もしレイ・ブラッドベリがブロガーだったら
ネタ元はサム・ウェラー著「ブラッドベリ年代記」河出書房新社。濃い緑色の字の部分は、ネタ元からの引用。
12歳の時にブログを始める。以来、毎週欠かさず最低ひとつの記事をアップし続ける。
ブラッドベリが創作を始めたのは12歳の頃。それ以降、毎週必ず一編以上の短編を完成させ続ける。
ブログを始めて三年目には、ラジオの葉書職人として盛んに投稿する。授業中に勝手に番組の台本を書き、DJに手渡す。4年目にやっと投稿した葉書が読まれる。
タイピングの授業中、レイはバーンズ・アンド・アレン向けの空想的な台本を書きはじめた。そして毎週水曜の午後、フィゲロア劇場までローラースケートですべっていき、ジョージ・バーンズに手渡すのだった。(略)バーンズ・アンド・アレンがレイのジョークのひとつを採用してくれた。(略)1936年2月26日に放送された
4年目には何人かの有名ブロガーの芸を盛んに真似る。
コナン・ドイルの《シャーロック・ホームズ》、P・G・ウッドハウスの《ジーヴス》、エドガー・アラン・ポオの諸作をコピーするのに時間を費やした。
6年目になると、有名なブロガーの執筆方法に学び始める。
トマス・ウルフの作品に学び、ドーシア・ブランデの「作家になる」で磨きをかける。
「十八、十九、二十歳ごろの人間、つまり、なにも知らないのに知っていると思っている人間にとって、ウルフは完璧だ」
ブロガーのオフ会には積極的に顔を出し、はしゃいで楽しむ。うち何人かには、記事の書き方について厳しいが的確な指導を受ける。
SFファン・グループのロサンゼルスSF協会に入り、ファン雑誌にも寄稿する。ヘンリー・カットナーやC・L・ムーアに作品を見せ、批評してもらう。
「もし若い作家にアドヴァイスをあたえるとしたら、こういうだろう。その一、来る日も来る日も書くこと。その二、外へ出て、おなじような境遇の人々をさがすこと――いうなれば、特別あつらえの教会を見つけるわけだ」
9年目、やっと記事がオタク系ニュースサイトで紹介される。
彼の短編「振子」が載った<スーパー・サイエンス・ストーリーズ>の当該号は、1941年8月22日にロサンゼルスのニューススタンドにならんだ
10年目、自分でも傑作と感じられる記事ができる。執筆にかかった時間は二時間。
1942年の晴れた日、「みずうみ」を書き上げる。
12年目あたりから、オタク系ニュースサイトの常連となる。だが、オタク系というレッテルが貼られるのを恐れる。
1944年、あいかわらず週に一編を書いていた彼は、22編を売った。
13年目、別のブログを立ち上げ記事を書き始める。いきなり三つの記事が一般の大手ニュースサイトで紹介される。
1945年、<マドモワゼル>に「目に見えぬ少年」、<チャーム>に「ジェイミーの奇跡」、<コリアーズ>に「いつ果てるとも知れぬ春の日」をウィリアム・エリオットのペンネームで投稿した(略)八月の三週、レイはウィリアム・エリオットの秀作を賛美する手紙を、一誌でなく三誌すべてから受けとった。
ネタに困ると、有名ブロガーの過去の記事をナナメに拾い読みする。
「インスピレーションを得る最高の方法を見つけた。ロサンゼルスの図書館へ行って、そこらをうろつきまわり、棚から本をぬきとって、こっちで一行、あっちで一段落と拾い読みしたら、また本をとりだして、むさぼり読み、場所を変える。それかた手近の紙切れにいきなり書きはじめるのだ」
不愉快な事があった時は、それをどう記事に料理するか考える。
「自分の大好きなものを十あげて、それを褒めたたえたまえ。自分の大嫌いなものを十あげて、それを殺したまえ」
ロサンゼルスを歩く人は滅多にいない。LAは自動車の街だ。ある風の強い深夜、友人と歩いていると、レイと友人は警官の職務質問を受ける。警官の無作法な尋問が腹に据えかねたレイは、帰宅して「歩行者」を書いた。
人気が出てからは、他の人気ブログは見ない。
「うっかり盗作したくないんだ」
【おまけ】
ブログを続けるコツの一つは、こんな事を決して考えないこと。
暇つぶしの読み物を探している人は、私の記事とブラッドベリの「群集」、どっちを選ぶんだろう
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