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2012年11月12日 (月)

「完本 池波正太郎大成11(剣客商売1)」講談社

「負けた相手に勝たねば、剣士としての自信が取り戻せぬ。自信なくして、おのれが剣を世に問うことはできぬ。なればこそ、負けた相手には勝たねばならぬ。ぜひにも、ぜひにも……」

【どんな本?】

 昭和の娯楽小説の大家、池波正太郎による「鬼平犯科帳」と並ぶ代表作。時は安永、所は江戸。齢60を目前に隠居は決めたものの妖怪じみた剣の腕は衰えず、野次馬根性で事件に首を突っ込んでは融通無碍な知恵と人脈で解決する秋山小兵衛と、その倅で謹厳実直な大男の秋山大治郎の活躍を描く連作短編集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 改題によると、初出は雑誌「小説新潮」1972年1月~1974年12月。完本のシリーズとしては1998年10月20日第一刷発行、私が読んだのは2007年2月14日の第四刷。文庫本だと1巻~5巻を収録。文庫は今でも年に2~3回は版を重ねてる模様。

 単行本ハードカバー縦二段組で本文約711頁。8.5ポイント28字×25行×2段×711頁=約995,400字、400字詰め原稿用紙で約2489枚。長編小説5冊分、実際に文庫本だと1~5巻。読みやすさは抜群。というか、あまりのめり込むと口調や文体が伝染して困ったことになる。

【どんな話?】

 江戸時代、十代将軍徳川家治の治世で、田沼意次がのし上がる安永の頃。小兵の白髪頭ながら剣は凄腕の秋山小兵衛は隠居を決め込み、30も年下の下女おはるとねんごろになり、転寝の日々を過ごしている。

 息子の秋山大治郎は色黒の威丈夫、諸国を巡り磨いた剣の冴えは見事なものの、いささか世知には疎い。父が建ててくれた小さな道場も、厳しすぎる稽古に弟子はいつかず、今日も大治郎は一人で稽古に励む。

 先に田沼の屋敷で開かれた剣術大会で好成績を収め名が知れたためか、大治郎の道場に珍しい客人があった。大垣四郎兵衛と名乗る立派な風采の侍が、奇妙な依頼を持ち込む。

  「人ひとり、その両腕を叩き折っていただきたい」

【収録作】

女武芸者/剣の誓約/芸者変転/井関道場・四天王/雨の鈴鹿川/まゆ墨の金ちゃん/御老中暗殺/鬼熊酒屋/辻切り/老虎/悪い虫/三冬の乳房/妖怪・小雨坊/不二楼・蘭の間/東海道・見付宿/赤い富士/陽炎の男/嘘の皮/兎と熊/婚礼の夜/深川十万坪/雷神/箱根細工/夫婦浪人/天魔/約束金二十両/鯰坊主/突発/老僧狂乱/白い鬼/西村屋お小夜/手裏剣お秀/暗殺/雨避け小兵衛/三冬の縁談/たのまれ男
 解題

【感想は?】

 なんという贅沢な小説だ。

 何が贅沢と言って、とにかく登場人物の使い方が贅沢。連作短編集である。冒頭の数編はレギュラー紹介として小兵衛・大治郎・三冬などが話の推進力となるが、彼らの人物像を読者が掴んだあたりから、各話ごとにゲストの登場人物が絡み、話が進む形になる。

 このゲストが、とてつもなく魅力的で、「うわ、この人、準レギュラーにならないかなあ」などと思いながら読むと、次の話では更に魅力的な人物が出てくる。次から次へと面白い人が入れ替わり立ち代り出てくるんで、しまいには眩暈がしてくる。長編小説の主役を充分に張れる人物が、文庫本にして50頁程度の短編でゲスト扱いなんだから憎い。

 いや、最初は期待したのよ。なんたって、冒頭の「女武芸者」じゃゲスト扱いの佐々木三冬が、堂々とレギュラー入りするし。この三冬が、これまた素敵な人で。齢19の美少女。武家の娘としては血筋もよし、縁談もよく入るものの、女だてらに剣術を学び、筋もいい。それが嵩じて縁談の度に無茶を言い出す。

自分を褄に迎えるべき人が自分より
「強いお人でなくては、いや」

 日頃の身だしなみも振袖どころか武者姿、道を歩けば颯爽とした美少年?ぶりに町娘が見ほれる有様。わはは。「こ、これは…」などと助平根性で読み進めると、ちゃっかりレギュラー入り。そりゃ入るよなあ、面白い人だしねえ、などと油断していると。

 他にも続々出て来るんだ、面白い人が。例えば、三浦金太郎。28歳独身。「剣の腕前は相当なもの」だが、ファッション・センスは相当に残念。白粉を耳たぶにつけ、唇には紅をさし、眉には墨をつける。いや別にソッチの趣味じゃなく、「白粉をつけておきますと、岡場所の女どもがきゃあきゃあさわぎましてね」。若いわりに飄々としてサバけた人で、どうにも底が読めない。

 やはり憎みきれないのが、鬼熊こと熊五郎。居酒屋の親父で歳は六十台半ば。客商売のくせに口汚く、出てくる言葉はいつも悪態。となりゃ客との喧嘩も絶えず、時には叩きのめされたりもするが、それでも「死ぬなんて怖かねえ、さあ、殺せ、殺しゃがれ!」と最後まで意地を張り通す。とんでもねえ爺ぃで、あまり近所にいて欲しくないタイプだが、池波さんの手にかかると「うおお、どうなるんだ!」と気になってしょうがない。

 今のところはゲスト扱いだが、是非レギュラー入りして欲しいのが杉原秀。父親の杉原佐内を助け、道場を切り盛りする女武芸者。道場といっても百姓や子供を相手の田舎道場、三冬と違い色黒で化粧っ気もない。弟子が百姓ばかりなためか気取りもなく、礼儀正しくはあるが武家を鼻にかけた所もない。彼女には今後も活躍して欲しいのだが、はてさて。

 剣客だけに物騒な話が多いが、同時にシモネタも扱う度量の広さが嬉しい。なんたって、主人公格の秋山小兵衛が、ええ歳こいて10代の下女に手を出す助兵衛爺ぃだし。彼が医者の小川宗哲と組んで大治郎に仕掛けるまんじゅうネタは酷いw いい加減、気づけよ大治郎。つか、そこまで引っ張りますか。当時は通勤電車で小説新潮を読みながら吹きだす月給取りが続出しただろうなあ。シモネタの幅も広くて、「夫婦浪人」じゃ、なんと男色ネタまで出てくる。いやもっと早くから出てるんだけど。

 連作の楽しみとしては、やはりレギュラー陣が事件を経て成熟していく様子が読みどころ。冒頭の引用にあるように、小兵衛は剣客として生きてきた。斬った分、返り血も浴びる。己が溜めた業は仕方なしとしても、倅まで業を背負わせる生き方はどうしたものか。剣客として成長するのは楽しみながら、人を斬るごとに買う恨みは、どうしようもない。

 誠実で実直な大治郎が、いかに剣客としての業を背負っていくのか。やはり剣に惹かれながらも、女になりつつある三冬の想いは届くのか。粂太郎少年は、お使い役から卒業できるのか。

 他にも読み所は多々あるにせよ、敢えてこの記事では人物中心にまとめてみた。いやキリないのよ、魅力を挙げると、食べ物とか江戸の地理とか社会構造とか得物とか。

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