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2013年8月15日 (木)

塩原俊彦「ロシアの軍需産業 軍事大国はどこへ行くか」岩波新書845

2003年のイラク戦争があたえたロシア製兵器への影響は現段階では判然としないが、ロシア製武器の需要を喚起することにつながると、ロシア通常兵器庁の長官は強気の見方をしている。あるいは、イワノフ国防相はイラク戦争の結果、ロシア製通常兵器に対する感心が高まったことから、「無償の広告をありがとう」とまで語っている。

【どんな本?】

 1991年12月25日のミハイル・ゴルバチョフ辞任に続くソビエト連邦崩壊は、軍事・経済両面にも大きな衝撃を与えた。各共和国に分散して存在した開発・生産拠点は分断され、生産に必要な資材は経済・流通の混乱により確保が困難となり、潤沢な国家予算が断ち切られた各企業は資金が枯渇、国家による厳格な管理体制の崩壊は核兵器の流出の危惧さえ囁かれ、実際に報道された事件もある。

 ロシア経済論を専攻し朝日新聞モスクワ特派員の経験を持つ著者が、かつての社会主義軍事大国ソ連から「強いロシア」を志向する現在のロシアまでの軍事産業政策の変転を解説し、激変するロシア社会の中で生き残りを図るロシアの軍需産業の今を報告し、将来の行方を予想する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2003年7月18日第1刷発行。急激に変化しているロシア情勢の報告としては、ちょっと古いかも。新書版縦一段組み本文約198頁+あとがき2頁。9.5ポイント41字×14行×198頁=約113,652字、400字詰め原稿用紙で約285枚。小説なら中編の分量。

 正直、手こずった。日本語としての文章は悪くないが、内容的に明確さに欠けるのだ。これにはちゃんと理由がある。

  • 情報公開に消極的なソ連・ロシアなので、肝心の一次資料が少なく、信頼性も欠ける。著者は誠実にソースを明記した上で不確実な情報であると断り、複数の推定を併記する形を取るので、説としての歯切れが悪い。
  • 社会・経済体制が資本主義とは大きく異なる国なので、現代アメリカで主流の経済学の用語の定義が正確には当てはまらない。そこでいちいち統計の範囲や用語の定義から論が始まるので、前置きが長くなかなか本題に入らない。
  • 言葉の選び方が学者っぽい上品さで、直感的なわかりやすさに欠ける。例えば「個人による利益追求」は「私腹を肥やす」とすればピンとくると思う。

【構成は?】

 序章 冷戦期の「負の遺産」
  一 イラク・北朝鮮・中国とソ連・ロシア製武器
  二 無視できぬソ連・ロシアの軍需産業
第一章 ロシアの軍事改革
  一 ロシア軍の誕生
  二 国防政策はどう決まるのか
  三 変わる国防政策
  四 プーチン政権下の軍事改革
  五 「制服を着たマフィア」
第二章 ソ連からロシアへ
  一 「軍事国家=ソ連」の「戦争経済」
  二 ロシアの軍事支出
  三 軍需産業の生産減と輸出増加
  四 「非軍事化」と「資本主義化」
  五 国家発注の減少は何をもたらしたか
  六 動員制はどう変化したのか
  七 地方の「歪み」
第三章 軍民転換の失敗
  一 軍需企業の形態はどう変化したのか
  二 知られざる「軍産複合体」
  三 失敗した軍民転換
  四 個別の軍需企業をみる
第四章 生き残りをはかる軍需企業
  一 「生き残り原理」と「利潤追求原理」
  二 ワイルドな資本主義
  三 「非軍事化」の停滞
  四 輸出ドライブ
  五 ハイテクへの傾斜
 終章 ロシアの軍需産業の行方
   主な参考文献/あとがき

【感想は?】

 どうにも、まだるっこしい。かなり衝撃的な内容を含んでいるのだが、鉄のカーテンによる不明確さや、著者の誠実な姿勢により、歯切れの悪い表現に留まり、うっかりすると重要な部分を読み飛ばしかねない。

 ソ連解体の影響は、序章のエピソードが見事に象徴している。ソ連から各共和国が独立した結果、軍事産業も様々な形で分裂し、それこそマンガのような事態が現実に起こっている。ロシアはインドに武器を売り、ウクライナはパキスタンに売る。「こうしてインド・パキスタン国境では、同根ともいえる戦車が対峙しているのである」。なんか今もカシミールで衝突してるよねえ。→MSN産経ニュース「パキスタン、インド軍を射撃 7時間で7000発

