ロバート・A・バートン「確信する脳 [知っている]とはどういうことか」河出書房新社 岩坂彰訳
本書の核心をなす革新的なその仮説とは、次のようなものだ。
確信とは、それがどう感じられようとも、意識的な選択ではなく、思考プロセスですらない。確信や、それに類似した「自分が知っている内容を知っている」 [ knowing what we know 「ともかく絶対に分かっている」というニュアンスを持つ ] という心の状態は、愛や怒りと同じように、理性とは別に働く、不随意的な脳のメカニズムから生じる。
【どんな本?】
親しい人たちと「昔あったこと」について話し合った際、お互いの話が食い違うのに、相互が「絶対に間違いない」と主張して譲らない。誰もがそんな経験を持っているだろう。何かの名前を思い出そうとして、「喉まで出掛かってるのに出てこない」という経験も。たいした根拠もないのに、「俺には(あたしには)わかる」と断言する人もいれば、「よくわからないなあ」と困惑する人もいる。
「何かを知っている」と、人はなぜわかるのか。「たぶんそうだろう」と思うことと、「そうに決まっている」と決め付ける際の違いは何か。著者は疑問を投げかける。我々が思っているほど、人は合理的に判断しているわけではない、脳の肉体的なプロセスが「確信」を与えるのだ、と。
マウント・ザイオン・UCFS病院神経科学部の副部長を務める著者が、本人および著者以外の文献を含む多数の臨床ケース・実験データ・を引用しつつ、ヒトの「確信」の正体を探り、その結果が及ぼす影響を宗教・哲学・科学・文学に至るまで考察する。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は ON BEING CERTAIN, Believing You Are Right Even When You're Not, Robert A. Burton, 2008。日本語版は2010年8月30日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約269頁+訳者あとがき4頁。9ポイント45字×18行×269頁=約217,890字、400字詰め原稿用紙で約545枚。小説なら標準的な長編の分量。
著者が小説も書いているためか、元の文章は比較的に素直らしく、翻訳物の科学解説書のわりに読みやすい部類。科学的にも、中学校レベルの理科で充分に読みこなせる。
【構成は?】
はじめに
1 「知っている」という感覚
2 人はどのようにものを知るか
3 意思で確信はできない
4 心の状態の分類
5 ニューラル・ネットワーク
6 モジュール性と創発
7 思考はいつ始まるのか
8 知覚的思考
9 思考の快感
10 遺伝子と思考
11 思考を支える感覚
12 確信の二本の柱――合理性と客観性
13 信仰
14 心が生み出す哲学的難問
15 結論
謝辞/訳者あとがき/原注
全般的に前半を科学的な検証に充て、後半は考察に充てる構成。手っ取り早く内容を知りたい人は、最後の「結論」だけを読めばいい。
【感想は?】
あなたはこの世界について、どれぐらいわかっていると思っているだろう?「大抵の事は知っている」と考えているだろうか。「ごく一部しかわかっちゃいない、それも大半はわかってるつもりなだけで、実際は間違ってる事も多い」、そう思っているだろうか。「ほとんどわかっちゃいない」という認識に、耐えられるだろうか。
絶えられるなら、この本はお勧め。そうでなければ、つまり「私はちゃんと理屈の通った世界の中で生きていて、私はその理屈が分かっている」と思いたい人には、読んでも不愉快になるだけだから、避けるが吉。
そもそも、確信とは何か。この点について、序盤からいきなり統合失調症患者の例を挙げて読者の不安を煽る。
私たちは統合失調症を生物学的に理解しているため、患者の脳内が化学的に乱れ、そのためひどく非現実的な考えが生まれて、その考えは論理や反証で「論破」することはできない、という認識を持っている。患者の誤った確信感が、神経化学的な異常から生じているということを認めているのだ。
すると、私の「確信」は、統合失調症の症状と同じなのだろうか?でも逆に「「確信」が持てない強迫性障害(OCD)も紹介している。こちらは「客観的な証拠では<既知感>が呼び起こされ」ない。いずれの症状も、脳の化学的なバランスの不均衡が原因だ。
人は一旦思い込むと、それとは異なる解釈を受け入れにくくなる。これを、著者はちょっとした「なぞなぞ」で読者に体験させる。さすが副業で小説を書いてるだけのことはある。いやね、最近「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 始まりの物語」を観たんだけど、TV版の結末を知ってると、ほむほむとキュウべえの台詞の印象が全く違うんだよね←一部の人にしか通じない喩えはやめろ
宗教的な神秘体験も、著者は科学の力でベールを剥ぎ取る。心理学者マイケル・パーシンガーは、磁気で脳の局所に刺激を与え…
「人のの気配がする」「もう一人の自分がいる」「宇宙と合一している」(いずれも被験者が実際に語った言葉)などの<感じ>を生み出すことに成功した。キリスト教の中で育った者はイエスの存在を、イスラム教のバックグラウンドを持つ者はムハンマドの存在を感じることが多かった。
一旦囚われた思考から逃れる事の難しさを、この例は示している。また、人はその事で快楽を得ているのではないか、とも考察する。
私はよく思うのだが、自分が正しいと主張し続けることは、生理学的に見て依存症と似たところがあるのではないだろうか。遺伝的な素因も含めて、自分が正しいと何としても証明してみせようと頑張る人を端から見てると、追求している問題よりも最終的な答えから多くの快楽を得ているように思える(本人はそう思っていない)。
あー、あるある。ここで、「確信的な情熱を持つ者」として、かの攻撃的無神論者リチャード・ドーキンスを持ち出すから憎い。「信仰を持つ者に、その信念の愚かさを納得させようとするドーキンスの情熱的な努力は、異教徒を改心させることを義務と心得る宣教師の熱意と同質のものだ」。
なかなか刺激的な本ではあるが、結論としては「非合理的な確信を持つ人を理屈で説得するのは無理っぽい、少なくとも今のところは」という、はなはだ頼りない所に落ち着いてしまう。どうにもスッキリしない結末ではあるけど、今も研究が続く脳医学の世界の話でもあるし、これにゾクゾクする人もいればモヤモヤする人もいるだろう。あなたがゾクゾクするタイプなら、きっと楽しく読めるだろう。
以下、余談。
Amazon の「おすすめ」(今は「この商品を買った人はこんな商品も買っています」になっている)について、著者は「そういうリストを作る理由を書き込んだプログラムやアルゴリズムは存在しない」と書いている。これ、プログラマなら「え?」と戸惑うのではなかろうか。例えばA氏が「夏への扉」を買った際、こんな動作をするプログラムを考えるだろう。
- 過去の販売記録から、「夏への扉」を買った人を探す
→A氏とB氏とC氏が見つかる - B氏とC氏が買った本の一覧から、A氏が既に買った本を除いた一覧を表示する
プログラマは「そんな感じのアルゴリズムだよね」と考えて、暇な人は関係データベースの設計や、リストの優先順位を決める計算式も考えるかもしれない。だが、著者が言いたいのは、そういうことではない。「夏への扉」という特定の本について、いちいちプログラムがあるわけじゃないんだよ、と言いたいのだ。
「プログラム」という言葉について、ギョーカイ人と、そうでない人との、感覚の違いを痛感させられる一節だった。あなたのプログラムは私のデータ。
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