長谷敏司「My Humanity」ハヤカワ文庫JA
人類は、未来に管理技術が進歩する可能性に託して、現在ある問題を解消するほうを選択した。リスクを呑んで豊かになることを選んだのだ。
――父たちの時間
【どんな本?】
デビュー作「戦略拠点32098 楽園」で話題をさらい、「円環少女」シリーズでもヒットを飛ばし、「あなたのための物語」で本格SF作家としての実力を見せつけた俊英・長谷敏司のSF短編集。
「あなたのための物語」と同じ世界に属する「地には豊穣」「allo, toi, toi」、BEATLESS のスピンオフ「Hollow Vision」、そして書き下ろしの「父たちの時間」の四編を収録する。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2014年2月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約323頁。9ポイント40字×17行×323頁=約219,640字、400字詰め原稿用紙で約550枚。長編小説なら標準的な分量。
文章はこなれている。が、内容は、濃い。いずれの作品も、最新の科学・技術に創作を加えた斬新で衝撃的なガジェットが出てくるため、その原理や効果を把握するのに時間がかかる上に、ヒトの心の奥深くを探る作品であり、じっくり味わいたくなる。ある程度、SFを読みなれた人向けの本格的な作品集。
【収録作は?】
タイトルの後、/ 以降は初出。
- 地には豊穣 / SFマガジン2003年7月号
- 擬似神経言語 ITP(Image Transfer Prptocol)。一言で言えば経験を伝える技術。脳内のナノロボットが擬似神経細胞を形成し、他人の経験を複製できる。これにより、長い育成期間と実務経験が必要な熟練を要する専門技術を、初心者に移植できる。
ただし、ITPは英語圏の人間を基準に作ってあるため、そのままでは他の文化圏で使えない。各文化ごとに、調整接尾辞は必要となる。日本文化調整接尾辞の開発チームは、動作検証で優れた結果を出した。しかし、主任ジャックと副主任のケンゾーは、方向性で意見が食い違っていた。 - 冒頭の「日本文化調整接尾辞」で引き込まれた。本社がシアトルで、各文化圏ごとにローカライズが必要、とくれば、やっぱし連想しちゃいます、はい。やっぱ日本語対応となれば、文字コードだけでなく縦書きとかルビとか①などの環境依存文字とか、キリないし。
- これを別の視点で見ると、最初から英語ネイティブな文化圏では、ローカライズの手間が不要で、その分だけ有利になる、という事だ。コンピュータが普及する前から、理系の高度な専門技術を身につけるには、英語やドイツ語が必須だった。コンピュータとネットワークは、この傾向を後押しした。今やITの世界じゃ英語が標準語になっている。例えば、Linux を開発したのはスウェーデン語ネイティブのフィンランド人リーナス・トーバルズだが、開発の舞台となったのは英語のニュースグループだ。よって、英語圏の者が有利になる。他の文化圏の者は、ITの知識に加え、英語も勉強しなきゃいけない。
- ITPが、この傾向を更に推し進める。英語圏が有利というより、他の言語圏が押しつぶされる、そんな状況にまでなってしまう。実は既にそんな危機感を感じて対策を講じている国や文化圏もあって、例えばアイルランドではゲール語を復活させているし、日本でもアイヌ語の保存運動が注目を集めつつある。
- 文化とテクノロジー、そのバランスをどう取るか。そもそも文化とは何か。まさにSFだからこそ書ける、短いながらもズッシリと重い作品だった。
- allo, toi, toi / SFマガジン2010年4月号
- ダニエル・チャップマンは、顔見知りの8歳の少女メグ・オニールを殺し、四肢を切り刻んで遺体を捨てた。逮捕されたチャップマンは懲役百年を言い渡され、グリーンヒル刑務所に投獄される。小児性虐待者は、囚人内でも最下層と見なされ食い物にされる。刑務官は面倒を避けて介入しない。
