アーサー・C・クラーク&スティーヴン・バクスター「タイム・オデッセイ 火星の挽歌」早川書房 中村融訳
「あなたがたスペーサーは、コンピュータなみに理性的なんでしょうね」
「いや、とんでもない」アレクセイがにっこりした。
「新しい悩み一式にとり組んでいるところだよ」
【どんな本?】
英国SFの長老アーサー・C・クラークが、同じく英国のサイエンス・フィクション作家スティーヴン・バクスターと組んで送るシリーズ<タイム・オデッセイ>三部作の最終作。舞台は前作の32年後の2069年。前作「太陽の盾」の危機を乗り越えた人類が、再び<眼>の容赦ない試練に晒される。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は FIRSTBORN, by Arthur C. Clarke and Stephen Baxter,2008。日本語版は2011年12月15日初版発行。単行本ハードカバー縦二段組で本文約367頁。8.5ポイント25字×21行×2段×367頁=約385,350字、400字詰め原稿用紙で約964枚。普通の長編小説2冊分ぐらいの分量。
文章は比較的にこなれている。気のせいか、このシリーズは尻上がりに文章が良くなっているような。内要はタイトルでわかるように、火星や宇宙空間を舞台としたサイエンス・フィクションなので、最近の宇宙開発に興味がある人は「おお!」と喜ぶが、そうでない人には少しキツいかも。特にキム・スタンリー・ロビンスンのレッド・マーズなど、充分に考証した火星SFが好きな人にはご馳走。
ストーリー的には前作・前々作と素直につながっていて、両者の登場人物が作中で重要な役割を果たす。「時の眼」と「太陽の盾」は、どっちを先に読んでも構わないけど、「火星の挽歌」は前作・前々作を読んでからの方がいい。
【どんな話?】
2069年2月、ビセサ・ダットは目覚めた。19年間も人口冬眠で眠っていたのだ。出迎えたのは娘のマイラ。目覚めた原因は、やはり魁種族<ファーストボーン>だ。タイタンのディープ・スペース・モニターが、潜んでいたそれを発見・接近し…そして、消えた。
その頃、<ミール>のマルドゥク神殿では、ビセサが残したフォンが鳴った。
【感想は?】
これは、風景を楽しむ作品だろう。
小説としては、ちと知りきれトンボの感がある。バクスターがその気になったら、続きが出そうな雰囲気で終わる。前作でハッキリしたように、これは魁種族<ファーストボーン>との争いの物語なのだが…。まあ、バクスターは、こういった超種族との物語は既にジーリー・クロニクルで書いてるんで、続きはあまり期待できないかもしれない。
そのジーリー・クロニクルで代表されるように、スティーヴン・バクスターは、ストーリーで読者を引っ張る作家じゃない。狂ったアイデアで先端科学を料理するのが魅力の作家だ。この作品も、ストーリーそのものより、様々なガジェットや火星の風景など、人物以外の小道具・大道具は魅力的なモノが揃っている。
始まっていきなり展開するのは、土星の衛星タイタン(→Wikipedia)の風景。極寒の地だが、雨も降れば川もある。降るのはメタン、流れるのはエタンだけど。いずれも有機物だから…。
風景も楽しいが、もう一つのお楽しみは、様々な乗り物。最初に出てくるスクラムジェット(→Wikipedia)、現在も開発が進んでる。問題はマッハ3以上じゃないと動作しない点で、今は普通のジェットエンジンと併用して実験してる。構造そのものは至極単純なんで、巧くいけば商業用の超音速のエンジンとして便利かも。
次に出てくるのは無人自動車。まあ、これは今でも自動車メーカーが色々と実験してるし。
いよいよ、その次が相撲で言う幕内。まずは<ヤコブの梯子>。といってもヒューイ・ルイス&ニュースじゃありません。前作の終幕で出てきた、軌道エレベーターです。ここでは、「宇宙旅行はエレベーターで」の設計に準じ、カーボン・ナノチューブ繊維を織った、細長くて平たい帯を、ロープウェイよろしく登ってゆくタイプを描いている。
ガンダムとかに出てくる軌道エレベーターはかなり高速で昇降するけど、この作品のエレベーターは時速200kmほどで、ゆっくり登ってゆく。静止軌道まで3万6千kmなので、一週間以上かかるのだ。お陰で、途中の風景もじっくり堪能できる。先の「宇宙旅行はエレベーターで」を呼んでると、思わずニヤリとする描写がチラホラ。
また、カーゴの名前がスパイダーなのもニヤリ。「楽園の泉」と並び有名なチャールズ・シェフィールドの「星々に架ける橋」にひっかけたんだろうなあ。乗り物は他にも光子帆船など様々な宇宙船や、火星のローヴァーなど、是非一度は乗ってみたいシロモノが次々とでてくる。
これは<ミール>編も同じで、ケイシー・オシックがケッタイな乗り物を作ってる。え?と一瞬思ったけど、たぶん金属加工の精度と燃料の加工が問題なんじゃないかな。それと、なんでバクスターがこんなのを書いたのか謎だったけど、この本を読んでわかった気がする。つまり、好きなんだ、この人。
乗り物とはちょっと違いけど、宇宙空間で自転で擬似重力を発生させてる状況での、重力の働きの描写に注目。私も少し宇宙空間での球技を妄想した事があるんだけど、かなり地上とは様子が変わるんだよね。仮に野球でセンター・2塁ベース・キャッチャーの線を回転軸に平行に作っても、レフトとライトで球の飛び方が変わってくるし。
乗り物と並ぶもう一つの楽しさは、風景。特に面白いのが、火星の北極。火星にも極地には雪が降るのだ。ただし、ドライアイスだけど。水じゃないんで、色々とタチが悪い。これに続くステーションの様子も、ばかなか。特に「バーコードのような帯状装飾」には興奮した。同じモノを見ても、科学者は実に多くの情報を読み取るんだなあ。
加えてワクワクするのが、タイタンの自律的な探索ロボットを初めとする、機械知性体の描写。前作でもアリスッテレスとタレスとアテナがけなげな踏ん張りを見せたように、この作品でも個性的なマシンが登場する。火星の北極基地では、自己顕示欲に満ちた口うるさいスーツ5号が可愛い。無機的で控えめだったHALとは大違いだ。押し付けがましいのは同じだけど。
やはりガジェットでは、終盤に出てくる重力トラクターも面白い。これは笹本祐一の傑作「彗星狩り」と同じ問題を解決する、もう一つの手段。人物では、ちょい役だけどギフォード・オーカー教授の、浮世離れした能弁っぷりに好感が持てる。きっとモデルがいるんだろうなあ。
SFの王道の舞台、火星をテーマとし、最近の科学の成果をふんだんに盛り込んだサイエンス・フィクション。お話はちと散漫だけど、宇宙開発とテクノロジーが好きな人には可愛いオモチャが続々と登場する楽しい作品。特に宇宙エレベータの描写は絶品。
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