菅浩江「カフェ・コッペリア」早川書房
個人識別ができなくなっているのは、男女各フロアそれぞれ十名あまりの画一的な容姿をしたスタッフの中に、AIの創作した人物が、同時最大六名、紛れ込むからだ。
<カフェ・コッペリア>は、AI研究の場でもあるのだ。
【どんな本?】
ロボットや仮想現実などのSF的な道具を、人の心を鮮やかに映し出す鏡として使う作品の名手・菅浩江による、久しぶりの短編集。AIを通してコミュニケーションの深遠を探る表題作、閉鎖環境実験の報告書から少女の心を覗く「モモコの日記」、ハイテク美容室を舞台に心の壁を描く「エクステ効果」、50年代SFの香りが漂う「リラランラビラン」、日本舞踏とロボットを組み合わせた「千鳥の道行」など、菅浩江ならではのエッセンスを凝縮した珠玉の作品集。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
単行本は2008年11月15日発行。初出は「小説すばる」「小説宝石」など一般文芸誌が多い。ハートカバー縦一段組みで本文約282頁。9ポイント44字×17行×282頁=約210,936字、400字詰め原稿用紙で約528頁。標準的な長編小説の分量。
文章はこなれていて読みやすい。初出が一般文芸誌だけあって、SFとはいっても、あまり難しい屁理屈は出てこない。敢えていえば、「言葉のない海」で中学校レベルの生物学の知識が必要かも。全般的に「心のない人工物」と人間を対比させ、ヒトの真の姿を暴く、といった作品が多いので、味わう上では、SF的な道具立てより、その周囲の人の心の動きが大事な作品が中心。
【収録作は?】
- カフェ・コッペリア / 初出<小説すばる>2002年6月号
- 藤井カナタは、カフェ・コッペリアのスタッフとして働いている。仕事は、客とお喋りすること。ただし、スタッフの何人かはAIが人間のフリをしている。そして、人間のスタッフは、AIのフリをする。会話のテーマは、恋愛。人間のスタッフに学びながら、AIを成長させるのが目的だ。
いきなり菅浩江の怖さが炸裂する強烈な作品。「女性の悩み相談って、要は愚痴をこぼしたいのであって、解決法を求めているんじゃない、共感を求めているんだ」などとネットではよく見かける。そこを察して適度に相槌を打つのがリア充という図式。まあ、改めて考えると、共感を求めるのは男も同じで、ただ男性向けにはキャバクラという場所がアヤシゲな衣を纏って認知されてるだけな。もっとも、今の若い人は寧々さんなのかしらん。とすっと、現実は既にこの作品を追い越しているのかもしれない。短いながら、人と人とのコミュニケーションの本質に迫る、息詰まる傑作。 - モモコの日記 / 初出<小説宝石>2002年9月号
- 種子島近くの無人島で実施している、閉鎖環境実験。物理的に地球環境と隔絶し、自給自足の生活が可能か確かめるのが目的だ。狭い環境では人間関係の悪化が極限まで進むので、現実の家族を使うと過程を崩壊させかねないため、仮の家族を使う。子供役は、11歳のモモコだ。心理カウンセラーの田辺友紀子は、モモコの担当となった。モモコから届くメールを読み…
これまたSAN値をガリガリと削られる作品。閉鎖環境の中に飛び込んだ11歳の少女、モモコ。期限は半年。心配する友紀子をよそに、モモコからのメールは至って幸福そうで、内容もしっかりしている。仮とはいえ家族への思いやりも、文章の随所に現れている。しっかりして人を気遣えるモモコが、なぜ実験に応募したのか。その辺を考えながら読もう。短編だからこそ、作家・菅浩江の底意地の悪さが濃縮された作品。 - リラランラビラン / 初出<小説宝石>2004年5月号
- 男と別れた三上優梨亜は、友達とヤケ酒をあおりへべれけになった帰り道、奇妙な露店を見かけた。気が強く早とちりな優梨亜が店で見たのは、リラランラビラン。ウサギを改良したアロマペット。ふわふわであったかく、瞳はビーズのような黒。そしていい香りがする。一目惚れした優梨亜は…
昔のSFによくある、「中国人の店で奇妙なペットを買った」話のバリエーション。猫でもハムスターでも、哺乳類のペットを飼った経験があるなら、きっと優梨亜の気持ちがわかるだろう。つぶらな瞳でふわふわ、おまけに人に懐くときたら、そりゃたまらんわ。こんな感じ?
