河野元美「イスラエル・キブツの生活 バック・パッカー達のフィールド」彩流社
ベイト・ゼーラのボランティア達がハッシシーを入手するルートは近郊都市ティベリアスで行きずりに出会うアラブ人からによるものだった。数回の廻しのみのために一ヶ月の労働奉仕によるポケット・マネー(2500円相当)に二倍の代金を払うそうしたビジネスに、たとえ好奇心と興味から参加しようとしたところで、私のように当時貧乏のどん底にいた者には出来るはずがなかった。
【どんな本?】
数年間、海外の安宿を泊まり歩く者をバックパッカーと呼ぶ。イスラエルにはキブツという集団家族的な小社会があり、中には海外からの旅行者を受け入れるキブツもあって、貧乏だが暇だけはあるバックパッカーの溜まり場となっていた。
1970年代後半から1980年代初頭、長期間キブツに滞在した著者が、そこで出会ったバックパッカーたちや、キブツの生活の内情、当事のイスラエル社会の様子、そしてヒッチハイクのコツやお国柄などを綴った遺稿集。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2009年4月25日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約193頁+編集部による「刊行にあたって」2頁+奥様による「後書きにかえて」6頁。9.5ポイント44字×17行×193頁=約144,364字、400字詰め原稿用紙で約361枚。長編小説なら短め。
日本語ネイティブの人の著作だけあって翻訳物よりは読みやすい。ただ、エッセイ集のような内容だが、著作を生業とした人ではないので、あまり巧みとは言えない。また、半ば日記のようなものであり、背景がわからず意味不明な文章も所々にあるので、そういう部分は適当に読み飛ばそう。
【構成は?】
刊行にあたって/序文
第一章 ボランティア生活
第二章 ウルパン生活
第三章 友よ!そして旅立ち
第四章 イスラエルあれこれ
エピローグ
後記/後書きにかえて
各章は2~8頁の半ば独立したコラムから成っていて、気になった部分だけを拾い読みしてもいい。
【感想は?】
バックパッカーの遺稿集的な位置づけなので、内容はかなり散漫。内容の多くは著者のキブツ生活を綴ったものだが、欧州のバックパッカー仲間を訪ねた際のエピソードや、国ごとのヒッチハイク事情の違いなども書かれており、副題の「バック・パッカー達のフィールド」の方がしっくりくる。
とはいえ、キブツの報告は貴重だ。キブツはイスラエル独特の集団家族で、中には海外の「ボランティア」を受け入れるものもある(→Wikipedia)。70年代あたりはヒッピーの溜まり場になっていたらしく、冒頭の引用が示すように、本書にもそんな雰囲気が色濃く漂っている。
著者も「ボランティア」としてキブツで生活した。ただ、キブツはボランティアとキブツのメンバーとの交流は活発でないらしく、キブツのメンバーの記述は控えめで、紙面の大半は各国から集まったボランティアの生態に割かれている。
ボランティアの宿舎は基本的に四人部屋。安宿ならドミトリーに該当する。混む時期には男女も同室になる。バックパッカー同士の交流は活発で、となれば当然カップルが生まれたり分かれたり。当時はソレを目当てにキブツに来る輩も多かったらしい。
ボランティアという事なので、仕事もある。原則として一日6時間、著者はグレープフルーツ農場で多くを過ごす。バナナ農場は過酷で、特に収穫期がキツい。「バナナの房は最小のものでも20キロ~25キロもある。巨大なものになると40キロ~50キロ近いものまであるのだ」。厨房のホール係りもあるし、工場労働もある。
中には武器工場もあり、それに対するボランティアの立場は様々。ストライキを決行するスイス人たち、単に労働と割り切って働く者たち。著者はこういった事を真面目に考え込んでしまう人柄らしく、それが本書に独特の「臭み」を与えている。自然体で生活している「来て見てシリア」の清水紘子氏とは対照的だ。
対人関係も深く考えでしまう感があるが、その分、細かく観察もしている。曰く「キブツでは社交性が第一」。内気ではやっていけない。それも巧く立ち回れということではなく、「ソーシャル(社交的)であるためには、良きにつけ、悪しきにつけ、どんどんやる奴が一番なのさ」。催し物などでは、飛び入りで参加して暴れると喝采を受ける。「職業的プロの芸術家達が見せるショーなどにはあまり期待しない。(略)キブツが評価するのは素人芸でも積極的に参加する人々の姿勢であり、その輪が第一なのだ」。
とまれ、言葉がわからないと社交もへったくれもない。ってんで、全般的に英語が得意な英米人が仕切りがちになる。一念発起した著者、ウルパン(ヘブライ語特訓会話学校)へ入学する。宿舎も豪華だし労働時間も平均4時間に減る。ところがここでも、内気は損気となる。筆記ではトップの筆者が、会話ではヘロヘロ。苦闘の末に著者が掴んだ外国語習得の極意は貴重な教訓。
日本の学校教育の中で習得して来た日本人英語力というものを一度思い切りズタズタにやぶり捨てるしかないと思う。
裸一貫になることは怖いことだが、それを一度思い切ってやらない限り会話力は根こそぎになる。
(略)ノートに文章化してしまうのではなく反復することが必要だったのだ。
(略)書くことではない。頭を操縦して、しゃべる事だと。
会話もキブツの生活同様に最初は気後れする著者だが、コツを掴むとがむしゃらに取り組みはじめる。
生真面目な著者はボランティアでも懸命に働く。労働もお国柄がある模様で、一般にボランティアは怠け者が多い様子。そんな中でも日本人は全般的に真面目に働く。同様に真面目なのがベトナム人で、ベトナム系ユダヤ人のエピソードは大笑い。あんまりにも勤勉なベトナム系移民者たちのリーダーに対し、工場長が叫ぶ。
「頼むから君の兄弟たちに、もっとゆっくり労働するように特訓してくれないか!」
わはは。米作が中心で、中国の周辺国という共通した事情が、似た国民性を育てたんだろうか。
音楽にもお国柄が出る。ウルパンも三人部屋で、そこで相部屋となった西ドイツ北方出身のヨャーグ君に著者は童謡「七つの子」を教えるが、ヨャーグのアレンジによって「三拍子の陽気な童謡となってしまった」。ヨャーグ君、ドイツ人らしく、機械的なまでに規則正しい生活をしていたそうな。この後、彼は皮肉な運命にのまれることになる。似たような事情のフランス人パトリック君も切ない。
やはりイスラエルとしてはドイツに特別な感情を抱いているらしく、「プレゼント」で提供される旅行の行き先にはちゃっかり「独立戦争のモデルフィールドとナチス虐殺の記念館」を含んでいる。同じドイツ系の者でも、ユダヤ系は受け入れるが、プロテスタント系には冷たく当たる人もいる。
過酷な労働、乱脈な男女関係、夜通し踊るバックパッカーたちの底知れぬバイタリティ、仲間と巧くやれる者と孤立する者、夜毎のハッシシー(マリファナ)パーティー。現在のキウツはボランティアの受け入れに消極的になっているらしく、またボランティアの側も「良い子」が増えているらしい。70年代の野卑なまでのエネルギーに溢れた若者たちが集まり、そして旅立ってゆく。あの時代だけに存在した、奇妙な共同体の貴重な記録。
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