ヴァーナー・ヴィンジ「星の涯の空 上・下」創元SF文庫 中原尚哉訳
ここへ来たのは最重要の問題、すなわちこれからの千年について考えるためだった。しかしいまは、さっきの五分間について考えていた。
【どんな本?】
「マイクロチップの魔術師」「レインボーズ・エンド」などマニア受けする作品で知られるSF作家ヴァーナー・ヴィンジによる、<思考圏>シリーズに属する長篇SF小説。「遠き神々の炎」の続編。
遠い未来。人類は天の川銀河へと進出し、他の多くの知的種族と銀河文明を築いている。「疫病体」から逃れ不時着した惑星には、、中世レベルの文明を持つ集合知性体・鉄爪族がいた。高度な知性を持つ器機が動かない場所で、寛容な鉄爪族の女王・木彫師と協力しながら技術と文明を急ピッチで引きあげるべく奮闘するラヴナ・バークスヌト。だが彼女の周囲では複数の陰謀が密かに進んでいた…
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Children of the Sky, 2011, by Vernor Vinge。日本語版は2014年2月28日初版。文庫本の上下巻で縦一段組み、本文約465頁+450頁=約915頁に加え、堺三保による解説11頁。
文章は比較的にこなれている。が、幾つかの点で、読み進めるのは難儀だ。内容が遠未来の異星を舞台にした作品でもあり、かなりSF度が濃い。エイリアン鉄爪族の設定がユニークで、命名も独特のクセがあり、理解するのに時間がかかる。
お話も「遠き神々の炎」の直接の続きなので、できれば解説から先に読もう。大丈夫、心得た解説者なので、ネタバレなんて野暮な真似はしていないし、前作の概要も説明している。特に、この作品は舞台設定が独特なので、著者が設定した天の川銀河の不思議な仕組みは頭に入れておこう。
【どんな話?】
かつて木彫師の情報部長でもあった危険な鉄爪族のベンダシャスは、従者のチティラティフォーを伴い大富豪を訪ねる。かつての栄光を取り戻すため、力を借りようというのだ。
ラヴナ・バークスヌトは、怯えながら目覚めた。疫病体艦隊の残骸は、約30光年ほど離れた所にいる。連中がここに辿りつく前に、高度な文明を発達させ、対策を講じようと計画を進めていた。光速を超えられない低速圏では、数百年から数千年の時間がある筈だった。だが、彼らはラムスクープ船を建造し始めている…
【感想は?】
前作「遠き神々の炎」はほとんど思えていないが、この作品の設定は絶妙のセンス・オブ・ワンダーに溢れている。
大きな所では、天の川銀河の設定だ。中心に近いほど生物もコンピュータもおバカになり、周辺へいくほど賢くなる。賢くなったからといって性格が良くなるとは限らないのが、ミソのひとつ。疫病体は、賢いけど悪辣な連中なのだ。
主人公のラヴナたちは、かつて光速を超える移動が可能な、際涯圏にいた。コンピュータも賢くて、人工知能も発達していた。ところが疫病体に追われ、光速を超えられない低速圏へと逃げ込む。助かったようだが、頼みの綱のコンピュータまでおバカになってしまう。インテリジェント化された様々な機器も、多くの機能が使い物にならなくなる。
ってんで、賢いコンピュータに慣れたラヴナ一行は、おバカなコンピュータと、ポンコツになった機器にイラつきながら、中世文明レベルのエイリアン鉄爪族で溢れた惑星で苦労し続ける羽目になる。
コンピュータがおバカになる、って設定が、苔の生えたプログラマ諸氏には身につまされるところ。日頃から自作のスクリプトなどで定型作業を効率化してたり、コッソリ自作のライブラリを充実させたりしてたら、「うをを!」と頭を抱えるかも。
自作スクリプトなどで作業を効率化したはいいが、肝心のマシンが壊れたりして買い換えたりしたら、環境を移植しなきゃいけない。ところがこの移植作業、マッサラな環境でやるわけで、日頃から使い慣れたスクリプト類が使えない。「なんだってこんな単純なコトを手操作でやらにゃならんのだ!」とイラつきながら、一歩一歩進めていくわけだ。
ってなわけで、「vi が役に立つのって emacs をインストールする時だけだよね」などと嘯く人には、なかなか身に染みる場面が多く出てくる。
メモリや電力の制約が厳しい組み込み機器のソフトウェアを開発している人も、同じ共感を持つかも。Ruby、PHP, Perl などスクリプト言語に慣れた人が、c言語の環境に投げ込まれた時に感じる苛立ちとか。昔の Fortran の format 文の文字列定数の指定方法の凶悪さを、登場人物がまんま代弁してくれる。
こんな単純ミスをどうして船は教えてくれないのか。
今は構造化エディタが当たり前になって、引用符の対応ミスとか一発でわかるけど、昔のコンパイラときたらブツブツ…
なお、この作品にはコンピュータの操作に関して「低レベル」って言葉が所々に出てくるけど、これは「ハードウェアに近い」という意味であって、「技術レベルが低い」という意味ではないので、念のため。まあ、あれです、アセンブラでビットをいじる、そんな雰囲気だと思ってください。
やはり設定で楽しいのが、エイリアン鉄爪族。世の中には犬派と猫派がいるそうだけど、これは犬派に危険なお話。見た目は犬みたいだけど、ちゃんと優れた知性がある。ただ、その知性ってのが独特で。一個体では、それこそ犬並みの知性しかない。だが五個体ぐらい集まると、ヒト並の知性になる。上限もあって、八個体ごらいが限界。
というのも、固体同士が声で情報を交換し、それで知性を形作っていくからだ。数が少ないと充分な思考能力に達しない。でも同じ空間で多くの個体が同時に話したら、単なる雑音になっちゃう。ってんで、多いほうも八個体が限界。おまけに面白い性質があって。中の個体は次第に入れ替わっていく。ある意味、知性そのものは不死に近いのだ。
など、複数個体かたなる集合知性であること、声(音波)で情報交換して自我を保っていることから起きる、便利な性質や困った事態などが、この作品の欠かせない味となっている。新たに登場する熱帯種や、単独個体になりながら強烈な存在感を示すリトルなど、エイリアンの魅力がたっぷり。
冒頭では、彼らの目から見たヒトの姿が語られる。いきなり空からやってきた奇妙な姿の知性体。しかも、この星で増殖を企てている。とくれば、当然、脅威と見なされるわけで。
次第に劣化してゆく高度な銀河文明の機器と、現地で生産を始めた原始的な(だが補充の利く)機器。両者の対比も、この作品の味なところ。マニアックな作品を得意とするヴァーナー・ヴィンジの著作だけあって、煩いSF者を唸らせる場面は随所にある。じっくり味わいながら読もう。
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