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…違うな、きっと。 - エクステ効果 / 初出<小説宝石>2006年8月号
- 石島加世は、美容室チェーン<アルファ・ラボ>三号店の雇われ店長だ。ラボの名は伊達じゃない。ヘアケア企業の最新技術を提供するのがウリだ。今の人気はエクステ。先端のナノテクで、癖っ毛だって直毛にする。住宅地のこじんまりとした店だが、売り上げは上々。スタッフは八人と少ないながら、みな忙しいときも笑顔で対応するチームワークのよさ。そこに常連の小宇田明日美がやってきて…
おお、ナノテクをこう使うか!と菅浩江の着眼点に驚き。こういう視点こそ、彼女ならではの持ち味。でも、毛母細胞は蘇らないんだよなあ←をい。SFマガジンに不定期連載していたシリーズの原型かな。身なりに構わぬ不精なオッサンにはグサグサと突き刺さる、キツい作品だった。 - 言葉のない海 / 初出<小説宝石>2002年3月号
- 玉置恵が初めて苧崎歓喜と出遭ったのは、去年の秋のネット会議。特にハンサムでもないのに、恵は悟った。「この人は、私と同じリズムで呼吸をする。触れ合えば、きっと私たちは溶け合ってひとつの塊になる」。それは、歓喜も同じだった。
お互い一目惚れの男女。その直感は付き合い始めても変わらず、むしろ深まるばかり。だが運命の恋人たちに、思わぬ障壁が立ちふさがり…という、「ロミオとジュリエット」のバリエーション。
そういえば「ミラーニューロンの発見」に、長く連れ添った夫婦は似てくるってのは本当だ、って話があって、それは互いのしぐさが似てくるから、だとか。 - 笑い袋 / 初出<小説宝石>2003年3月号
- 九十を超えた中岡誠太郎。家族に老人扱いされるのは気に食わないが、孫の瑠香子からのプレゼントとあっては受け取らぬわけにはいかない。要は老人向けの玩具で、適切な返答を返すまで2~3秒かかる。ついでに助けを求めれば救急車を呼んでくれる…あまり頼りにならないが。嫁の万美も、多忙な仕事の合間をぬって世話を焼いてくれる…
SFっぽい道具は使っちゃいるが、物語のテーマは老人から見た家族の関係。誰だって厄介者扱いなんかされたくないし、物分りのいい人間でいたい。視点が老人と子供で違うだけで、根底に流れるテーマは「モモコの日記」と同じものがある。 - 千鳥の道行 / 初出<小説宝石>2007年7月号
- 叔母の代理でリハーサルに立ち会う羽目になった、今どきの女子大生・鈴宮昌乃。ダンサーのミネコの不機嫌を、音楽の館石研二郎がいなしてくれる。来る筈の日本舞踏家の月城勘堂が来れず、<木偶助>が代役だからだ。<木偶助>は人の体の動きを再現するロボットで、遠くから遠隔操作できる。だが、表情までは再現できない。だから本人に来てもらう必要があったのだが…
SF者としては、おそらくBMI(ブレイン・マシン・インタフェース、→Wikipedia)を応用した<木偶助>に俄然注目。「越境する脳」を読んでると、面白さが倍増する。この使い方も、著者ならでは。「血の通わぬ機械」を人間との対比物として使うことで、人間の本質を覗きみるというテーマは、「カフェ・コッペリア」や「プリズムの瞳」と共通している。
やはり表題作の「カフェ・コッペリア」は強烈。ファンシーなカバーに騙されると、酷い目に遭う。まあ酷い目に遭いたくて読んでるんだけど。続く「モモコの日記」も、著者ならではの毒がタップリ。ドカンドカンと大きな爆弾を落とされたところに、懐かしい定番風味の「リラランラビラン」。「こりゃ限界超えるかも…」と、一瞬は覚悟しましたよ、はい。
機械と人間を対比させるという点では瀬名秀明やグレッグ・イーガンにも似てるけど、彼女の特異性は、徹底した底意地の悪さと、卓越した観察眼。腹の底を見透かされる居心地の悪さこそ、彼女の作品の魅力だろう。ああ怖かった。
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