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2013年3月 9日 (土)

エヴァン・ハンター「暴力教室」ハヤカワ文庫NV 井上一夫訳

「どういう意味だって?こういうわけさ。だいたい実業高校というのは教育制度のごみ箱だ。市中の実業高校は全部そうだけどね。きみが来たのは、中でも大きな溢れるくらいにつまったごみ箱だ。われわれの仕事がどんなものか知りたいかね?われわれの仕事はそのごみ箱の蓋の上に座って、ごみが街にこぼれないようにすることだ。それがわれわれの仕事だよ」

【どんな本?】

 ミステリ・ファンにはエド・マクベインの筆名でで知られるエヴァン・ハンターの出世作であり、同名の大ヒット映画の原作でもある長編小説。ニューヨークの実業高校に英語(国語)教師の職を得た復員海軍軍人のリチャード・ダディエが、自分の理想と荒れた学校のギャップに呆然としながらも、必死に立ち向かう姿を描く。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE BLACKBOARD JUNGLE, by Evan Hunter, 1954。日本語版は1955年にハヤカワ文庫より出版。私が読んだのは2002年7月31日発行の完全版。文庫本縦一段組みで本文約550頁+序文7頁に加え解説4頁。9ポイント39字×17行×550頁=約364,650字、400字詰め原稿用紙で約912枚。上下巻に分けてもよさそうな分量。

 最近の翻訳物の小説と比べると、言葉の選び方にやや時代を感じさせるかも。特に下品なチンピラの台詞。まあ、時代背景が1950年代なので、多少は古臭くても仕方がないか。

【どんな話?】

 戦争が終わり海軍を退役したリチャード・ダディエは、臨時教員資格を利用し北地区実業高校の英語(国語)教員募集に応募する。妻のアンは妊娠六ヶ月、なんとか職に就かねばならない。幸いダディエは即日採用となった。今期は校長も新任のスモール氏に代わった。実業高校の経験が豊富なベテランだ。今期は同僚に二人の新人がいる。小柄だが理想に燃えるジョシュア・エドワーズ、いささか魅力的過ぎる女性のロイ・ハモンド。

 リチャードは2年7組を担任になった。実業高校の例に漏れず、2年生ともなれば悪たれ共は羽をのばしつつある。ガキ共には早速「親父(ダッディ)よう」などと仇名をつけられてしまった。おまけに初日から望みもしない英雄になる羽目に…

【感想は?】

 18禁にしようって声が、なぜ出ないんだろう。

 といっても、描写が過激だからじゃない。いや確かに暴力描写はあるし、性的な場面もある。ソッチはあまし実用的じゃないけど。マズいのはそういうことじゃなくて、ですね。

 お話を簡単に言ってしまえば、新人教師が荒れた実業高校に赴任して苦労する、そういう話だ。これを、新人教師リチャード・ダディエの一人称で語っている。これが問題。

 教師が生徒をどうまとめ上げるか、どう統率するか、そのテクニックと心理状態が、こと細かに書かれちゃってる。生徒に手の内を見られちゃったら、そりゃ先生方もやりにくいでしょ。18禁ってのは、そういう意味。

 生徒の統率ったって、開成みたいないい子が集まる所じゃない。舞台となる実業高校は、日本だと「ヤンキー漫画に出てくる工業高校」を思い浮かべて頂ければ結構。「ごくせん」とか「ビーバップ・ハイスクール」とか。出来の悪いガキが集まってる、殺伐とした雰囲気の男子校。原題も BLACKBOARD JUNGLE と殺伐としてるし、本のカバーには飛び出しナイフが堂々と描かれてる。

 ってんで、教師も命がけだ。ガキとはいえ人数が違う。束になってかってきたら、とてもじゃないがさばききれない。序盤に出てくる実業高校教師の格言が怖い。「クラスに背を向けるな」。尻を向けるのは失礼だから、なんて上品な意味じゃない。ゴルゴ13的な意味だ。

 最初はダディエも同期のジョシュアも、理想を持っている。「生徒たちは悪人じゃない。無知なだけだ」。だが、職場の先輩たちの多くは、悟った雰囲気を漂わせ…

 手痛い洗礼を受けながらも、あの手この手で悪たれどもを授業に集中させようと努力するダディエとジョシュア。最初から理想に燃えていたジョシュアと違い、ダディエは単なる就職口と考えていた。だが、職務に放り込まれたダディエは、次第に生徒の指導を真剣に考え始めるが…

 この辺は、教師物語というより「お仕事小説」として共感することしきり。どんな仕事でも、多少は慣れてくるといい気になる。ところが、真剣に職務を考え始めると、自分が何も知らない事に愕然とする。こういう経験って、ありませんか?私はあります、情けない事に、何度も。まあダディエ君が生徒の気持ちに気づくあたりは、ちと笑っちゃったけど。まあ、人間、あんまし一生懸命になっちゃうと、見えなくなっちゃうんだよなあ。

 と同時に、大学を出たダディエと、落ちこぼれの生徒たちとの視点の違いも痛感させられる。

 後半は、生徒の中のボス格の一人、グレゴリー・ミラーとの関係が物語の焦点となる。体格のいい黒人で、頭の回転も速い。クラスの中ではボス格で、率先してダディエをからかうが、同時に複雑な一面も持っている。優れた資質を持ちながら、教室では悪たれのボスとして振舞うミラーの立場は、アメリカの、いや、全ての社会が持つ暗黒面の象徴でもある。そう、能力も才能も、状況次第で毒にも薬にも変わってしまう。

 物語のハイライトは、終盤。「五十一番目の竜」。派手なアクションもなく、声を荒げるわけでもなく、教師と生徒の会話が続く、単にそれだけの場面なのに、私はグングン引き込まれた。

 仕事ってのは、楽なもんじゃない。勤務時間の大半は、好きでもない事柄に費やされる。巧くいくことなんて、滅多にない。それでも人は仕事を続ける。稼がにゃならんってのは、確かに根本にある。それは事実だ。けどね。案外と、それだけじゃ、なかったりする。これもまた、人の業かしらん。

 作家としては若い時期の作品だけに、欠点もある。描写は少々冗長で、もう少し刈り込んだ方がいい所もある。正直、いくつかの段落は軽く流し読みした。だが、問題生徒のミラーがダディエの視点の中心になるにつれ、これは人間集団のすべてが抱える問題点を提起している事に気がつく。

 ダディエは、熱血教師じゃない。強固な信念を持つわけでもないし、明確な方法論を知ってるわけでもない。迷走し試行錯誤し、なんとか道を見つけようとする、普通の若い教師だ。その迷走具合こそが、この作品を面白くしている。書名はセンセーショナルだが、実は普遍的な問題を扱った小説だった。

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