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2013年6月 5日 (水)

ジャック・ヴァンス「奇跡なす者たち」国書刊行会 浅倉久志編

「未来には多くの道がある。そのなかには、まぎれもなく気の滅入る道もあるだろうさ」
  ――奇跡なす者たち

【どんな本?】

 先日(2013年5月26日)、惜しくも世を去ったSF界の巨匠ジャック・ヴァンスの傑作中短編8作を集め、日本独自に編集した傑作選。「SFが読みたい!2012年版」のベストSF2011海外編でも、堂々3位に輝いた。異世界を書かせたら定評のあるヴァンスだけに、この作品集は遠い未来の異星を舞台にした作品が集まっている;「最後の城」だけは遠未来の地球だが。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2011年9月15日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約405頁。9ポイント45字×20行×405頁=約364,500字、400字詰め原稿用紙で約912枚。普通の長編小説なら2冊分に少し足りない程度。

 浅倉氏・酒井氏ともにベテランだけあって、文章は読みやすい。ヴァンスは特に難しい科学理論も出てこないので、海外SFの入門用には手ごろかも。

【収録作は?】

 以下、作品名は日本語の作品名/原題/初出/初訳/訳者 の順。

フィルスクの陶匠 / The Potters of Firsk / アスタウンディングSF1950年5月号 / SFマガジン1999年2月号 / 酒井昭伸訳
 新米記者のケセルスキーは星務省のトーム人事部長へのインタビューに訪れたが、デスク上の黄色い大鉢に見ほれてしまった。そんなケセルスキーを見透かしたトーム人事部長は彼を昼食に誘い、鉢のいわくを語り始める。「あれはちょうど、あなたくらいの齢ごろのことでした」
 
 駆け出しの職員トームが、新しい任地フィルクスで出遭った事件。30頁程度の短い作品ながら、見事な起承転結で鮮やかな職人芸を味わえる作品。この本の最初の作品でもあるし、味見には最適の一作だろう。この記事を書くために初出を調べて驚いた。なんと60年以上も前の作品だ。これを「期待の新人作家の作品」と言われたら、素直に信じてしまうだろう。
音 / Noise / スタートリング・ストーリーズ1952年8月号 / 初訳 / 浅倉久志訳
 星の海で遭難したハワード・チャールズ・エヴァンスは、救命艇で、その惑星に降り立った。現地で水は調達できるし、食料も充分にある。水耕タンクもあるので、長引くようなら食料も自給可能だ。特に危険な生物も見つからないし、救難信号を出していれば、いずれは救援隊が来るだろう…
 
 「未知の惑星で遭難した男が出遭ったのは…」という、古典的なパターンの作品。エヴァンスが降り立った惑星の風景が、なかなかに魅力的。タイトルは Noise だけど、むしろ静けさと調和を感じさせる幻想的な作品。
保護色 / The World Between ( Ecological Onslaught ) / フューチャーSF1953年5月号 / SFマガジン1986年4月号 / 酒井昭伸訳
 バーニスティーが率いる大型探索船<ブラウエルム>は、有望な惑星を発見した。ややこしい事に、この惑星は、彼らの母星系ブルー・スターと、敵対する星系ケイの中間あたりにある。お互いが見落としていたのだ。早速、領有宣言を出し、「ニューアース」と名付けたバーニスティーら一行は降り立って惑星改造を始めたが、ケイの連中も黙っちゃいなかった。
 
 これまた見事なバイオ/環境SF。生物を使って惑星の環境を改造しようとするバーニスティーらと、それを邪魔するケイの熾烈な頭脳戦が楽しい。オチも鮮やか。ジョージ・R・R・マーティンの「タフの方舟」が好きな人なら、きっと気に入るだろう。
ミトル / The Mitr / ヴォーテックスSF1953年vol.1 #1(夏号) / 初訳 /  浅倉久志訳
 入り江に住む一人の女、ミトル。カブトムシたちは、彼女をそう呼ぶ。名前の他の持ち物は、他に草の寝床と、カブトムシから盗んだ茶色の布地だけ。岬まで歩けば、ティ・スリ・ティ、年老いた灰色のカブトムシが話しかけてくるかもしれない。退屈したミトルは岬に向かい歩き始める。
 
 冒頭から、彼女ミトルは恐らく異星で遭難した男女の子が、たった一人で成長した姿なんだろう、と匂わされる。短く幻想的で、未来の一場面を切り取ったような短編。
無因果世界 / The Men Return / インフィニティSF1957年7月号 / SFマガジン1980年6月号 /  浅倉久志訳
 かつて、この世界は論理が支配していた。結果には、原因がある。だが、因果が崩壊した。そこに残っているのは、二種類の者だけ。かつての論理を維持し、故に常に飢えに悩む<残存種>レリクトと、因果が崩壊した世界に順応した<有機体>オーガニズム。時間すら崩壊した世界で飢える残存種は…
 
