰も愛情を伝えてくれない環境で育つ。教義でがんじがらめになり、幼いうちから自分の気持ちを殺す生き方を強いられている。そういう姿が、教員である彼に全く見えていない。
子供たちは不潔で躾もなっていず、衛生状態も栄養状態も悪い。普通の人だって少し見ればおかしいと感じるはずだ。プロの教員がそれを「昔の腕白小僧」と表現するのは、かなりゴマカシがある。本当に気づかなかったのなら、教員として救いようのない無能だ。確かに「カルトの子」の子達とは、時期や施設が違う可能性もあるが。
そんなワケで、話し手の言葉は、少々眉にツバして読んだほうがいい。実際、警察に張り付かれている人も多いので、言動には気をつけているだろうし。
私がこの本を読んだわけは、カルトにハマる人の特徴や気持ちを知りたかったからだ。で、結局、その答えは出なかった。
サンプル数が8件と少なすぎるし、明らかに偏りがある。オウムには年配者や家庭を持つ人も多かったが、話し手は当時10代~30代の若い独身ばかり。女性のサンプルも2件と少ない。そして、全て自ら取材に応じた人ばかりだ。取材に応じる/応じないは、何か大きな違いの結果かも知れない。
とまれ、この本の中では、傾向みたいなモノが見える。全般的に、理屈っぽい人が多いのだ。また、「疑問にはたった一つの正解がある」「社会にはあるべき理想の姿がある」みたいな世界観も、共通点の一つだろう。浮世離れしているというか、井戸端会議や噂話を楽しく感じない、という点も挙げられる。
そういう普通の会話は楽しめないが、「オウムの中では、みんな精神の向上を第一に考えてますから」なんて言葉が表すように、形而上的なモノが好きな人が多い。
じゃ和気藹々か、と言うと、これも人によってだいぶ違う。先の精神の向上の人は楽しくやっていたようだが、アニメを作っていたという人がいて、この人の話がやたらと切実で笑えるのだ。
少しでも質の良い作品を作るためには、現世のアニメのビデオを見て、細かい技術を研究しなくちゃならないんです。でも上の人間は、「そんなものは見ちゃいけない」と言います。(略)アニメ班の内部が仕事優先の「少しでも良い作品を作るべきだ」派と、修行優先の「これは修行なんだから尊師」派に分裂しちゃった
なんてのは、共産主義国家などで散々繰り返された構図で、「ああ、やっぱり」と思ったり。ちょっとクルト・マグヌスの「ロケット開発収容所」を思い浮かべてしまった。
勧誘の方法も、「これやられたらハマっちゃうな」と思った手口がある。体調の不良を抱えていた人が治ってしまうというパターンだ。本当かどうかわからないが、アトピーが治ったという人がいる。長年苦しんでいた体の不調を癒されたら、コロッと参ってしまっても不思議じゃない。一体、どんな手口を使ったのやら。
「カルトに惹かれる原因は家庭の不和だ」という説もあるらしいが、それほど単純でもないようだ。二人の兄がいる女性が取材を受けているが、彼女は兄弟三人揃ってオウムに入っている。兄弟仲はいいようだから、家族間の関係も悪くないだろうと思う。まあ、この人、なかなか強烈なキャラクターで、話し相手としては楽しいだろうなあ、と思う。
傍から見たら、彼らが教団内でやっていた「ワーク」は、悲惨な奴隷労働そのもので、睡眠時間4時間とか一日メシ抜きとか、仕事として考えたらブラック企業なんてもんじゃない。だが、そこで彼らは充実感を感じて暮していた。それが精神の浄化や向上に繋がると信じていたわけだ。同時に、文化祭の準備みたいな高揚感もあったんだろう。
結局、「人がなぜカルトにッハマるのか」の解は、出なかった。たった一冊の本で出るほど簡単な問題じゃないんだろうと思う。村上春樹流に言えば、こんな感じなのかも。
一人の人間が習慣的に宗教に依存するには様々な理由がある。理由は様々だが、結果は大抵同じだ。
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