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2012年6月 8日 (金)

アダム=トロイ・カストロ「シリンダー世界111」ハヤカワ文庫SF 小野田和子訳

 「――そして管理職というものは、人類の歴史がはじまって以来ずっと、本気で仕事をしようなんて思ったためしがない。管理職が取り組む真の議題は、いつの世も、管理職が気分よくすごせるようにすることなんです」

【どんな本?】

 宇宙開発SFの傑作「ワイオミング生まれの宇宙飛行士」で星雲賞を攫ったアダム=トロイ・カストロによる、遠未来の宇宙を舞台としたSFミステリ長編。フィリップ・K・ディック賞のほか、「SFが読みたい!」のベストSF2011でも19位にランクイン。人工知性集合体が建設した巨大なシリンダー型コロニー「111」。異様な生態系を持つこの構造物の調査隊内で発生した殺人事件に、敏腕捜査官アンドレア・コートが挑む。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Emissaries From the Dead, by Adam-Troy Castro, 2008。日本語版は2011年3月15日発行。文庫本縦一段組みで本文約575頁+訳者あとがき4頁。9ポイント41字×18行×575頁=424,350字、400字詰め原稿用紙で約1061枚。そこらの長編なら2冊分。

 翻訳物のSFにしては読みやすい方。時代が遠未来で、場所が巨大シリンダーという、我々には不案内な世界である事を考えると、訳者は相当に頑張っている。裏表紙には「ハードSFミステリ」とあるが、それほど科学知識を要求されるわけでもない。ロボットアニメに出てくるガジェットや用語に慣れてる程度で充分。肝心のトリックも、小難しい科学知識は使ってない。

【どんな話?】

 遠未来。人類は他の恒星系に進出し、知性を持つ幾つかの異星人と出会った。友好的な種族もあるし、理解不能な種族もあるし、敵対的な種族もあるが、支配地域が離れているためか、全面戦争になった事はない。変わり者は<AIソース>で、ソフトウェア知性集合体だ。圧倒的な科学技術を持ち、ときおり他の種族に気まぐれに技術を売るが、正体が何でどこにいて何を考えているのかわからない。

 <AIソース>は、直径千キロ・長さ10万キロの巨大シリンダー「111」を過疎地に建設した。独特の環境と生態系を持つ111に、知的生物と思われる生物ウデワタリが存在し、ホモ・サップ連合は70名ほどの長期滞在する調査団を派遣するが、その調査員の一人が何者かに殺された。事件を解決するため、外交団は捜査官を派遣し…

【感想は?】

 やはり111内の異様な風景に圧倒される。

 シリンダー型コロニーと言えば、両側にせりあがる地平線、上を見上げれば、やっぱりそこも地表、と思うよね、普通。ところがこの111、なにせデカい。ってんで、人類が生活できるのは中心付近のアッパーグロウスと呼ばれる、樹木が生い茂る地域だけ。「下」は有毒ガスの雲が漂い、その下では嵐が渦巻き、巨大なドラゴンが飛び回る。更に下に行くと酸の海があるらしい。だもんで、一旦落ちたら、確実に助からない。

 ってんで、調査団は樹上?生活をする羽目になる。ロープやネットを張り巡らして通路を作り、樹木にテントを吊るして部屋を作り、寝るときはハンモック。なんか覚えがあるなあ、と思ったら、リチャード・プレストンの「世界一高い木」のツリー・クライマーの世界だった。

 そういう世界で生活する調査団の面々なら、きっと体育会系で爽やかな連中…と思ったら、とんでもない。確かに樹上生活技術は必須なんで、その辺は体育会系で皆さんいい体してる。ええ、男も女も上半身はムキムキの筋肉マン筋肉ウーマンだし、一定の技術を持つ者だけを仲間と認める風潮もある。

 が、爽やかかと言えば、とんでもない。緒戦は人間の組織、陰険な奴もいれば、妙に馴れ馴れしい奴もいる。

 そもそも、探偵役の主人公、アンドレア・コートからして思いっきり屈折してる。何やら過去に大変な事を仕出かしたらしく、悪い意味で有名人。そのためか、人間付き合いは極めて事務的でつっけんどん。あまり人と感情的な交流を持ちたがらない…というか、大半の人に対しいい感情を持たない。まあ、関係者全員を疑う必要のある探偵役としては適役なんだろうけど、到着後に早速、調査団の代表と対立する。おまけに上に、自殺衝動持ちで、本当に優秀なのか、この人。

 被害者のクリスティーナ・サンチャゴも主人公とよく似てる。悲惨な生い立ちから脱出するために調査団に加わる、のはいいが、性格がとってもドライ。「すべきことをなせ、余計なおしゃべりは無用」ってな感じで、人付き合いは悪い。たまにしゃべると、不平不満ばかり。ああ、とても他人とは思えない。

 調査団の代表も胡散臭くスケベったらしいオヤジ、スチュアート・ギブ。初対面から妙に馴れ馴れしくアンドレアにモーションをかけてくる。が、仕事となると事なかれ主義で、重要な質問にはのらりくらりと返答をはぐらかす。

 もう一人の副代表、ペイリン・ラストーンも得体が知れない。常に冷笑的な態度で、上司のはずのギブにも軽蔑の色を隠さない。辛らつで意味深な事を言うが、やはり肝心な質問には答えない。胡散臭さプンプンだが、どうも重要な地位にあるらしい。何者だ、こいつ。

 もう一人の被害者、シンシア・ウォーマスもクリスティーナ同様の悲惨な生い立ちなのだが、性格は正反対。クリスティーナが全員を拒絶していたのに対し、彼女は全ての人に親切で寛容。といっても、いわゆる博愛主義とは違い、人は孤独になりたい時でもズカズカと踏み込んでくる。しかも、それが善意なんだからたまらない。「あたしがなんとかしなくちゃ」と思い込んで、突っ走っちゃう、往々にして押し付けがましい人。

 ってな感じの、現代日本でもありがちなドロドロした人間関係に加え、冒頭の引用に代表されるように、組織で働いている多くの人が感じる鬱憤というかディルバート的な感覚が身につまされる。この社会の重要な構成要素である年季奉公的な制度もチクリと刺して、これが少し前の日本のIT産業界の実態そのものなのが笑った。というか、今でもそうかも。

 ミステリとしては、「誰が犯人か」が中心。これも最初から結構無茶な注文が入ってる。この著作の世界では、<AIソース>が神のごとく万能に近い存在で、特に111内では、まさしく創造主。外交的な問題もあって、アンドレアの上司アーティス・ブリンゲンは「<AIソース>は無実という事にしろ」と指示してくる。

 この肝心の<AIソース>がまた、正体不明で。なんかシンギュラリティ後のコンピュータ・ソフトウェアらしく、人より10桁ぐらい速い思考速度と、凄まじく進歩した科学技術を持つが、正体も目的も不明。なんのために111を作ったのか、なぜ知的生命体と微妙な接触を保つのか、どんな形態でどこにいるのか。

 そのくせ、妙に人間心理を理解してるっぽい所があるのも不気味。連中が作った生物のウデワタリも、まるきし形状や生態はナマケモノで、なんか親しみが湧く。ウデワタリの異様な世界観も、ちょっとしたセンス・オブ・ワンダーで、ファースト・コンタクト物としても楽しめる。というか、ある意味、ファースト・コンタクト物の王道を行ってる。

 SFの醍醐味である眩暈のする風景と、世界の謎という大仕掛けを、会社勤めの月給取りが味わう悲哀で味付けした怪作。進歩したテクノロジーと、進歩のない人間社会の対比が強烈な作品。

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