クリスティアン・ウォルマー「世界鉄道史 血と鉄と金の世界変革」河出書房新社 安原和見・須川綾子訳
「わが軍には計り知れない強みがある。五本の鉄道を使って28万5千の野戦軍を輸送することができ。ザクセンとボヘミアの前線に、それを五日でほぼ集中的に投下することができるのだ。オーストリアにはたった一本の鉄道しかないから、21万の兵を集めるのに45日かかるだろう」
――プロイセン軍参謀総長ヘルムート・フォン・モルトケ、サドワの戦いを評して
【どんな本?】
1830年、イギリスのリヴァプール・マンチェスター鉄道の開業以来、約2世紀が過ぎた。路線を敷くには多大な費用がかかるため柔軟性に欠けるとはいえ、大量の物資・旅客を安く速く着実に輸送する陸上輸送機関とての能力は、やはり鉄道がピカ一である。
と同時に、鉄道は、社会を大きく変えてきた。それは、「リニアモーターカーの路線をどこにするか」で揉める、日本の現状でも明らかだ。駅前は栄えて地価があがり、廃線になれば自治体の存続すら危なくなる。
英国で有名なジャーナリスト・著作家で鉄道研究家でもある著者が、溢れる鉄道への愛を抑えつつ、鉄道の発展が世界をどう変えたか、または社会情勢が鉄道にどんな影響を与えたかを分析し、自動車や航空機との激しい競争に晒される鉄道の、21世紀における役割と生存の道を探る。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Blood, Iron & Gold - How the Railways Transformed the World, by Christian Wolmar, 2009。日本語版は2012年2月28日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約473頁。9ポイント46字×19行×473頁=約413,402字、400字詰め原稿用紙で約1034枚。長編小説なら2冊分ぐらい。
翻訳物としては、文章は比較的にこなれている部類。英国人のわりに、ヒネた言い回しも比較的に少なく、素直な文章だ。また、読みこなすのに特に前提知識も要らない。距離や速度はマイル表示だったりするけど、ちゃんとカッコ内にメートル法で補っているのも嬉しい心遣い。
なお、有名な路線の話がアチコチに出てくる。冒頭に欧州・南北アメリカ・オーストラリア・アフリカ・インド・ロシアの路線地図が出てくるが、高低差は分かりにくいので、地図帳や Google Map などで確認しながら読むと、更に楽しめる。
もちろん、鉄道ファンにも、文句なしにお薦め。
【構成は?】
まえがき
第1章 世界初の鉄道
第2章 ヨーロッパが走り出す
第3章 英国の影響
第4章 アメリカ式
第5章 つながるヨーロッパ
第6章 アメリカを横断して……
第7章 そして別の大陸へも
第8章 鉄道の侵入
第9章 鉄道革命
第10章 つねに改善
第11章 変わりゆく列車
第12章 衰えるとも倒れず
第13章 鉄道の再生
謝辞/訳者あとがき/図版出典/参考文献/原注
一応、各章は独立しているものの、原則的に時代を追って話が進むので、なるべく頭から読もう。
【感想は?】
一言で言えば、「鉄道が世界を変えた」、そういう本だ。
鉄道愛好家が書いた本である。著者は出来るかぎり冷静に書こうとしているが、溢れる愛は隠せない。特に、終盤に行くに従って、その想いはあらわになってゆく。
だから、多少の身びいきは、ある。にしても、やはりテーマである「鉄道が世界を変えた」には、納得してしまう。なぜか。つまりは、右のものを左に運ぶ、それだけだ。だが、それこそが重要な問題なのである。
世界初の鉄道路線は183年、リヴァプール・マンチェスター間で開通した。リヴァプールは港町で、マンチェスターをはじめ英国北西部は石炭を多用する工業地帯だ。当初は綿と石炭など貨物輸送を見込んでいた。以後、他の国の鉄道も基本は同じで、内陸の産地と港を結ぶ貨物鉄道として開通する場合が多い。
