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2012年6月24日 (日)

ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」創元推理文庫 平井呈一訳

 「…おれはあいつらが生まれぬ何百年も前に、一国の人間を下知した男だ。一国の人間に智恵を貸し、一国の人間のために戦争をしたおれだ。そのおれと知恵くらべするとは、片腹痛いわ。おれは敵の裏をかくのは朝飯前だぞ。見ろ、…」

【どんな本?】

 ホラーに登場するモンスターとしては定番の、吸血鬼ドラキュラ。1897年の発表時から人気を呼び、今でも映画では定期的にリメイクされ、多くのヴァリエーションを生み出している。漫画にも度々登場し、子供向けの抄訳もあるドラキュラだが、完訳は創元推理文庫のこれだけ。ファンなら、ぜひ原点は押さえておこう。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Dracula, by Bram Stoker, 1897。日本語版は1971年4月16日初版。私が読んだのは1997年7月11日の32版。長く愛されてます。文庫本縦一段組みで本文約543頁+訳者による解説11頁。8ポイント43字×19行×543頁=443,631字、400字詰め原稿用紙で約1110枚。そこらの長編小説2冊分。

 さすがに文章は今読むと、少々古めかしい。とはいっても、「格調高い」という雰囲気ではなく、あくまで娯楽小説・大衆小説として読者を楽しませようとする配慮にあふれている。今風の翻訳調ではなく、昭和大衆小説の文体というか、講談風のべらんめえ調というか。読みやすいか否かは、読者の慣れ次第。若い人は戸惑うかもしれないが、昭和の頃に娯楽小説を読みまくった年代の人には、かえって親しみやすいだろう。

 ただし、物語の仕掛けで、なかなか全体像が見えてこない構造だし、今とは小説作法が異なる上に、後半に入ると登場人物が長口上を振るう。また、19世紀末のイギリスの読者を対象としているので、風俗・文化・社会の違いが敷居を高くしている麺もある。まあ、そういう異文化の風俗が翻訳物の面白さでもあるんだけど。

【どんな話?】

 英国の新米弁理士ジョナサン・ハーカーは、ルーマニアのトランシルヴァニアへ出張で出かけていた。カルパチア山脈の麓の城に住むドラキュラ伯爵に、ロンドンで家屋を購入する手続きの代理を頼まれたのだ。東ヨーロッパの人々は素朴で迷信深く、伯爵について尋ねると口が重くなる。乗合馬車で山道を抜けると、伯爵の迎えが来ていた。

 その頃、ジョナサンの婚約者ミナ・マリーは、親友のルーシー・ウェステンラから嬉しいニュースを聞いていた。なんと、三人もの求婚者が現れたというのだ。冷静で教養に溢れる精神病院長のジョン・セワード、テキサスの大地主でユーモア溢れ冒険好きのキンシー・モリス、そして裕福な貴族のアーサー・ホルムウッド。彼女の本命は…

 ジョン・セワードは、奇妙な患者に注目している。R・M・レンフィールド、59歳。自分の食事を餌に蝿を集めては、蜘蛛に与えている。いい加減、蜘蛛は迷惑だと言ったら、今度は雀を捕まえ、蜘蛛を与えている。と思ったら、次は猫を飼いたいと言い出した。

【感想は?】

 色々と意外な面が多かった。案外と原点って、見落としがちだなあ。

 まずは、構造。技巧を凝らしていて、全体が登場人物の手記や手紙で構成されている。冒頭はジョナサン・ハーカーの日記、次がニナ・マリーとルーシー・ウェステンラの手紙。他にもセワードの日記や各員の電報、新聞の切り抜きなどが随所に挿入される。直接地の文で状況を語るのではなく、間接的に事件を浮かび上がらせる手法を使っている。読んでいてまだるっこしく感じる部分はあるが、同時に雰囲気がジワジワと盛り上がってくる演出でもある。

 次に、語り口。これは訳者に負うところが大きいんだが、思ったよりくだけた、べらんめえ調だったりする。冒頭の引用はドラキュラ伯爵の台詞なんだが、一人称が「おれ」。映画などで貴族的な風貌や物腰の人という印象が強いんで、てっきり「私」だとばかり思い込んでいた。

 ドラキュラ伯爵の印象は、初登場の時から、こっちの思い込みを完全に打ち砕く。以下、初登場の場面を引用すると…

 中には、一人の背の高い老人が立っていた。白いひげを長く垂らし、頭のてっぺんから足の先まで、色のついたものは何一つつけていない。全身黒ずくめの老人で、…
 「わしがドラキュラじゃ。ハーカーさん、ようこそ見えられた。さあさあ、おはいり。夜分は寒いでな。まあ夜食でも食べて、ゆっくりひとつ休んでもらおう」

 なんか、田舎の気のいい老人、って感じ。「白いひげ」ってのも、驚き。冒頭、ジョナサン・ハーカーの手記では、ずっと老人の姿のままで通してる。「寒いでな」などと、妙になまってるのは、著者の仕掛けを訳者が工夫したんだろう。高貴な言動の人物という印象も違っていて、この物語では、戦闘的で荒っぽく、貴族というより古武者に近い。誇り高いが、その源泉は生まれより戦功に基づく様子。

 お馴染みのモンスターの中でも狼男やフランケンシュタインの怪物に比べ、知性派と思われがちなドラキュラだが、この作品では、最初の特徴として怪力がアピールされる。重い扉を軽々と開けたり。ただ、今では忘れられがちな能力もあって、例えば冒頭では狼を使役してみせる。

 不死の特性は、もちろん最重要。長い犬歯も、お約束どおり。変身能力もあって、化身としてはコウモリが有名だが、本作では狼にも変身している。ばかりでなく、獲物に忍び寄る際は…。これは怖い。弱点もあって、その一つは鏡に映らないこと。ニンニクと十字架は有名だけど、他にもあって…

 対するヴァン・ヘルシングは、アムステルダム大学の名誉教授。セワード医師の師で、かなりのご老体だが、身体はいたって頑健な様子。当然ながら博覧強記で、科学の使途。とはいえ、あくまでも当事の民衆が想像する科学で、今で言う民俗学も多分に混じっている。まあ、そうでないと、ドラキュラに対抗できないんだから、お話の都合上、しょうがないやね。学者といっても象牙の塔に篭るエキセントリックなタイプではなく、行動力とリーダーシップに溢れ、頼れる男。

 ヘルシングを筆頭として、ジョナサン・ハーカー,アーサー・ホルムウッド,ジャック・セワード,キンシー・モリス,そして紅一点のニナ・マリーの六人が、共闘してドラキュラに立ち向かう、というのが物語の大筋。ジョナサンとニナは物語の冒頭から出てくるんで、それなりに印象を残すんだが、アーサーとジャックは、出番が多いわりに印象が薄いんだよなあ。

 逆に、少ない出番で強い印象を残すのが、キンシー・モリス。全般的に控えめで口数少なく、ヘルシングの計画に従いながらも、実力行使の場面では豊富な冒険の経験を活かして鋭い戦術眼を発揮する。戦争物なら、部隊長を補佐する歴戦の軍曹のポジション。

 物語の多くはイギリスが舞台だけど、読んでて面白いのは、むしろトランシルヴァニア。冒頭の、緑深い田舎でありながら、多民族が共棲して混沌とした社会、素朴で迷信深い人々は勿論、トウガラシやパブリカを多用した田舎風の料理も食欲をそそる。ひき肉を茄子に詰めるのかあ。今度、やってみよう。

 もうちょっと出番が欲しかったのが、ドラキュラ伯爵に従う三人の美女。私としては、むしろ彼女たちを主役に←をい

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