蔵前仁一「あの日、僕は旅に出た」幻冬舎
…インドでも中国でも、あるいは中東でも、僕が知っていたことは見事なまでにまちがっていたし、旅をすると次々に僕の「常識」はひっくり返されていった。それが実におもしろかった。
【どんな本?】
旅するイラストレーター蔵前仁一が、初めてインドに旅立ってから現在までの、約30年間を振り返った半生記…というと知らない人はお固く感じるだろうが、いつもの蔵前氏のエッセイ集だと思えばいい。ただ、他の作品では、貧乏旅行の風景が中心なのに対し、この作品では作家・出版者としての話が7割ほどを占めている。
デビュー作「ゴーゴー・インド」や定期刊行した「旅行人」,さいとう夫婦の「バックパッカー・パラダイス」など、貧乏旅行者が愛する作品の制作事情や秘話・裏話が満載で、少しノスタルジックな気分になるエッセイ集。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2013年7月10日第一刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約345頁。9ポイント42字×18行×345頁=約260,820字、400字詰め原稿用紙で約653枚。文章は親しみやすく読みやすいし、特に前提知識が必要な内容でもない。リラックスして楽しみながら読む本。ただし、所々、飲み食いしながら読むには危険な所がある。
【構成は?】
原則的に時系列順だが、面白そうな所を拾い読みしても構わない。
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【感想は?】
「うんうん、そうだよね」→抱腹絶倒→「ああ、終わっちゃった」。
この本に興味を持つ人は、貧乏旅行の経験者または興味を持つ人か、「旅行人」を読んでいた人だろう。だから、書評としては私の感想より、先の【構成は?】で示した目次の方が参考にあると思う。つまり、そういう内容です。
…で終わっちゃったら記事にならないので、真面目に感想を書こう。1982年、同僚のカトウ君に騙されインドに行く羽目になった蔵前氏、ボラれ騙され風邪をひき、「二度と来るか!」と怒りながら二週間の旅を終えた。はいいが、実にロクでもない病気を貰ってくる。
その名も「インド病」。何を見ても、何をやっても、「インドは」「インドなら」「インドと違う」。いやここ日本だし。インドと違って当たり前だし。路肩に人なんか寝てないし。リキシャなんか走ってないし。列車は時間通り発着するし。道端のチャイ屋で昼間っからオッサンがタムロしてないし。野良牛なんかいないし。ホテルのシーツは清潔だし。つかシャワーはお湯出るでしょ、普通。
と、まあ、インド帰りってのは、なんかオツムがシェイクされちゃって、なかなか普通の生活に戻れなかったりする。困ってカトウ君に相談すると「そりゃインドに行くしかないね」。迎え酒かい。そこで今度は中国からインドへと、長旅に出る。この過程で出来たのが、あの「ゴーゴー・インド」。この本の成立過程も、実に意外だった。
旅から帰って知るトルコの意外な歴史など、長い旅の経験がある人は思わずニヤリとする話などを経て、やがてミニコミ誌「遊星通信」から「旅行人」へと話は向かう。このあたり、ミニコミに興味がある人には楽しめるだろう。いや実際はかなり無茶苦茶な誌面作りをしてるんだけど。まず台割から入るでしょ常識的に。
とりあえず、発行と発売が違う書籍って、どういう事なのかが判ったのも少し嬉しい。
そもそも私には不思議だった。日本で出版するからには、日本で仕事をしなきゃいけない。でも、出す本の内要は海外の長期旅行の話だ。おかしいじゃないか。日本と海外を、慌しく往復する必要がある。よく出来たもんだ…と思ったら、「遊星通信」は「創刊して二号目で早くも発行が遅れた」。やっぱりw
本人が原稿書くだけならともかく、他の人に原稿を頼むにしても。そもそも原稿を書く人が、綿密な計画もなしに気分次第で海外をフラついているような連中だ。ラバータイムに慣れきって、「締め切りなにそれ美味しいの?」な感覚の人ばかりだろう。そりゃ大変だろうなあ、と思ったら、やっぱり。
私が抱腹絶倒して腹筋を痛めたのが、この辺。蔵前氏も誌面で著者に連載を連絡とか出鱈目かましてるが、執筆者の面々も、蔵前氏に輪をかけて奇妙な人ばかり。中でも凄いのは、歩いて地図を描く富永省三氏。磁石で方位を、歩幅で距離を測って、精密な地図を作る。誰に頼まれたわけでもなく、好きでやってる。
好きでやってるうだけに、地図への拘りはそうとうなもの。ガイドブックを作る際の、蔵前氏との対決は笑いが止まらない。他の執筆陣も程度の違いこそあれ似たようなもので、そもそも旅行のついでに執筆してる連中だし。
逆にモノ書きとして凄い人もいたり。石井光太氏、読みきりの原稿を頼んだら「送られてきた原稿は五本もあった」。書く意欲がハンパない。プロとしてやってく人は、やっぱり違う。
などのモノ書きと経営/編集の関係も面白かったが、もう一つ興味深いのが、所々に顔を出す、出版物を作る過程での電子化の話。といっても電子書籍じゃなくて、編集作業の話。手書きコピーからMS-DOS のワードプロセッサ、そして(たぶんMacの)DTPへと変わってきた時代。版作りの費用が安くなる時代だったから、「旅行人」は存在しえたのかも。
ところが、更に時代が進んでインターネットが普及すると、情報誌としての「旅行人」は意味が薄れてゆく。
他にもイトヒロをはじめ、河野兵一・宇宙人など、懐かしい名前が一杯。私も思わず、さいとう夫婦の「バックパッカー・パラダイス」を本棚から取り出して読みふけってしまった。やっぱりユキさんとファーファーは泣かせるなあ…って、これ2の方じゃん。そんな感じで、爆笑の後は少しシンミリした気分で読み終えた。30年かあ。
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