- チャップマンの耳の後ろには、端子がある。個人用の住居房を手に入れる代償に、ニューロロジカル社のITPのモルモットになったのだ。実験の目的は、ITPの新機能。性犯罪者の矯正に使えるか、試すためだ。
- これまた重い作品。主人公のダニエル・チャップマンはロリコンの殺人犯。そもそもロリコンは何を考えているのか。なんだって、そんな鬼畜な真似をするのか。性成熟しとらん個体と性交したって子が出来ないから、生物学的にもおかしいじゃないか。
- ということで、ここでもITPというガジェットをフルに駆使し、小児性虐待犯チャップマンの心の奥深くへと探索の針を伸ばしてゆく。息詰まる終盤の緊張感は急いで頁をめくりたくなるが、同時にじっくりと味わいたくもあり、なかなかもどかしい気分になる。
- Hollow Vision / SFマガジン2013年4月号
- 高度約85,800kmn、静止軌道上のステーション。ヘンリー・ウォレスは、リーチュー(日立)高軌道工業地帯の視察でここに来た。顔なじみと挨拶していた時、人口網膜に警告が現れる。<確保対象が攻撃を受けています>。どこかで気密が破れ、嫌な圧力がかかり、続いて銃撃の音。
- BEATLESS のスピンオフ(すんません、まだ読んでません)。軌道上の007とでも言うか。最初の軌道ステーションの場面から、徹底した「デザイン」へのこだわりを感じさせる。果たして無重力状態では、紳士服や婦人服のデザインや髪型は、どう変わるのか。例えば女性の髪形も、「長いサラサラのストレートなロングヘアー」は、あまし流行りそうにない。
- ってんで、出てくるのは、最新技術を駆使した驚きのニューファッション。以後、次から次へと出てくる、未来技術をふんだんに使ったガジェットが楽しい作品。激しいアクション、頭脳を使ったチェイスと駆け引き、ラストシーンもド派手で見栄えがするし、テーマも重層的で重厚。映像化したら面白い作品になるだろうなあ。
- 父たちの時間 / 書き下ろし
- 現在、地球上では核分裂炉が三千基運用されている。致命的な事故も毎年のように起きている。この無茶を可能にしたのが、《クラウズ》だ。放射線を吸収して自己増殖するナノロボットが、汚染地帯での作業を容易にした。持田祥一は、大学講師の副業で、《クラウズ》の監視にあたっている。今の所、ナノロボットで大きな問題は起きていないが、なにせ微小なシロモノだ。漏れ出したら何が起こるかわからない。
- 完全な検証が済んでいない最新技術を、とりあえずの問題解決に注ぎ込む。テーマとして原子力とナノロボットうを扱っているが、歴史を見るとヒトはいつだって似たような真似をしてきた。古い所じゃ灌漑農業で、大抵は最終的に塩害や土壌の流出でダストボウル(→Wikipedia)を発生させ、農地を潰す。
- 石炭エネルギーは工業を飛躍的に発展させたが、ロンドンの空をスモッグで黒く染めた。石油エネルギーは自動車を生み出し、人々に移動の自由を与えたが、交通事故の激増と光化学スモッグをもたらした。新しいテクノロジーは、たいてい予期せぬ副作用を伴っている。
- 原子力の場合は、少し事情が違う。今までは副作用を予期していなかった。だが、原子力は放射性廃棄物の処理など、副作用が少しわかっている。ここの作品のテーマは、ナノロボットだ。これもまた、原子力とは少し事情が違う。
- 原子力は副作用があるとわかっている。ナノロボットは、副作用の有無が分かっていない。それだけなら石炭や石油と同じだが、石炭・石油は副作用が「ない」と思われていた。これが違いだ。前世紀から今世紀にかけて、人類は、「ヒトが予見できない事もある」と学んだはずだ…高い授業料を払って。いや、今もまだツケの払いは終わっていない上に、新しいツケを重ねてるんだけど。軽いところじゃコンプガチャとか個人情報流出とか。
- なぜ、そんな間抜けな真似をヒトは繰り返すのか。テクノロジーの進歩は、そんな状態をどう変えるのか。ヒトは先鋭テクノロジーを制御できるのか。意見は分かれるだろうけど、激論のネタとしては最高にキャッチーな問題作。
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