ところが、予期しない需要が生まれた。旅客だ。初年度だけで、のべ50万人が利用した。何を運んだか。
農家や漁師はまもなく、鉄道によって市場が大きく切り開かれたことに気がついた。新鮮な乳製品や野菜、肉、魚が鉄道で輸送されるようになって、庶民の食に革命が起こった。なにしろとくに都市の庶民は、それまで新鮮な食料品などめったにお目にかかることもなかったのだから。
そう、都市と農村・漁村、双方に大きな利益をもたらしたのだ。英国はこの教訓を素早く学び、以降、鉄道では世界をリードする存在となる。
もっとも、そう成り得たのには理由があって、ある程度の既存技術があった。馬車軌道だ。炭鉱から石炭を運び出すため、木製のレールに荷車を乗せ馬で引く。脱線防止用のフランジ(車輪の淵につける出っ張り、→Wikipedia)・鉄製レールなどの細かい改良、そして蒸気機関の登場となる。
民間が主導した英国と対照的に、国家が政治的な目的で鉄道網を整備したのが、欧州、特にドイツ。当事のドイツは小国の分裂状態、統一を求める諸国は、英国技術者の協力を仰ぎ、ライプツィヒ・ドレスデン鉄道が開通、大成功を収める。当初は多数の会社が乱立したものの、プロイセンの鉄血宰相ビスマルクが統一に乗り出し、国有化する。これには軍事的な目的もあって。
「東西の前線を結び、帝国の軍事マシンの重みを両方に利かせて勝利をもたらす、それができるのは鉄道しかない」
これは逆に見ると、鉄道路線が整備されていると、敵が容易に侵入できるって意味でもある。ってんで、恐れたスペインは軌間を独自仕様に変えましたとさ。まあ、それはともかく、当事の鉄道は当然ながら蒸気機関で、平均速度も時速30kmぐらい、おまけに登坂能力も貧しいため、路線選びも難しいしトンネルや橋が必要だったり、スイッチバック(→Wikipedia)なんて工夫も生まれてる。
欧州の各国に鉄道が整備される中で、自らのセールス・ポイントに気づいたのがスイス。欧州の中心に位置するこの国、特に地中海への道を開拓すれば大儲けできる。ってんで、ドイツとイタリアを結ぶルート、「完全にスイス領内の鉄道であるにもかかわらず」、スイスが負担した費用は1/4。半分はドイツ、もう1/4はイタリアに出させた。なんと賢い。
国家主導気味な欧州に対し、北米は完全な民間主導。対して完全な国家主導なのがロシア。そう、シベリア鉄道だ。北米じゃ時刻表示まで鉄道会社ふごとに違っていたのに対し、ロシアは、あの広い国土を無視して統一時間帯。「そのため、東に向かう旅の終わりごろには、朝食は午後二時、夕食は午前三時に出ることになってしまった」。
路線施設の苦労もいろいろで、北米じゃ大量に雇った中国人がチャイナタウンを作り、パナマじゃ疫病でバタバタ労働者が死に、アフリカじゃ疫病に加えワニ・カバ・ライオンに襲われる。疫病の猛威は凄くて、イタリアのシチリアじゃ風土病のマラリアのため「夏季には労働者の80%が勤務不能になるほどだったのだ」。
人と物を大量輸送できるってことは、叛乱を鎮圧するため軍を派遣する事もできるってこと。セポイの叛乱や義和団事件でも鉄道は活躍している。終盤は自動車や航空機に押され苦戦する鉄道の話が中心となるが、最後に北米の面白いサービスを紹介して終わりとしよう。グレート・ノーザン鉄道のオリエンタル特急の…
ちょっと変わったセールスポイントは、有名な午後五時の「儀式」だった。銀の茶器を持った客室乗務員に続き、お仕着せ姿のメイドの集団がサンドイッチとパティスリーを持って、列車の端から端まで給仕をして歩くのだ。
メイド列車。さすがUSA,、進んでる。
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