海堂尊「極北ラプソディ」朝日新聞出版
「カネ。カネ、カネ。医者は患者を助けるのが仕事だろ。カネのことなんか話すべきじゃない」
「でも、カネがなければ薬も買えず、スタッフも雇えません。支払いをしないのは食堂でカネを払わず食い逃げするのと同じです」
【どんな本?】
「チーム・バチスタの栄光」でデビューして以来、上質なエンタテイメントの皮に包みながら、現代日本の医療が抱える問題を提起し続けてきた人気作家・海堂尊の「極北クレイマー」に続くスピン・アウトのシリーズ第二作。
自治体として破産宣告を受けた極北市の市民病院と、その隣でドクター・ヘリを運用する雪見市の極北救命救急センターを舞台に、危機に瀕する地方の医療行政と、緊急医療のあり方を問う、長編娯楽小説。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
初出は週刊朝日2011年2月4日号~11月18日号に連載。単行本は2011年12月30日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約381頁。9ポイント43字×18行×381頁=約294,894字、400字詰め原稿用紙で約738枚。長編小説としてはやや長め。
文章はこなれていて読みやすい。医療が関わるお話だけに、少しは専門用語が出てくるが、わからなくても全く問題ない。私も医療は素人だけど、充分に楽しめた。一応、前作「極北クレイマー」の続きであり、また「チームバチスタ」のシリーズの外伝に属する作品だが、これから読み始めても、ほぼ問題ない。
なお、既に朝日文庫から文庫版が出ている。
【どんな話?】
破産宣告を受けた極北市では、赤字の原因の一つである市民病院に、地方医療再建屋の世良雅志が院長として乗り込み、大胆な改革を実施していた。入院病棟を閉鎖して人員を整理し、無駄な薬は処方しない。特に話題となっているには救急で、市民病院では受け付けず、隣の雪見市にありドクターヘリを擁する極北救命救急センターに回している。
現在、極北市民病院の医師は院長の世良と副院長の今中良夫だけだ。ご当地のしがらみを無視して果断な手を着々と打つ世良を、今中は心配しつつも振り回されるが、当の世良はあっさりと言い放つ。
「追い出されるまではここで義務を果たすし、追い出されたら後任に今中先生を指名する」
【感想は?】
今回のテーマは、地方医療の再建だろう。
本編にあたる田口・白鳥シリーズは、ボンクラの田口が怪人・白鳥に振り回される形で話が進む。この作品も形は同じで、事なかれ主義の今中が腹芸の達者な世良の駒にされ、文字通りアチコチに飛ばされる。外野から見れば度胸があり決断力に優れ根回しも上手な世良は理想的なリーダーだけど、そんなリーダーの下にいる者がどれだけ悲惨な目にあうことか。
話は今中の視点で語られる。それだけに、優秀で行動力のあるリーダーが部下としてはどれほど厄介か、読者も今中の身になって感じ取れるだろう。いやホント、大変なのよ。とまれ、このリーダー、単に部下をコキ使うだけじゃなく、折に触れて今中を育てようとしてるのは流石。やり方は「少しは自分で考えなよ」と、かなり厳しいけど。
表紙のイラストにはヘリコプターが描かれている。となれば、今までのシリーズの読者なたピンとくるだろう。そう、あのお方、ゲネラル・ルージュこと速水晃一が降臨して大暴れ。哀れなのは今中。直属のボスである世良に振り回されるだけでも大変なのに、天上天下唯我独尊の速水にも小突き回される。「何とわかりやすい、人使いの荒さだろう」に、シリーズのファンなら大笑い。
世良・速水共に独断専行タイプではあるけど、視点が全く違うのが面白い。政治や行政も視野に納める参謀本部的な視点なのが世良、常に前線に立って部隊を鼓舞するのが速水。ただ、どっちも喧嘩上等なのは、やっぱり医師って職業の性なのかしらん。
読み所は幾つかあるけど、ニワカ軍ヲタとして興味深々で読めたのが、ドクターヘリ運用現場の詳細。一見、万能に見えるヘリだけど、実際に飛ばすとなると、色々な問題がある事がわかる。説明役の越川が、細かい所に拘りまくるのが可愛い。この辺は、航空管制や航法を少し齧ってると、もっと楽しめる場面。
道路を滑走路代わりに使う(→Wikipedia)って、一見簡単そうだけど、実はかなり難しいってのも解って、ニワカ軍ヲタとしてはちょっとした収穫だった。
技術的な面ばかりでなく、救急医師とパイロットの対立も、なかなかの読みどころ。命を救うためなら手段を選ばない速水、事故防止のために徹底してルール厳守のフライト・クルーの大月と越川。いずれも厳しい職業倫理に裏打ちされたものだけに、どっちの言葉にも頷けてしまう。私はどっちかというと大月&越川を支持するけど、自分が患者の立場になったら、きっと考えが変わるんだろうなあ。
さて、メイン・テーマの地方医療の再建。冒頭で、医療費が膨れ上がる原因の一つがわかりやすく示唆される。かなり前から話題になっている、薬漬け医療だ。ここでは医療費踏み倒し患者の田所が、わかりやすい悪役を演じる。だが、私には彼の言い分もわかるのだ。気持ちとしては。ちょっと、自分の事として、または自分の子供の事として考えて欲しい。
具合が悪くて病院に行く。または子供がぐずるので連れて行く。診療の後、医師が言う。「暫く様子を見ましょう」。これで薬も出さずに初診料を取られたら、あなた納得できますか。なんか薬が出たら少し安心する、そういう気持ちって、あるでしょ。あるよね、私だけじゃないよね。
医師の理屈もわかるのだ。正確に診断するには暫く経過を見る必要があるし、間違った薬を処方したら、それこそオオゴトになる。医学的には「暫く様子を見る」のが最も適切な場合も多いんだろう。でも、なんか納得できない。つまりは医学じゃなくて、気持ちの問題なのだ。
ってんで、これに対する見事な解を提示してるのが、目立たないけど、この作品の読みどころのひとつ。
大きな仕掛けとしては、ドクターヘリに代表される、「いかに地方医療を再建するか」という問題。これに対しては、中盤以降に登場するガジェットを筆頭に、世良が大仕掛けで鮮やかな解を示す。いいなあ、こういう稀有壮大なビジョンって。
世良 vs 速水、速水 vs 大月&越川に象徴されるプロフェッショナル同士の軋轢。今中と世良&速水と桃倉が戯画化する医師としての世代の違い。メインテーマの地方医療の再建も興味深いが、やっぱり越川が語るドクターヘリの詳細が一番面白かった。いや男って、いくつになっても「乗り物」には弱いのよ。
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