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2013年2月15日 (金)

司馬遷「史記列伝 一」平凡社ライブラリー 野口定男訳

 老子は楚の苦(こ)県(河南省)の厲郷(らいきょう)、曲仁里の人である。名は耳(じ)、字は?(たん)、姓は李氏といい、周王室の書庫の記録官であった。
  ――老子・韓非列伝 第三

【どんな本?】

 中国の前漢の武帝の時代、紀元前91年ごろに司馬遷が著した歴史書「史記(→Wikipedia)」のうち、主に戦国時代(→Wikipedia)の様々な人物を取り上げ、その生い立ちと人生・エピソードを綴ったものが列伝。平凡社ライブラリーのシリーズは、その列伝を読みやすい日本語版に訳し、三巻にまとめたもの。

 第一巻は、老子・孔子などの有名な知識人や蘇秦・平原君などの政治家・王族を中心に、第一~第二十四までを収録する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 Wikipedia によると、原書の成立は紀元前91年ごろ。平凡社ライブラリー版は2010年11月10日初版第1刷。文庫本縦一段組みで本文約463頁+半藤一利の解説「老子と日本人」10頁を収録。9ポイント42字×16行×463頁=約311,136字、400字詰め原稿用紙で約778頁。長めの長編小説の分量。

 かなりとっつきにくい。日本語の訳文そのものは、こなれていて読みやすいが、内容が問題。中国の戦国時代の人物の伝記が、時代も場所もランダムに、次から次へと出てくる。予め地理や時代背景を知らないと、ナニがナニやら、さっぱりわからない。また、登場人物も、各伝の主人公以外は詳しく紹介されないので、一回読んだだけで理解するのは、まず無理だろう。

 とまれ、章を追うにつれ、背景となる地理や社会構造・時代の変転も見えてくるし、前の章で主人公を務めた人物が重要な脇役として出てきたりするので、尻上がりに読みやすく、かつ面白くなってくる。

【構成は?】

伯夷列伝 第一
管晏・列伝 第二
老子・韓非列伝 第三
司馬穰苴列伝 第四
孫子・呉起列伝 第五
伍子胥列伝 第六
仲尼弟子列伝 第七
商君列伝 第八
蘇秦列伝 第九
張儀列伝 第十
樗里子・甘茂列伝 第十一
穰侯列伝 第十二
白起・王翦列伝 第十三
孟子・荀卿列伝 第十四
孟嘗君列伝 第十五
平原君・虞卿列伝 第十六
魏公子列伝 第十七
春申君列伝 第十八
范雎・蔡沢列伝 第十九
楽毅列伝 第二十
廉頗・蘭相如列伝 第二十一
田単列伝 第二十二
魯仲連・鄒陽列伝 第二十三
屈原・賈生列伝 第二十四
 戦国時代要地図/解説「老子と日本人」半藤一利

【感想は?】

 私は中国の古典に疎いので、読み始めはかなり難渋した。そもそも時代背景がわからなかったし。教養を身につけるには予め教養が必要という、厳しい現実を思い知った。途中、Wikipediaで著者の司馬遷や戦国時代を調べたら、多少はわかってきた。この本は、ある程度の知識がある人向けだ。というか、史記は本紀・表・書・世家・列伝とあるので、この順に読むのが適切なんだろう。反省。

 内容は、構成の所に挙げたように、24の章に分かれている。それぞれの章は、関係の深い何人かをまとめて紹介する形だ。とりあえず読んでいくと、つくづく自分の無知を思い知らされる。例えば孫子(→Wikipedia)。てっきり一人の人物かと思ったら意外な事に、二人の人物が孫子と呼ばれている。一人は斉の孫武で、書物の孫子の著者は彼。もう一人は孫武の子孫の孫?。

 有名な老子(→Wikipedia)も、周の役人だったとは知らなかった。ここでは韓非(→Wikipedia)を一緒に論じている。韓非は相当にヒネくれた人らしく、「~したら巧くいかない」「~したら用いられない」と、失敗するパターンは沢山挙げるけど、「どうすれば巧くいくか」は出てこない。まあ、本人が同僚に妬まれ陥れられてるから、仕方がないか。

 ギボンの「ローマ帝国衰亡史」もそうなんだが、こういう歴史書は、読み進めていくと、うっすらと歴史の流れのパターンが見えてくるのが面白い。韓非に代表されるように、有能な者が功績を上げ出世して王の寵を得ると、決まって同僚に妬まれ、デマを流されて王の不興を買う。その後、同じ国に留まれば殺されるけど、他国に逃れて重用される場合もある。

