上田早夕里「華竜の宮 上・下」ハヤカワ文庫JA
「周囲が敵だらけでも、たったひとりの味方すらいなくても、自分がこの世で一種類しかいない生物だとしても――。ただひたすらに生き抜き、決して孤立を恐れるな、と」
【どんな本?】
新鋭作家・上田早夕里による、超重量級の本格SF長編。「SFが読みたい!2011年版」では2位にダブルスコア以上の差でベストSF2010国内編の頂点に君臨したほか、第32回日本SF大賞・第10回センス・オブ・ジェンダー賞に輝いた話題作。
ホットプルームの浮上は、火山活動を活発化させると共に海底を押し上げ、海面は260mも上昇し、世界の陸地の多くが水没した。人類は海上都市を建設して海上に住処を広げ、また海での生活に適応した身体に改造した民族を生み出した。海面上昇は多くの戦争をひき起こし、また凶暴な生物兵器が住処を失った難民を虐殺した。
世界は幾つかのブロックに分かれ、なんとか平衡を保つ25世紀には、2種類の人類が存在した。海上都市に住み、パートナーとなる人口知性体を駆使する陸上民、魚舟という生きた船と共生する海上民。両者は大きく異なる文化を発展させ、利害の対立や偏見を抱えながらも交易などの交流は続けている。
だが、世界には更なる大変革の時が迫っていた。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2010年10月、ハヤカワSFシリーズ Jコレクションとして出版。2012年11月15日にハヤカワ文庫JAとして加筆訂正して上下巻で文庫化。文庫本縦一段組で上下巻、本文約390頁+436頁=約826頁に加え、あとがき2頁・文庫版あとがき2頁・渡邊利通の解説8頁を収録。9ポイント41字×18行×(390頁+436頁)=約609,588字、400字詰め原稿用紙で約1524枚。そこらの長編小説3冊分の大作。
文章はこなれていて読みやすい。SFな仕掛けとしては、大きなものでプレート・テクトニクス(→Wikipedia)とプルーム・テクトニクス(→Wikipedia)を使ってる。この辺は地震に悩む日本ならでは。プルーム・テクトニクスがわかんなかったら、二つの現象だけ飲み込んでいただければいい。ひとつは海底が底上げされ海水面が上がり海抜260m以下の土地が海に沈むこと、もうひとつはマグマの活動が活発になってアチコチで火山が噴火すること。他に遺伝子改造による海上民、意外な魚舟と獣舟の正体、人口知性体であるアシスタント知性体=要は脳内通信機能つきロボット。
一般人にはプルーム・テクトニクスがちと難物だろうが、ハヤカワ文庫JAで想像するほど小難しいシロモノではない。「涼宮ハルヒ」シリーズを楽しめる程度にSFガジェットに免疫のある人なら、充分に読みこなせる。というか、是非読んで欲しい。
【どんな話?】
260mも海水面が上昇し、多くの陸地を失った人類は、海上都市を建設しアシスタント知性体を使役する陸上民と、移動・居住環境である魚舟と共生する海上民となって生き延びている。ユーラシア東部を統べる汎アジア連合に対し、日本は南北アメリカ・欧州・ロシア・アフリカ・オーストラリアと手を組むネジェスの一員として独立を保つ。
エア01は、外洋上の海上都市で、ネジェスに属する。日本外務省の公使(つまりは下っ端外交官)の青澄・N・セイジは、各地の現場をたらい回しされたあげく、半年前にエア01の外洋公館に赴任した。出世を考えれば美味しい立場ではないが、現場を好む青澄は今の仕事を気に入っている。
その夜、青澄と駐在武官のジェイク・MU・タケモトは現場に出かけた。獣舟の襲撃だ。15メートル近い、魚とワニが混じったような巨体が海から上陸し、動植物を襲い、食らう。もちろん、ヒトも。
陸上民と海上民・海上民同士のトラブルを仲裁する仕事が多い青澄は、海上民に顔が利く。次の朝、大使の桂から命じられた仕事は、厄介なものだった。海上民には、国家に属する者と、属さない<タグなし>と呼ばれる者がいる。「ツキソメというオサが率いる大きなタグなしの船団を、日本政府に帰属させろ」、と。帰属すれば海にはびこる業病・病潮を防ぐワクチンが手に入る反面、税を取られる。杓子定規な役人が書類を突きつければ、確実に交渉は決裂する。互いが得をする落とし所を求め、ツキソメとの接触を試みる青澄だが…
【感想は?】
