アザー・ガット「文明と戦争 上・下」中央公論新社 石津朋之・永末聡・山本文史監訳 歴史と戦争研究会訳
しばしば見過ごされがちな点なのだが、非常に高い死亡率を伴うような集団間の紛争においては、進化作用が働くために差し引き獲得量は必要ではない。なぜなら、死者を伴う集団間の紛争は、それぞれの集団名で生き残った構成員に対する内部の資源への圧力を減じることで、同時に集団内の淘汰をもたらすからである。
【どんな本?】
なぜ人間は戦争するのか。いつから人類は戦争をしていたのか。農業や内燃機関などの文明は、戦争を増やしたのか減らしたのか。国家が戦争を求めたのか。民主主義は戦争を減らすのか。なぜ西欧の文化が世界を制覇したのか。
考古学・文化人類学・歴史学・政治学・経済学・社会学・哲学から生物学まで、広範囲にわたる資料や著述から、戦争に至る原因・目的から、参戦者の社会構造や事情・規模・経緯・頻度そして影響を洗い出し、人類史のスケールで戦争の実態を描き出すと共に、従来の戦争論への批判を加え、また今日の民主主義国家が直面している危機と将来の展望を描く。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は War in Human Civilization, by Azar Gat, 2006。日本語版は2012年8月10日初版発行。私が読んだのは2012年9月20日発行の再版。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約427頁+442頁に加え解説論文「アザー・ガットと『文明と戦争』」17頁の計886頁。9.5ポイント47字×20行×(427頁+442頁+17頁)=約832,840字、400字詰め原稿用紙で約2083枚。文庫本の長編小説なら4冊分の巨大容量。
学者が書いて学者が訳した本でもあり、いささか文章は硬い。また内容も歴史の広い範囲を高いレベルで扱うので、かなり歯ごたえがある。アフリカ・ヨーロッパ・アジア・南北アメリカと世界中の歴史から題材を取っているが、欧米の知識人を読者として想定しているためか、アフリカや中南米の事例は詳しく背景や経緯を説明している反面、古代ギリシャについては、やや不親切。
なお、実際の著者や訳者を隠すため集団名を名乗る場合があるが、この本の「歴史と戦争研究会訳」は、そういうシロモノではない。下巻の末尾で、翻訳者と担当した章を明示しているので、以下に示す。
石津朋之:序文・謝辞・第一章・第八章・第一三章/大槻祐子:第四章/菊池哲史:第一二章/小窪千早:第六章/塚本勝也:第一〇章/永末聡:第二章・第九章・第一七章/孫崎馨:第五章/松原治吉郎:第一五章/三浦瑠璃:第七章/森本清二郎:第一三章/矢吹啓:第一四章/山下光:第一六章/山本文史:第一一章
【構成は?】
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【感想は?】
巻末の「解説論文――アザー・ガットと『文明と戦争』」が、本の紹介としてとってもよく出来てる。いっそ丸写ししたいんだが、さすがにそれは芸がなさ過ぎる。「頭悪い奴がどう読んだか」という観点で、この記事をお読み頂きたい。
なんと言っても、扱っているスケールがデカい。書名は「文明と戦争」だが、「人類史と戦争」ぐらいの感覚だ。目次を見ればわかるように、上巻の末になって、やっと国家が出現する。それまでは文字による記録がない時代なので、歴史と言うより考古学と人類学の範疇で話が進む。
実はこの辺、ジャレド・ダイアモンドの「昨日までの世界」やマット・リドレーの「繁栄」と、少々ネタがカブる。「昔の人は平和に共存していた」なんてのは幻想で、実は狩猟採集民は際限なく戦争ばっかりやってて、暴力による死者も多かった、そんな話だ。
