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2013年12月 5日 (木)

チャイナ・ミエヴィル「クラーケン 上・下」ハヤカワ文庫SF 日暮雅道訳

 ロンドンのような街では……
 やめておこう。考えても助けにはならない。なぜなら、ロンドンのような街はほかにはないからだ。重要なのはそこだ。

【どんな本?】

 「ペルディード・ストリート・ステーション」「都市と都市」「言語都市」とヒットを連発したイギリスの新鋭SF作家チャイナ・ミエヴィルによる、ローカス賞受賞の長編SF/ファンタジイ小説。現代のロンドンを舞台として、展示中に自然史博物館から忽然と消えた巨大ダイオウイカの標本を巡り、様々な勢力が入り乱れてチェイスとバトルロイヤルを繰り広げる娯楽大作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は KRAKEN, by China Mieville, 2010。日本語版は2013年7月25日発行。文庫本上下巻で縦一段組み、本文約411頁+約426頁=837頁に加え訳者あとがき4頁。9ポイント41字×18行×(411頁+426頁)=約617,706字、400字詰め原稿用紙で約1,545枚。そこらの長編小説なら三冊分の大容量。

 文章はかなりクセが強く、ゴツゴツした雰囲気がある。恐らくこれは原文の影響もあるんだろう。というのも、漫画やライトノベルばりにケッタイな話し方をする人物が多く、また Squid-nap などの地口っぽい語呂合わせも頻繁に出てくるからだ。

 また内容もスタートレックから魔術師アレイスター・クローリーまで、オタク心をくすぐる小道具が満載なので、そっちの怪しげなシロモノの知識が豊富な人ほど楽しめる。とまれ、そこはミエヴィル。従来のファンタジイにありがちな化け物や魔術がそのまま出てくるわけではなく、彼一流のヒネたアレンジがなされているので、正統派の知識に疎くても充分に楽しめる。というか、ファンタジイが苦手な私も、奇想に悶絶しながら楽しみました、はい。

【どんな話?】

 ロンドンの自然史博物館ダーウィン・センター。海洋軟体動物専門の若きキュレーターのビリー・ハロウは、当番のツアーガイド役として、客の集団を誘導していた。彼らのお目当ては、わかっている。2004年にフォークランド諸島沖で発見されたアルキテウティス・ドゥクス、全長8.62メートルの巨大ダイオウイカだ。チャールズ・ダーウィン本人が集めた標本の棚を過ぎ、問題のダイオウイカの水槽がある部屋の扉を開けたとき、ビリーが見たのは…

 からっぽの部屋だった。全長9メートルの水槽ごと、巨大ダイオウイカが消えていた。

【感想は?】

 ロンドン版・帝都物語。

 お話は、先に書いたように、巨大ダイオウイカの盗難事件で始まる。一見ミステリ仕立てだが、とんでもない。奇形・怪人・怪獣大好きミエヴィルの趣味満開の、妖怪大行進へと話は突き進む。

 ケッタイな事件に巻き込まれたビリーはともかく、次に出てくる警察も、いわゆるスコットランド・ヤードとはだいぶズレた、FSRCと名乗る怪しげな連中だ。探偵物なら明智小五郎や金田一耕介にあたるパトリック・ヴァーディの専門も、修士課程は神学と言いつつ…。彼の調査助手が収集しているものと収集方法じゃ、いきなり吹きだしてしまった。

 そう、なんか重厚な雰囲気のカバーだけど、あまし真面目に読む小説じゃない。発端が巨大ダイオウイカの盗難事件とおバカ丸出しで、以降の進展や登場人物も、徹底して無茶苦茶やらかしてる。

 レーベルこそハヤカワ文庫SFだが、むしろファンタジイだろう。ファンタジイってのは、一見なんでも出来そうだけど、小説世界のルールを読者に納得させるのが難しい。特にミステリとは相性が悪くて、厳密な論理性を要求されるミステリと、魔法ありのファンタジイは、よっぽど上手く世界のルールを読者に伝えないと、ただの手抜きに見えてしまう。

 で、この作品。現代の都会を舞台としたロウ・ファンタジイだが、ファンタジイ度は濃い。次々と出てくる魔法使いや魔法も、徹底してミエヴィル流にアレンジされていて、その独特の理屈に笑うやら呆れるやら。ロウ・ファンタジイの魅力の一つは、科学・工学と資本主義が発達した現代社会と、その理屈から外れた魔法のミスマッチだろう。上巻では、大英図書館の前で行進する猫の集団に大笑い。そういえば、マルクスが資本論を書いたのも、ここだっけ。

 上巻も中盤以降から、クリーチャーわんさかの怪人大行進と様相を変えてゆく。メインストリームのファッションをリードするパリとは異なり、モッズ,パンク,ニューロマンティックとサブカル的・破壊的・革命的な若者ファッションをリードしてきたロンドンだけあって、出てくる連中も、そういうセンスで見れば、とってもオシャレでクールな奴ら。

 連中がクラブに集まる場面は、ある意味スターウォーズでルークがハン・ソロと出会う酒場の場面のように、この作品の価値を象徴する部分だろう…と思ったら、このお話の筋も、なんかスターウォーズっぽく思えてきた。

 スターウォーズだと、クリーチャーどもはエイリアンだ。それがこの作品だと、カルト組織や魔法使いどもに該当する。このカルト組織の設定が、これまた絶妙で。<カオス・ナチス>だの<ガンファーマーズ>だの。<ナックルヘッズ>には呆れるやら笑うやら。映像になったら、インパクトは凄いだろうなあ。<イエスの仏教徒>とか、本当にありそうで怖い。

 で、この連中が入り乱れてバトルロイヤルになる下巻後半のバトルは、なかなかの読みどころ。私は1979年の映画「ウォリアーズ」(→Wikipedia)を連想したけど、あんまし知ってる人はいないと思う。ウォリアーズはチンピラ同士のケンカだけど、この作品は奇妙な得物や魔術を使ったマジック・バトル。とまれ、妙に現代の電化製品を使ってるのが笑えて、もわず「ゴースト・バスターズかよっ!」と突っ込んだり。

 ってな無茶苦茶な設定ながら、なんとなく納得してしまうのも、舞台がロンドンのせいだろう。なんたって、下手すりゃ生きてる人間より幽霊の方が多いと噂の街だ。奇妙な連中がウロついても、飲み込んでしまう奥の深さがある。若者のファッションも過激で、どんな格好で歩いても「クールじゃん」で済んでしまうカオスな街。

 と同時に、ロンドン塔や切り裂きジャックに象徴される長い血塗られた歴史も背負っていて、裏道には何が潜んでるかわからない不気味さもある。こういうロンドンの魅力が、この作品を充分に引き立てている。上巻の前半は大英博物館や大英図書館など表の姿を見せるが、その大英博物館にしても、中東や北アフリカからの略奪品が満載だ。持ってきたのはモノばかりとは限らず…

 そんな風に、ロンドンの表玄関で始まった物語は、後半に入ると裏通りへと舞台を移す。古い建物や通りが多いロンドン、どこにどんな奴が住んでるか、わかったもんじゃない。<大使館>とか、どっからそんな発想が出てくるんだか。

 と、まあ、ハヤカワの青背と、媒体こそ妙に威圧感はあるけど、中身はおバカで狂騒的な娯楽作品。ミエヴィルのイカれたアイデアに翻弄されつつ、クリーチャー大行進の狂ったビジョンを存分に堪能しようじゃなイカ。

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