 因果が崩壊した世界に順応できるのは、どんな者かというと…。まあ、そうなるよね。これも、SFとファンタジーの境界のような作品。
奇跡なす者たち / The Miracle Workers / アスタウンディングSF1958年7月号 / SFマガジン1985年10月号・11月号 / 酒井昭伸訳
 フェイド卿が率いる遠征軍は、バラント城を目指し進軍する。イサーク・コマンドアを筆頭にアダム・マカダム,エンターリンと三人もの強力な咒師を擁するフェイド卿の進路を塞いだのは、意外な障害物だった。
 「<先人>どもが北と南の原生林のあいだに森を設けたのです」
 
 科学が衰退し、かわって魔法のような咒術が発達した未来の世界。中世の欧州を思わせる、群雄が割拠する社会構造。この作品で見事なのは、イサーク・コマンドアが語る咒術の原理。当初はいかにも魔法のようだが、ちゃんと文化人額的な考察がなされていて、万能ではなく、できること・できないことが明確にあるのだ。序盤で咒術の強力さを描き、圧倒的な力を示した上で、中盤以降で原理を開明していく。これ書き分ける構成の妙も見事。
月の蛾 / The Moon Moth / ギャラクシーSF1961年8月号 / SFマガジン1980年5月号 / 浅倉久志訳
 惑星シレーヌに領事代理として赴任したシッセル。日頃は古びたハウスボートに住まい、様々な楽器を練習する。常に<月の蛾>の仮面を被りながら。そう、ここシレーヌの海上都市ファンは、独特の複雑で強固な規範が支配しており、それに順応できなければ、最悪の場合は命を落としかねない。なんとか相応しい振る舞いを身に着けようと努めるシッセルに、緊急の報が飛び込んだ。凶悪犯ハゾー・アングマークがファンに逃亡した、というのだ。
 
 ファンの華麗で複雑な社会様式が見事で、クラクラしてくる傑作。日本語だと敬語があって、自分と相手の社会的な立場や、その時の状況によって、ことばづかいが変わるので、日本の読者にはファンの風習はわかりやすいかもしれない。が、それを楽器や仮面によって明示する文化というのも、なかなか凝っている。とまれ、社会的な地位が、わかりやすい経済力や権力ではないのが見事。複雑怪奇でありながら、洗練された様式美を備えたファンの文化と、凶悪犯を追うミステリの面白さを兼ね備えた、今なお色褪せないヴァンスならではの傑作。Moon Moth で画像検索した結果はこちら
最後の城 / The Last Castle / ギャラクシーSF1966年4月号 / 世界SF大賞傑作選2 1979年 / 浅倉久志訳
 シー・アイランド城は墜ち、残った者は虐殺された。ジャニール城にも戦士たちが押し寄せた。難攻不落と思われ、700年の栄華を誇ったジャニール城も、ついに陥落した。そして、ついにヘゲドーン城にもメックがやってきた。エタミン星系の惑星で発生した類人種族メックを、人類は改造して技術奴隷として使役してきた。従順だったメックが叛乱を起こすとは、誰も考えていなかった。
 
 我々が考える欧州の貴族の社会とは、どんなものだろう。遠い未来を舞台としつつ、グロテスクなまでに貴族社会・規則的な価値観ををデフォルメして提示する作品。「欧米」とは言うけど、アメリカと欧州は大きく違う点が幾つかある。その一つは開拓者精神で、アメリカじゃパンクの修理やログハウスの建築、キャンプでの焚き火など下世話な技術を身につけ、必要な時に発揮できる者は尊敬される。が、欧州の貴族階級では、己の手を汚す作業に携わるのは、恥と感じる人もいるとか。この辺は、長い伝統を持つ階級社会じゃよくある事らしく、インドじゃカーストとして明文化までされている。日本は、どっちなんだろうね。メーカー系企業だと、職人技を自慢する重役が結構いたりする。

 発表は1950年~1966年と古いが、21世紀の今日読んでも、全く古びていない。未来を描くSFで、60年以上も新鮮さを保つとは驚異だ。冒頭の「フィルクスの陶匠」の短編らしい切れ味も見事ながら、魔法をじっくり書き込んだ「奇跡なす者たち」、ファンの華麗で独特の価値観を描く「月の蛾」、こういった「異様・異形でありながら、底にキチンと理屈が通った社会」を描いた作品は、今でもヴァンスの独壇場だろう。

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