 この「他国で重用される」ってパターンが、今の政治と大きく違うところ。自衛隊も、いくら有能だからってコリン・パウエルをスカウトしないだろう。でも、営利企業なら優れた実績のある人材が遊んでたら喜んでヘッドハントするわけで、そう考えると、当事の「国」ってのは、現在の私企業に近い感覚なのかもしれない。

 はいいが、パターンが見えてくると、中国って国の外交のしたたかさが伝わってきて、怖くなってくる。叩きたい敵がいたら、どうするか。敵国の高官を買収して懐柔する。敵の優秀な高官を自国に招待して丁寧にもてなし、敵国内で「奴はわが国に通じている」と噂を流し失脚させる。敵に無能で貪欲な官がいれば、「あの人物を我々は恐れる」と噂を流して高い地位につける。二千年も前から、こんな事を散々やってきて、かつ記録に残して研究してきたんだから、そりゃ一筋縄じゃいかないよなあ。

 特に外交術の巧さが光るのが、蘇秦(→Wikipedia)。東周に生まれ斉で学び無職のままで帰ると、家族から「働かずに口先ばっかじゃビンボで当然」とそしられ引き篭もる。やがて「このままじゃダメだ」と就職活動を始めるが地元の周じゃ空振り、次いで秦に振られ、燕で「秦が怖い。趙の同盟を取り付けたら雇ってやる」と言われ諸国を巡り、秦以外の六カ国合従を実現、六カ国の宰相を兼ねる。ニートからいきなり6社兼任の役員ですぜ。

 彼の外交術も巧み。イロイロと小難しい事をいってるけど、要は各国の王に対し「仲間に入ったほうが得だよ」って内容。人と交渉する際の基本と言えば基本なんだが、なかなかコレは難しい。

 舞台が戦国時代だけど、意外と軍事の話は少ない。たまにあると「士卒の首を24万はねた」とか、かなり大味。技巧派として面白いのは、第二十二の田単。燕に蹂躙される斉の中で、優れた術策で城址を守り通した人。

 「捉えた斉の兵卒を燕軍が惨く扱うのが私は怖い」と流言を流す。燕は喜んで斉の兵卒を惨く扱い、斉の兵卒は恐れて守りを固める。「先祖の墓を燕軍が暴いて侮辱したら嫌だ」と噂を流す。燕軍は墓を暴き、斉の兵卒は怒りで士気が上がる。最後は牛を集め角に刃を仕込み、尻尾に藁を縛り付けて火をつける。暴走した牛は燕軍を蹴散らし、斉の軍は勢いに乗じて切り込み、燕軍は壊走する。北条早雲の小田原城攻めは、これにヒントを得たのかしらん。

 聖人と言われる孔子も、この巻ではかなり人間臭い。子路が子羔を長官に取り立てた際の話。

孔子「まだ学問も未熟なものに政治をさせたりして、あれでは子羔をだめにしてしまうだろう」
子路「治めるべき人民もあり、祭るべき社稷の神もあることです。祭政に従事することも学問で、必ずしも読書することだけが学問ではありません」
孔子「これだから、口先きのうまいものはきらいなのだ」

 言い負かされたからって、大人気ないw

 時代的には、カエサルの「ガリア戦記」と同じ頃に成立した書物だが、文体や視点の違いも興味深い所。カエサルの文章は簡潔明瞭で、事象の記述に終始する、事務的でわかりやすい文章。司馬遷は、文章の構造は決まってるんだけど、同じ章でも人名の呼称は統一されず、台詞は故事をふんだんに引用した教養を感じさせる饒舌なもの。これは土木・工学のローマと思想・教養の中国の文化の違いなのか、軍人カエサルと文人司馬遷の気性の違いなのか、はたまたパピルス・羊皮紙が貴重で簡潔な文章が尊ばれるローマと紙が潤沢な中国の違いなのか。

 故事の引用が多かったり、時代背景の知識が必要だったり、かなり歯ごたえのある本ではあるけど、そこに描かれる物語は、現代社会の派閥争いとソックリ。そこが面白くもあり、悲しくもあり、愛しくもあり。人間物語として楽しむもよし、教養として学ぶもよし、教訓を引き出すもよし。ビジネス書のネタとしても、実は豊かな鉱脈だったりする。

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