ジョー・ホールドマン「擬態 カムフラージュ」早川書房 海外SFノヴェルズ 金子司訳
言葉に頼らないメッセージを知的異星人に伝達しようという考えは1820年までさかのぼることができる。ドイツの天才数学者、カール・フリードリッヒ・ガウスが提唱したのは、シベリアの森林地帯に大きな一区画を開墾し、そこに三つの正方形を形づくるように小麦を植え、ピタゴラスの定理を図形で示そうというものだった。
【どんな本?】
「終わりなき戦争」「ヘミングウェイごっこ」などで有名なアメリカのSF作家、ジョー・ホールドマンによる長編SF小説。100万年前、地球に到達した異星人。自由に姿を変えられるソレは、人類に興味を持ち、1931年のカリフォルニアの海岸から上陸し、ヒトの姿を借りて人類社会に潜り込む。ストレートなSFであり、またちょっとトボけた味のネビュラ賞受賞作。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は CAMOUFLAGE, by Joe Holdeman, 2004。日本語版は2007年5月15日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約337頁+高橋良平の解説8頁。9ポイント46字×21行×337頁=約325,542字、400字詰め原稿用紙で約814枚。長編小説としては長め。
翻訳物の小説としては、文章は読みやすい方。本格的なエイリアンSFでありながら、特に小難しい科学知識やSF用語などの前提知識も要らない。一応はおカタい科学用語も出てくるが、「なんかソレっぽいコトを言ってるんだろう」ぐらいに思っておけば充分。
【どんな話?】
100万年前、ソレは地球にたどり着き、太平洋の海底に沈んだ。やがてホオジロザメの姿を真似て、海を探索した。人類に興味を持ったソレは、1931年、カリフォルニア州の海岸に上陸し、人類に姿を変え、ヒトの社会に紛れ込み、人類の生態を学び始める。
2019年。海洋探索の会社を経営するラッセル・サットンに、退役直前の海軍少将ジャック・ハリバートンが儲け話を持ち込む。トンガ=ケルマデク海溝、水深一万メートルを越える深海で、妙なモノが見つかった。大きさは小型トラック程度、ダイヤモンドより堅く、プルトニウムの三倍以上の密度がある。これを引き上げてサモアに運び、調べようというのだ。
【感想は?】
物語は大きくわけて3つのパートで進む。ヒトの姿を借りて人類の生態を学ぶ<変わり子>、妙なモノを調べるラッセルとジャック、そしてもうひとつの異星生命体<カメレオン>。
何にでも姿を変えられて、ほとんど不死。理想的な生命体だが、なぜそんな生命が誕生したのかってのは、映画などじゃ無視されがち。ところがこの作品は、 冒頭で無敵の生命が誕生した過程がキチンと描かれてるのも嬉しいところ。球状星団を彷徨う惑星で発生した生命が、どんな環境に置かれるか。長編SFの冒頭 としては、満点に近い出来栄え。
3つのパートの中で、最も面白いのは<変わり子>のパート。1931のカリフォルニアに上陸したソレは、少年の姿を借りて、人類について学ぼうとする。そのプロセスが実に楽しい。上陸したてで人類について何も知らない<変わり子>が、どうやってヒトの社会に溶け込み、学んでいくか。まず最初は…。うん、まあ、ソレが基本だよねえ。
さて、ヒトの姿を借りたはいいが、場所が問題。なんたってカリフォルニア。イロイロとお盛んな地域。ってんで、この作品、ベッドシーンが随所に出てくる。ところが片方は、人類の生態を学習中の異性の生命体。知識欲と好奇心は旺盛だが、わかってるワケじゃない。
だもんで、妙にギクシャクしたやりとりになる。というより、ドタバタ・コメディとして読むのが正解だろう。ベッドシーンに限らず、この作品は、全般的にユーモラスな雰囲気が漂っている。数頁ごとの短い章が連続する構成で、章の最後の段落は、結構な割合でオチがついてる。「この結果には少なからぬ人間が驚かされた」には、大笑いした。
<変わり子>が上陸したのは1931年で、第二次世界大戦の直前。やがて海兵隊に兵卒として入隊した<変わり子>は、太平洋戦線のフィリピンへと送られ、バターン死の行進を経験する。この辺はヴェトナムでの従軍経験のある著者らしく、なかなか迫力あるんだが、面白いのが新兵訓練の場面。映画「フルメタル・ジャケット」をご存知の人は、ちょっと比べてみて欲しい。エイリアンの新兵が、海兵隊のシゴキをどう切り抜けるか。こんな新兵の教官にはなりたくないなあ。
バターン死の行進では、「アメリカの白人社会しか知らないエイリアン」の視点から見た日本軍、という、なかなか倒錯したシロモノが描かれる。日本兵が怒鳴る場面では、「どの国でも同じようなもんだよなあ」などと思ったり。
海洋SFとしての面白さもあって、例えばメルボルン沖の<不吉な穴>の場面。沖合い数キロの珊瑚礁の中に泥穴があり、周辺は妙に藻が育ち魚が集まる。トロール網が引っかかるものの、魚の群れが集まるので地元の漁師は重宝している。その正体は…
ラッセルとジャックのパートの、主な舞台はサモア。こっちはこっちで悪戦苦闘。なにせダイヤモンドより堅く、プルトニウムより重い。これを台座に持ち上げる場面も、いかにもアメリカらしい力技。アメリカらしいといえば、扱いの方針転換がなされる章の最後の一句が、これまた現在のアメリカへの皮肉が効いてて、なんとも。
もうひとつ、「ああ、アメリカだなあ」と思うのが、向うの学生の生活。大学を卒業して社会に出ても、若いうちはまた大学に戻って別の専攻を学んだり。ちょっと羨ましいなあ。
ネビュラ賞というと、妙に深刻で文学的って印象があったんだが、意外なくらい明るくてユーモラスな作品だった。あまり構えず、気楽に読もう。
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