ジョナサン・スウィフト「ガリバー旅行記」角川文庫 山田蘭訳
敵が強すぎるという理由で戦争を始めることもあれば、弱すぎるという理由で始めることもある。
――第四話 フウイヌム国渡航記
【どんな本?】
幼児向け絵本の定番「ガリバー旅行記」(→Wikipedia)。小人の国リリパットは誰もが知っている。だが、絵本は抄訳であり、底本は絵本と全く味わいが異なり、かなりの毒を含んでいる。著者のジョナサン・スウィフト(→Wikipedia)はアイルランド生まれのイングランド人という屈折した生い立ちのためか、この作品もアイルランドらしい大法螺と、インクランド人らしいひねくれたユーモアが満載だ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は TRAVELS INTO SEVERAL REMOTE NATIONS OF THE WORLD. IN FOUR PARTS By LEMUEL GULLIVER, First a Surgeon, and then a Captain of feveral SHIPS. , by Jonathan Swift, 1726。私が読んだのは角川文庫版で2011年3月25日初版発行。文庫本縦一段組みで本文約448頁+阿刀田高の解説8頁。9ポイント40字×17行×448頁=約304,640字、400字詰め原稿用紙で約762頁。長編小説としてはやや長め。
18世紀の書物だが、私が読んだ角川文庫版は拍子抜けするほど読みやすい。単位系も親切にメートル法に変換してある。構成は連作短編形式で、各編はほぼ独立しているため、気になった部分だけを拾い読みしてもいい。ただし、ユーモアのセンスが独特であり、ある程度読者を選ぶだろう。アンブローズ・ピアスの「悪魔の辞典」が好きな人は、尻上がりに面白くなるので期待しよう。
【収録作は?】
- ガリバー船長より従兄のシンプソへの手紙
- 発行者から読者へ
- 第一話 リリパット渡航記
- あまり豊かでない地主の三男ガリバー氏は、身を立てるため医学と航海術を修め、何度か航海に赴く。結婚して診療所を開いたが経営は思わしくなく、再び航海に出た。何度目かの航海で船は岩礁に衝突、ガリバー氏は必死に泳いで陸にたどり着き、疲れ果てて眠ってしまった。
目覚めた時、ガリバー氏は手足も髪も地面に縛り付けられ、身動きできなくなっていた。何かが体に這い上がってきたので目をこらすと、身長15センチにも満たない人間だった。
幼児向けの絵本によく使われるのは、この第一話。確かに小人の国で巨人であるガリバーが、その巨体を活かして活躍する場面は胸躍る。小人の国では食料の調達も大変だが、出るモノの始末も大弱り。そういった御伽噺では省略されがちな部分も、キチンと書いてあるあたりは流石。もっとも、解説によると「著者の趣味じゃないの?」だそうだが。
前半では冒険物語風だが、後半に入ると社会風刺がボチボチ出てくる。リリパット国の内乱の原因が、馬鹿馬鹿しいと言えば馬鹿馬鹿しいが、Wikipedia によればカトリックとプロテスタントを皮肉っているとか。著者のスウィフトはカトリックの国アイルランドで牧師(=プロテスタント)の息子として生まれている事を考えると… - 第二話 ブロブディンナグ渡航記
- 懲りずに再び航海に出たガリバー氏、また嵐に巻き込まれ独り陸地にたどり着く。今度は巨人の国で、スケールは我々の10倍ほど。農場主に拾われたガリバー氏、九歳の娘グラムダルクリッチに気に入られたのはいいが、欲に駆られた農場主はガリバー氏を見世物にして興行の旅に出かけ…
これもまた冒険物語の王道そしての面白さが溢れている。想像してみよう、ネズミや猫の体長が10倍になったら、と。猫なんて肉食だし、大変な猛獣になってしまう。ばかりでなく、蝿・蚊・ハチまで10倍になる。ひええ~。魔法少女ものの小動物よろしく女性に気に入られたガリバー氏、ちょっと羨ましい体験もするが…。
後半では、やはりブロブディンナグと英国(をはじめとする欧州社会)を比較した社会風刺が始まる。愛国心溢れるガリバー氏、国王相手に必死に英国の弁護を試みるが、国王曰く「一本の麦、一筋の草しか生えていなかった土地に、二本の麦、二筋の草を育てることのできるものこそ、ありとあらゆる政治家を束にしたよりも価値のある人間であり、祖国にもより豊かな貢献をしているのだ」と主張して譲らない。わはは。 - 第三話 ラピュタ、バルニバービ、ラグナグ、グラブダブドリブ、そして日本渡航記
- 実績を買われ引き止める妻を説得しまた海へと旅立ったはいいが、海賊に襲われ漂流の果てに無人島にたどり着いたガリバー氏。一息ついた時、空を回遊する島を発見する。拾い上げられたその島はラピュタ、そこに住む人は数学と音楽に耽溺し、たびたび深い思索にのめり込み我を忘れる癖があった。
某アニメで有名なラピュタ、その植民地バルニバービ、魔術師の島グラブダブドリブ、不死人ストラルドブルグのる島ラグナグ、そして日本が登場する。この辺からスウィフトは調子が出てきたらしく、社会風刺がキレを増す。
「最高の税率を課せられるのは、もっとも女の好意をかちえた男とする」とか、大笑い。しかも自己申告制。人が真剣に深遠な思慮にふけるのは、どんな時かというと…。トンデモ本の書き方も伝授してくれる。
グラブダブドリブでは、イタコよろしく歴史上の有名人を呼び出し、いろいろと話を聞く。やはり欧州人にとって古代ギリシアとローマは理想と憧れの国なんだなあ、としみじみ感じる一編。 - 第四話 フウイヌム国渡航記
- 今度は船長として旅に出たガリバー氏だが、海賊に船を奪われボートで見知らぬ島に流れ着く。そこでは馬=フウイヌムが文明を築き、ヒトに似た獣ヤフーを使役していた。なんとか理性を持つ存在である由を馬に伝えたガリバー氏は、「理性のかけらを持つヤフー」として独特の地位を与えられ…
スウィフトの毒舌がフル・スロットルで暴走する、この作品の白眉。徹底して善良で誠実で理性的なフウイヌムに、ヒトの持つ獣性と愚かさと悪意を凝縮したヤフーを対比させ、これでもかというほどヒトの偽善性と愚かさを暴き立てる。戦争の理由と手段と結果、法律の目的と現状を茶化し、弁護士や法律家をコキおろす。ヒトが衣服を纏う理由とか、笑いながらも切なくなる。ちょっと引用。
性別によって教育の中身を変えるなど、主君にはいかにもおかしな話に聞こえたようだ。たしかにそのとおり、わが故国の住民の半分は、子どもを産む以外は何の取柄もない人間になりさがってしまっている。そんな役に立たない生きものに子どもの養育をまかせるなど、主君から見れば許しがたい蛮行だという。
巻末の阿刀田高による解説は必読。著者のスウィフトの屈折しきった性格が飲み込めていると、「フウイヌム国渡航記」で見られる、ヒネくれまくった皮肉がよくわかる。アンブローズ・ピアスの「悪魔の辞典」や、ジョージ・バーナード・ショーの「格言」が好きな人なら、きっと気に入るだろう。書物という麻薬に魅入られた全ての人にお勧め。ただし、前途有望な若者には極めて有害なので、毛髪を半分失うまでは近寄らないこと←をい
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