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2014年1月 5日 (日)

マーク・カーランスキー「『塩』の世界史 歴史を動かした、小さな粒」扶桑社 山本光伸訳

ピレネー山脈ではインポテンツを避けるために、新郎新婦が左のポケットに塩を入れて教会にいく習慣があった。フランスでは地方により、新郎だけが塩を持っていくところと、新婦だけが持っていくところがあった。ドイツでは新婦の靴に塩をふりかける習慣があった。

【どんな本?】

 塩は便利だ。漬物には欠かせないし、甘いものに一つまみ入れれば甘さが増す。いい肉は軽く塩と胡椒をふって焼けば美味しいステーキになる。儀式的な意味もあって、日本じゃ「清めの塩」なんて発想もある。生活必需品でもあり、「敵に塩を送る」なんて故事来歴に基づく言葉もある。往々にして、塩は歴史上で重要な役割を演じてきた。

 ヒトはいつ、どこで、どんな風に塩を作り、どう運び、どう使ってきたのか。塩の生産・運搬・利用は、経済・産業・軍事・政治にどんな影響を与え、歴史と食卓をどう彩ってきたのか。中国・古代エジプトからローマを通し、タラやニシンが変えたグランド・バンクスの価値からアメリカ独立、そしてインドのガンジーの「塩の行進」を経て現代の塩類の利用まで、塩と歴史と食卓を巡る物語を豊富なエピソードとレシピで綴る、一般向けの美味しい歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SALT : A World History, by Mark Kurlansky, 2002。日本語版は2005年12月30日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約431頁。9.5ポイント46字×19行×431頁=約376,694字、400字詰め原稿用紙で約942枚。長編小説なら2冊分ぐらいの分量。

 文章は翻訳物ノンフィクションとしては比較的にこなれていて読みやすい。内容も特に前提知識は要らないが、世界中を駆け巡る本であり、また輸送経路が重要な意味を持つ内容なので、世界地図帳か Google Map を見ながら読むと、楽しさが増す。歴史の本でもあるので、世界史に詳しい人ほど楽しめるだろう。

【構成は?】

 序章 岩
第一部 塩、死体、そしてピリッとしたソースにまつわる議論
 第一章 塩に託されたもの
 第二章 塩、家禽、そしてファラオ
 第三章 タラのように固い塩漬け男
 第四章 塩ふりサラダの日々
 第五章 アドリア海じゅうで塩漬けを
 第六章 二つの港にはさまれたプロシュート
第二部 ニシンのかがやきと征服の香り
 第七章 金曜日の塩
 第八章 北方の夢
 第九章 塩たっぷりの六角形
 第十章 ハプスブルグ家の漬物
 第十一章 リヴァプール発
 第十二章 アメリカの塩戦争
 第十三章 塩と独立
 第十四章 自由、平等、免税
 第十五章 独立の維持
 第十六章 塩をめぐる戦い
 第十七章 赤い塩
第三部 ナトリウムの完璧な融合
 第十八章 ナトリウムの悪評
 第十九章 地質学という神話
 第二十章 沈みゆく地盤
 第二十一章 塩と偉大な魂
 第二十二章 振り返らずに
 第二十三章 自貢最後の塩の日々
 第二十四章 マー、ラーそして毛
 第二十五章 魚より塩をたくさん
 第二十六章 大量の塩、小粒の塩
  謝辞/訳者あとがき

 歴史の本なので、基本的に時系列順に話が進む。素直に最初から読もう。

【感想は?】

 今さらながら、「塩ってのは重要な戦略物資なのだなあ」と思い知った。

 現代の日本に住んでいると、どうも塩のありがたみが分からない。切れたところで、少し歩けば深夜だってコンビニで売ってるし、目的によっちゃ味噌か醤油で代用できる。買う時だって、まず品質なんか気にしない。というか、今の日本人の多くは、塩って真っ白なもんだと思ってる。いつでも簡単に手に入るから、生活必需品って気がしない。

