藤井太洋「Gene Mapper - full Build -」ハヤカワ文庫JA
2010年代に流行った農薬耐性や二次不稔種などを実現するために自然植物を部分的に変更した遺伝子組み換え作物(GMO)は時代遅れになった。
目的とする植物のすべての遺伝子を調査し、必要なものだけを残して新たな機能を付け加えた、人工の植物、蒸留作物に置き換えられてしまったのだ。
【どんな本?】
個人出版の電子書籍として出版され、Best of Kindle Books 2012 の小説・文芸部門で一位に輝いた話題の作品「Gene Mapper」を完全改稿し、ハヤカワ文庫JAより紙の書籍として出た、新人作家・藤井太洋による話題の長編SF小説。
遺伝子改造技術が大きく進歩した近未来を舞台に、新種のイネの農場で発生したトラブルをきっかけとした事件を、斬新なヒューマン・マシン・インタフェースが溢れた世界とを背景に描く。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原型となった電子書籍版の Gene Mapper は2012年に出版。完全改稿した書籍版は 2013年4月25日発行。文庫本縦一段組みで本文約349頁。9ポイント40字×17行×349頁=約237,320字、400字詰め原稿用紙で約594枚。長編小説としては標準的な分量。
新人SF作家とは思えぬほど、文章そのものはこなれていて読みやすい。もっとも、内容がとても私好みなので、採点が甘くなってる可能性はある。肝心の内容は、かなりSF度が濃い。仮想現実技術を基本としたコンピュータ関連用語が全編で頻発するし、中心となる遺伝子操作技術も、ちょっとした頭の切り替えが必要なアイデアを絡ませてある。それなりにSFに適応した人向け。
【どんな話?】
フリーのジーン・マッパー(遺伝子設計技術者)の林田は、夜中のアラームに叩き起こされた。「L&Bコーポレーションに納品したイネの最新モデルSR06が、遺伝子崩壊を起こした可能性がある。明日の会議に出席して欲しい」と。航空写真を見ると、確かに北の端で色が変わっている。現地からの情報によると、バッタの被害も出ているらしい。L&B側の担当者・黒川と打ち合わせた林田は、さっそく原因の検証に入るが…
【感想は?】
とても新人とは思えぬ巧みさ。出だしの「ちょっと進歩した仮想現実技術」から始まる魅力的なガジェットもさることながら、お話の動かし方も見事で、ちょっと味見のつもりで読み始めたら、途中で止められなくなってしまった。
まず、冒頭の林田と黒川の会議の場面が、実に上手い。仮想現実技術が身近になり、ソフトウェア・エージェントが浸透した世界が舞台なのだが、これが実際に日本のビジネスマンにどう使われるか。
今でも、電子メールには、様々な「お作法」がある。これが、計算屋の社会と事務屋の社会じゃ、細々としたお作法が違ったりする。一般に計算屋だと、長いシグネチャは嫌われるし、不要な添付書類も好まない。Microsoft Word(*1) の文書を添付したりすると、「んなモン、メールの本文に書け」と怒ったりする。理由?トラフィックの無駄じゃん(*2)。
*1:ちなみに Word って言い方も、煩い人は嫌います。「Microsoft Word と言え!」と。Microsoft 社以外にも、~ワードって製品を出してる会社があったんです。今はわかんないけど。
*2:どのみちテキストなら本文に書けば、読む人はアプリケーションを起動する手間が省けるし、ウィルスに感染する危険もありません。またメールの容量も数倍に膨れ上がり、その分メールサーバの負担も重くなります。そもそも相手が Microsoft Word を持っているとは限りません。Macintosh や Linux を使っているかも。
逆に事務屋さんだと、ある程度はシグネチャに凝った方が受けがいいし、職場によっては cc: の順番にも煩い規則があったり、メール・アドレスにもキチンと役職をつけなきゃいけない。文面も季節の挨拶から入るとか、計算屋から見ると意味不明どころか有害でしかないローカル・ルールが乱立してたり。つか、なんで電子メールに即時返信せにゃならんのか。即時返信か必要ならIRC使えよっ!←アツくなるなよ
まあ、そんな風に、現代のビジネス社会では、コンピュータが提供するコミュニケーション・ツールにも、従来のビジネス上のルールが、多少アレンジされて持ち込まれている。こういったあたりを、フリーランスの林田と会社勤めの黒川が<拡張現実>を使って会議をする場面で、ちょっとしたしぐさ・服装・<アバター>を介し、見事に表現している。
こういう、詳しい人へのクスグリは多々あって。まさかあの方が出てくるとは。今やペンギンからロボットにまで進化してるんだよなあ。確か奥さんは空手の名手の筈。
ってな会議の場面だけでも、私のように狭いモニタで確認しながらシコシコとキーボードを打ってる者には、涎がダラダラ出て止まらない羨ましい仕掛けが一杯。いやホント、広いモニタ欲しいよねえ。最近は電子ペーパーとかもあるけど、場所取るし。となると、当然…
こういった、「おお、わかってるじゃん!」的な仕掛けは、肝心の遺伝子設計の部分にも充分に活きてて。林田が問題の作物を解析する場面でも、「うひゃひゃ、そうきたかぁ~」なガジェットがいきなり飛び出す。そりゃね、自分が関わったプロジェクトで問題が起きたとなると、まずは他人のせいにするのがプログラマです。
なんてマニアックなネタばかりでなく、遺伝子改造にまつわる部分も、従来技術からイカれたガジェットまで、ふんだんに盛り付けてあるから、SF者としてはたまらない。後に出てくる「防護服」のネタも、「うんうん」と唸りつつ、「うはは、らしいや」と思わず笑っちゃったり。
なんて細かいガジェットは、文句なしに21世紀を感じさせる斬新なアイデアに溢れていながら、お話そのものは、実に古典的な「テクノロジーと人間」という王道のテーマなのが嬉しい。第二部のホーチミン市の描写は、ハイテクと活気ある庶民の生活がイアン・マクドナルドの「サイバラバード・デイズ」を彷彿とさせつつ、厳しい競争社会のインドに対し、勤勉で穏やかな気質のベトナムの違いを味わおう。
この王道テーマが、エピローグで、かの有名作家へのオマージュと共に炸裂するあたりは、ホント読んでて嬉しくなったなあ。最後まで「ドッチに転ぶんだろう」とハラハラしながら読んで、ドッカーンとコレだもん。
最新のガジェットをふんだんに取り入れつつ、豪快な黄金期のSFの味わいを鮮やかに再生した、SFの王道を行く傑作。こういう作品が出てくるなら、SFの未来は明るい。
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