ガーイウス・ユーリウス・カエサル「ガリア戦記」平凡社ライブラリー664 石垣憲一訳
ガッリアは全部で三つの部分にわかれている。そのひとつにはベルガエ人、ひとつにはアクィーターニー人、三つ目には自称ケルタエ人(ラテン語でいうガッリー人)が住んでいる(この三者はそれぞれ言語や習慣、法が異なっている)。
【どんな本?】
古代ローマの英雄カエサルが行ったガリア(現在のフランス・ベルギー・オランダ・スイス・ドイツ西部)遠征の経過を、自ら綴った報告書。八年間の長きに渡り、多くの部族が群雄割拠して相争いまたは共謀してローマに対抗するガリアを、時には軍事力で制圧し時には慰撫してローマの支配下に収めていく。
戦闘は機動戦から篭城戦・攻城戦、仮設橋をかけての渡河から船艇での強襲揚陸などバラエティ豊か。また著者曰く「武人の弁」と語る簡潔にして明瞭な文体は、定番のラテン語の副読本として評価が高い。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Commentarii de Bello Gallieo, by Gaius Julius Caesar, 初出は紀元前50年ごろ?私が読んだのは2009年3月10日初版第1刷の平凡社ライブラリー。文庫本縦一段組みで本文約352頁+訳者あとがき6頁+青柳正規の解説「『ガリア戦記』の歴史的背景」10頁。9ポイント41字×16行×352頁=約230,912字、400字詰め原稿用紙で約578枚。長編小説としてはやや長め。
名文の誉れ高いだけあって、翻訳されても原書の特徴は残っている。武人だけあって、その記述は簡潔で明瞭で具体的。複数の場所で並行して起こる事柄も、記述の順番を工夫して理解しやすい形に整理してある。それでも、読了するにはかなりの時間が必要。理由は三つ。
- 戦記のため地図を参照しながらの読書になる。主人公のカエサルがガリアを縦横無尽に駆け巡るので、ついていくのは骨が折れる。とは言うものの、地図がついているのは大いに助かった。
- ネルウイィー族だのウェルキンゲトリクスだのと不慣れな固有名詞が頻発する。
- 内容が濃い。なにせ八年間、ひたすら戦闘の連続だし。
【構成は?】
第一巻 紀元前58年
第二巻 紀元前57年
第三巻 紀元前56年
第四巻 紀元前55年
第五巻 紀元前54年
第六巻 紀元前53年
第七巻 紀元前52年
第八巻 紀元前51年~50年
訳者あとがき/解説「『ガリア戦記』の歴史的背景」青柳正規/索引
第八巻のみ、著者はカエサルの部下ヒルティウス。また、それ以前の巻も、後世の者による挿入と思われる部分があり、その由を訳注に明記してある。各巻は10行~20行程度の節に分かれている。青柳正規の解説は、本文の前に読んだ方がいい。カエサルが置かれていた政治的状況がよくわかる。各巻の冒頭に地図があるので、栞を複数用意しておこう。
【感想は?】
まず、文章が独特。「カエサルはこう答えた」など、自分を三人称のカエサルとして記述してるし。本人曰く「武人の弁」と言うだけあって、記述は具体的で明瞭。
特筆すべきは、物の形状を表現する時を除き、比喩が一切ないこと。古代の文書といえば大袈裟な比喩や「おお!○○よ!」みたいな感嘆詞・神様への祈りみたいなのがゴチャゴチャ入ってるものと思っていたが、とんでもない。現代の事務文章でも滅多に見ないぐらい、ドライで無駄のない、素っ気無いとすら言えるハードボイルドな文章だ。
それでもモノゴトの推移は明瞭に伝わってくるのは、彼の文才のなせる業だろう。現実を的確に把握し理解する合理的な思考能力と、それを整理して分かりやすく人に伝える表現者としての能力を、カエサルが兼ね備えていた由が伝わってくる。