 おまけに、加工食品にも多くの塩が入ってるんで、緊急時の食料として備蓄する必要までなくなってしまった。ところが、昔は冷蔵庫なんかなかったから、食料を長持ちさせようと思ったら、塩漬けにするしかなかった。単なる調味料じゃないのだ。チーズやバターはもちろん、パンを作るのにだって塩は必要だし。

 ってんで、この本、塩と同時に、実はタラやニシンも重要な役割を担う。まずはタラだ。白身に脂が少ないため、塩が浸透しやすく、塩漬けに向いていて効果も大きい。九世紀ごろに大西洋でタラの漁場が見つかった事から、ヴァイキングとバスク人がタラ漁に乗り出し、同時に塩の需要も大幅に増える。ちなみにバスク人、タラの前はクジラを捕ってました。

 この辺から、漁場と塩を巡る西欧諸国の複雑怪奇な駆け引きが始まる。当然、魚だけじゃなくてチーズや野菜にも塩を使うわけで、特に料理大国フランスのネタはなかなか愉快だ。例えばシャルル・ドゴール曰く

「チーズが265種類もある国をまとめるのは、至難の業だ」

 愚痴ってるのか、自慢してるのか。やはりドイツとの感情は複雑で、シュークルート(塩漬けキャベツ、→Wikipedia)と女優サラ・ベルナールのジョークとかは、「ったく、フランス人ってのは」と呆れるやら感心するやら。いやどう見てもザワークラウトだろw

 一般に塩は二つの産地がある。一つは海水、もう一つは岩塩。ローマ人は陶器に入れた海水を煮立て蒸発させ、陶器を割って塩を取り出した。もう一つの岩塩、というか塩鉱山なんだが、こっちから取り出す方法は様々。

 ポーランドのヴィエリチカとボフニアじゃ岩塩をそのまま掘り出してて、数世紀にわたり岩塩を掘り出した鉱山は地下深くに巨大なホールとなる。地下90mに礼拝堂を作り、「塩の結晶でできた精巧なシャンデリアもある」。17世紀初頭からポーランド王は来賓を招き…

坑内の舞踏室で踊り、食堂で食事をし、地下の池で舟に乗った。現在も活動中のヴィエリチカ塩鉱楽団は、坑内の音響効果のすばらしさから1830年に結成されたものだ。

 と、鉱山の中にオーケストラ・ホールまで作ってしまう。

 地中の塩のもう一つの取り出し方は塩井。地下から塩水が染み出してくる。こっちはなんと、紀元前三千年から中国四川で製塩が始まってる。井戸を掘って塩水をくみ出し始めたのは紀元前252年、蜀の太守・李冰(→コトバンク)。地下の岩塩層と石油・天然ガスは関係が深く、ここでも「大爆発が起きて作業員全員が死ぬこともあれば、穴から炎が噴出すこともあった」。ところがヒトってのは逞しいもので…

悪霊が出る穴を見つけると火をつけ、近くに鍋を置いた。それで料理をすることができた。まもなく泥と塩水で竹管を断熱し、その導管を使って目に見えないエネルギーを煮沸小屋に送ることも覚えた。(略)史上初の天然ガス利用だ。

 先の魚に戻る。イギリスは新大陸アメリカに宗主国として大きな影響力を持ち、リヴァプール産の塩で市場の独占を図る。これがやがて独立戦争で重要な懸念となり、また南北戦争でも北軍は南部の製塩所を目の敵にする。

 政治的な話では、塩税と密輸の横行や、ガンジーの「塩の行進」なども出てくる。と同時に、シェフでもあった著者の趣味か、様々なレシピがふんだんに引用されていて、これが実に食欲をそそる。いやさすがにラップランド人の塩入りコーヒーはどうかと思うが。ええ、実際に試して酷い目にあいました、はい。

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