21世紀の「日本沈没」。SF版「竜馬がゆく」。または小説版「もののけ姫」。
「日本沈没」なのは、プルーム・テクトニクスを仕掛けに使っている点。小松左京賞の受賞者の作品でもあるし、そのスケール感はやっぱり小松先生を引き合いに出したい。著者本人は「小松先生の後継は小川一水に任せます」と言ってるけど。ただ、小松先生が日本に拘ったのに対し、青澄と著者の視点はもっと大きい。海上民の創造に代表されるように、この作品では「集団の文化が変化し伝統が失われること」を全く恐れていない…というか、それどころじゃない事態に人類が直面している。
「竜馬がゆく」なのは、これが各集団の交渉役として外部と話し合う者の物語だから。組織のインタフェース役を割り振られた者が、沢山登場する。最も判りやすいのは青澄で、下っ端外交官として日本と海上民の利害調整に努めている。それも、一方的に日本の要求を突きつける形ではなく、相互に利益のある形を探るタイプ。司馬遼太郎の描く人物だと、豊臣秀吉が近い。秀吉と違いトップに立つタイプじゃなく、あくまで現場に拘る人。
青澄が竜馬だとすれば、大久保・西郷に当たるのはツェン・MM・リーとツェン・タイフォンの兄弟だろう。いずれも海上民の出身で、汎アジア連合で働く。兄のリーは政治家として頭角を現しつつあり、軽視されがちな海上民の立場を守ろうとする。弟のタイフォンは海上警備隊の上尉として艦を率い、海上民を襲う海上強盗団を取り締まる。政治の中枢と現場、それぞれの立場で、強引な策に傾きがちな汎アジア連合と独立心旺盛な海上民の間に立ち、暴力を伴わない形での解決を求める。
勝海舟に当たるのが、海上民のオサであるツキソメ、年齢不詳の美女。激変した世界の中でパイオニアとして生み出された海上民だが、その立場は弱い。強力な科学と武装を持つ陸上民に対し、海上民にできるのは逃げることだけ。彼女の目を通して語られる世界、そして大きく変異した人類の姿は脅威であり、また感動的でもあり。袋人の生き様に驚け。謎に満ちた彼女の正体は、この物語の重要な焦点となる。
「もののけ姫」なのは、これが「共に生きていくことはできる!」お話だから。「共に生きる」といっても、「誰と」ってのが、問題。青澄が外交官として双方の利害調整に当たる人だから、当然ながら日本と海上民、日本とネジェス、日本と汎アジア連合という図式は出てくる。だけでなく、共生の範囲はもっと広がってゆく。海上民と魚舟の関係、物語の語り手と青澄の関係、そして…
なんていう難しい話もあるけど、男の子としてワクワクするのが、海上民と魚舟の関係。完全な一対一ではないけど、魚舟は海上民の大切なパートナー。モロに跨るサンにワクワクした人なら、タイフォンと月牙の関係が羨ましくて仕方がないだろう。月牙可愛いよ月牙。舟だから走れないけど、海なら自由自在。海上を泳げるし、潜ることだってできる。自分専用の潜水艦で、しかもソウルメイト。ああ羨ましい。
そして、「もののけ姫」の「タタリ神」にあたるのが、獣舟。凶暴な猛獣で、全てを食い尽くす。作物も家畜も陸上民も海上民も魚舟も区別せず、ひたすら食う。強靭な生命力と、常軌を逸した進化速度を併せ持つ。海のどこかで生まれ、ご馳走にありつける海上都市や陸を目指す、ひたすら禍々しい存在。それはどこでどう生まれたのか。
海面の上昇で痛めつけられ、それでも手段を問わず生き延びる道を探るヒト。だが、それでも自分を可愛がるのがヒトの性。変容した世界に潜む、獣舟に代表される様々な脅威に晒されながらも、汎アジア連合とネジェス、そして日本は自分たちの利益の独占を狙う。組織の軋轢の中で、自分の理想を追求する青澄やタイフォン、そしてツキソメ。
そして、理想を共有する者どうしでも、立場と役割の違いは軋轢を生む。決戦を前にした、外交官の青澄と駐在武官タケモトの会話は、ひたすら涙。
プルーム・テクトニクスや魚舟,パートナー知性体などのガジェットを駆使したSFの面白さはもちろん、組織と組織と対立とその狭間で足掻くものの苦悩、同じ目的を共有する者同士での共闘の難しさ、そしてギリギリにまで追いつめられたヒトが、それでも抱える最後の業など、「小説」としての面白さ・壮大さも一級品。「SFだから」などと敬遠せず、できるだけ多くの人に読んで欲しい。
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