戦記といいつつ、当事の軍司令官は同時に政治家としての能力も要求される。つまりは「ガリアをローマの傘下に加える」目的で遠征しているわけで、ご当地の部族同士・部族内部の勢力図も理解してなきゃいけない。これがまた、今みたく国境で綺麗に分かれているわけじゃなく、それぞれの部族が力で「ここは俺の縄張りね」と主張してるわけで、かなり流動的。
勢力図は第一巻から複雑な状況を綺麗に整理して見せてくれる。ガリア制覇を目論み決起したヘルウェティイー族、街を焼き不退転の覚悟で出発、近隣の部族を巻き込んで進軍を開始。対するカエサルも親ローマのハエドゥイー族に協力を求めるが思わしくない。族長のディウィキアクスは親ローマだが、その弟のドゥムノリクスがヘルウェティイー族に通じていて…
改めて考えると、ディウィキアクスとドゥムノリクスが共謀して両天秤にかけた可能性もあるんだけど、そこはカエサル。ヘルウェティイー族征伐後はディウィキアクスの嘆願を聞き入れ、彼に裁定を任せる。政治家だなあ。
戦後、ガリアの有力者を集めた会議上で、意外な背景が明らかになる。ガリアの二大有力部族はハエドゥイー族とアルウェルニー族。そのアルウェルニー族がセークァニー族と共謀してゲルマーニー人(現在の西ドイツ近辺の部族)をガリアに引き入れた。ハエドゥイー族は必死に抵抗したが…と、「ジャンプの連載漫画かいっ!」ってな感じで話がドンドン大きくなっていく。
戦記だけあって、戦闘の様子も具体的。以下は英仏海峡の沿岸での海戦で、ローマ軍が使った兵器の記述(3.14)。
ローマ軍が用意したもので非常に役立ったものがある。先をとがらせ、長柄に差し込んで固定した大鎌である。これは破城槌のように見えなくもないのだが、これを帆桁と帆柱に結ぶ綱に引っかけてから、櫂を使って全力で漕ぐと綱を引きちぎることができたのである。
やはり圧巻は第七巻、ウェルキンゲトリクスとの戦い。一応はガリアを平定したものの、ローマの威光は浸透していない。各地に兵力を置いてはいるが、全戦力を合わせればガリアの方が圧倒的に優勢、同時多発的に反乱が起きたらヤバい。ウェルキンゲトリクスが決起しカエサルと睨みあう後ろで、ハエドゥイー族も造反。大人しくしていた他の部族も様子が怪しくなり…と、ローマ軍は絶体絶命のピンチ。
ウェルキンゲトリクスとの決戦は、土木ローマの本領発揮。詳細はアレンシアの戦い(→Wikipedia)をご覧いただきたい。18km・高さ4mの二重の土塁で敵の砦を囲い、また外からの敵にも対処する。土塁の前には堀や落とし穴を作り、底に先端が尖った杭を埋める。土塁の中に一か月分の食料を貯め、長期の篭城に備える。「最強の兵器はスコップ」とは、よく言ったもの。
機動を伴う戦闘もお互いに洗練されてて、例えばガリアは森に主力を潜め、逃げるフリをしてローマ兵を森に誘い出し、隊列が組めずバラバラになった所を各個撃破したり、戦闘部隊を避け輸送部隊を襲い兵糧戦を仕掛けたり。まるきし現代のアフガニスタンと同じ。対するカエサルは森を伐採したり、輸送部隊を囮に使ったり。この辺は米軍より巧妙かも。わざと夜中に大騒ぎして退却と思わせ、敵を誘い出すのもカエサルがよく使う手。
他にも橋の架け方から船の構造、地下道を掘って泉を枯らすなど工兵大活躍の技術的な記述は多岐に渡り、当事のローマ人の即物的・合理的な思考が鮮明に伝わってくる。カエサルの明瞭な文体もあり、古典だと思って修飾語過多のまわりくどい文章を危惧していたが、完全に予想を裏切られた。やはり、持ち上げられるには、相応しい理由があるんだなあ。これこそ、名文の名に相応しい。
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