 お得意先の軍はというと、あましタチが良くないようで、例えば「ロシアの戦闘機パイロットは年間わずか二十時間しか実際の飛行訓練を受けていない」。ちなみに米国は二百時間以上。「アフガン侵攻1979-89」にもあったけど、物資の横流しは伝統芸っぽいし。

 これに加え怖いのが、軍閥化。ソ連の時からGNPに占める軍事費の割合は高く(16~28%)、地域によっては軍需産業に完全に依存している。例えばウドムト共和国じゃ全産業従事者の中で軍需産業従事者は57%。おまけにソ連時代は住宅なども企業が潤沢に提供してたんで、こういう地域じゃ軍事企業の城下町となっている。これにかつての地方分権の流れが重なれば、軍閥化は避けられない。プーチンの中央集権志向は、この危機感が原因の一端かも。

 民需への転換も難しいようで、そもそもソ連時代は多くの物資・社会資本が軍事流用を前提にして設計してたとか。お陰で地下鉄は防空壕を兼ねてやたら深い所を走り、列車や線路も(たぶん戦車など)重量物資を運べるよう頑丈に作ってた。その分、コストも嵩むんだけど。ここで著者は「嵩んだコストは軍事費とすべきだろうか?」と経済学者らしい悩みをチラリ。あなた、どう思います?

 軍需産業ったって、大抵の企業は民生用の部門も持っている、というか西側じゃ大半の企業は民生用の方が大きい。これはソ連も同じで、比率はともかく民生用の商売も兼ねてたとか。

89年や90年の段階で、ミシン、テレビ、ラジオ、VTR、カメラなど国内生産の100%が、「軍産複合体」によって生産されていた。

 じゃ民生用に転換しようと思ったが。あなた、トラバント(→Wikipedia)を覚えてます?ま、そういうことで、「ソ連末期における軍民転換路線は、競争力のあるテレビなどの民需品をソ連企業では製造できないことを露にしただけだった」。西側の家電にシェアを奪われ、原材料は国家解体で流通がズタズタ。

 ってんで、「やっぱ計画は見直そうや」ってな事になり、私企業化の減速や各企業の系列化で対応中。とはいえ危機時に出来たコネやバーター取引による裏経済はしっかり残り、西側の投資家にとっちゃデンジャラスな要因が今も残っている模様。マフィアがはびこり警備産業は花盛りで…

97年末になると、ロシア全体における私的警備・探偵組織は1万200にのぼり、14万600人が雇用されるまでになったという。非国家安全保障会社・私的警備ビジネスの従業者の60%が元KGB職員、30%が元警官、8%が元軍人、2%がその他であるといった数字もある。

 お陰で軍縮で失業した将兵は新しい仕事が見つかりましたとさ。つかプーチンがKGB出身って事を考えると…。この数字で私が驚いたのはKGBの割合の高さで、ロシアにおけるKGB(今はFSBだっけ?)の存在感の大きさを感じさせる。西側じゃエシュロンが有名だけど、似たようなSOREM2がロシアじゃ動いてて、ちゃんと監視してるとか。

 軍需産業のもう一つの生き残り策が、輸出政策。最も大事なお得意先は中国とインドだけど、シリアも大事。内戦が長引いて儲けるのはロシアって構図。なんと「ロシアとドイツの合弁会社MAPSなどがある」ってのに驚いた。中央アジアでも「超国家金融産業グループ《イリューシン》の設立にかんするウズベキスタン政府とロシア連邦政府との間の合意案が承認された」とあるから、アメリカ主導によるアフガニスタンの安定をロシアは歓迎しないだろうなあ。

 正直、この本だけじゃ、ピンとこないと思う。でも、例えばアハメド・ラシッドの「タリバン」「聖戦」にある中央アジアの戦略的な意味や、マーシャル・ゴールドマンの「強奪されたロシア経済」、P.W.シンガーの「戦争請負会社」あたりと併せて読むと、実はかなりヤバい状況になってる事がわかる。最近の中国の挑発的な動きも、ロシアの軍需産業には大きな利益をもたらす。頁数の限られた新書で出すには、ちとテーマが大きすぎるのかもしれない。

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