「移動生活する民族は土地に執着しないように思われるけど、狩猟採集民も縄張りを持ってて、厳格にそれを守ってる」とか、「集団内で起こる暴力沙汰のほとんどが不貞行為に端を発していた」とかも面白いが、戦争の実態も興味深い。
集団同士の戦争は、大きく分けて二種類ある。一つは決戦型で、両軍の戦士が揃って正対する。こっちは主に罵りあいとと口喧嘩で、槍を投げあったりもするけど、互いにギリギリ届かない程度の距離でやりあう。だもんで、死傷者も少ない。ほとんど儀礼的、どころか手打ちを意図した場合も多い。
もう一つは奇襲・夜襲・急襲で、こっちは一方的な虐殺と略奪が目的。「未開人は平和」が幻想なら、「正々堂々たる戦士」も幻想だったわけ。
ここで面白かったのが、幻想のルーツを解き明かす部分。
著者は勘違いの根源をルソー(→Wikipedia)だ、としてる。その幻想に踊らされ、1960年代までの文化人類学者は予断に満ちた観測を行い予断に沿った結論を出し、動物行動学でもコンラッド・ローレンツ(→Wikipedia)が「同種内で死に至る戦いをするのは人間だけ」なんて間違いを敷衍させてしまった。思い込みってのは、怖い。
実際には、確かに成体同士の戦いじゃ命のやりとりまでする事は少ないけど、それは敵も必死になるから優勢側も怪我する危険が増すからで、圧倒的に劣勢な相手、例えば幼獣相手なら容赦なく殺すよ、って事らしい。つまり圧倒的な優勢が確保できたら、徹底的にヤるわけで、先の正面決戦と奇襲・夜襲の違いも、ソコに求めている。
お互い襲撃されちゃ困るんで、砦を作って防御に努める。農耕による定住も相まって、砦は都市へと発展してゆく。下巻に入ると、馬の導入から封建制へと話が進み、農民を基盤とした国家 vs 遊牧民へと広がってゆく。
機動力に勝る遊牧民に対し、鈍重な歩兵を中心とした国家は対応できない。にも関わらず遊牧民が帝国を築けたのはチンギス・ハンの一度だけ。「彼らは襲撃し、貢ぎ物を要求したが、支配権を握ろうとはしなかった」。目的は略奪であって、支配じゃない。なお、東ヨーロッパは蹂躙されたけど、西ヨーロッパは大丈夫だったろう、と著者は予想している。
東アジアや西南アジア、南アジアや東ヨーロッパとは異なり、山、河川、森などに遮られ、起伏に富んだ西ヨーロッパの地形には、遊牧民の生存と生活様式に不可欠である、馬や家畜のための遮るもののない広大な牧草地が存在しなかったからである。
日本も海があって本当に良かった。
やがて火薬・航海術・活版印刷による近代の覚醒を経て、蒸気機関による産業革命へと話は進む。
ここで重要なのが、人口の急増と生産性の話。それまで生産性の向上は人口増加でチャラだったのが、「工業化以前から現在まで生産性が50倍から100倍」に対し、「人口増加は平均して4倍から5倍程度」で、割り算すると「人口一人あたりの生産性の増加は15倍から30倍」。「昔は子沢山だった」みたく言われてるけど…
歴史的に見て、死亡せず成長したために多くの子供を抱えた家族というのは過渡期の現象であり、工業化初期に経験される人口の爆発的増加の期間に限定されている。
それまでは沢山生まれてたけど沢山死んでたんで、生きてる兄弟の数は多くなかったわけ。
終盤は民主主義と戦争の関係で、「民主主義国家は戦争しない」という主張を、肯定・否定双方の立場で検討しているが、ここでは素直に「結局、アメリカ合衆国次第だよね」とミもフタもない現実を突きつけてくる。
古代どころか人類史の曙にまで遡るスケールの大きさ、随所で出てくる全人口と常備兵の比率などの数値で検証しようとする科学的な姿勢、幻想を打ち砕き現実を直視する態度など、姿勢はジャレド・ダイアモンドやウイリアム・H・マクニールに近い。「銃・病原菌・鉄」に比べいささか専門的だが、現代の歴史認識の方向性はヒシヒシと伝わってくる本だ。
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